Octet 7 モノクローモ

palomino4th

Octet 7 モノクローモ

用事があり隣市の庁舎を訪れた帰りの午後、直帰せず余った時間で少し寄り道をすることにした。

役所関連の手続き特有の、門外漢にはついて行きかねるような書類の記入作成の手続きを窓口の職員に事細かに指図さしずを受け……ほとんど呆れられつつ……ようやく済ませた頃には、私の脳は疲労困憊ひろうこんぱいをしていた。

その疲れた頭を休めるため、馴染みない街をそぞろ歩きをして行こう、という思いつきだった。


大雑把な方向へと進む以外に目的のない道中、地域の市民センターに突き当たった。

立ち寄り、図書室の様子をぶらりと覗いた後、施設を出ようと出口に向かったあたりで、入口脇の掲示スペースに張り出されていたフライヤーが目についた。

地元ゆかりの版画家の展示会がセンター内で特別開催されている、との告知だ。


ロビーから少し歩き催事の行われている多目的室に向かった。

入り口の受付に座る女性に軽く会釈えしゃくをして入室すると、静やかな会場に別世界の窓を覗き込むような作品が展示されていた。

版画……エッチングなのか緻密に彫り刻まれ、どの作品にも黒闇こくあんの背景に画面が円窓えんそうのように丸く開けられ、中にモチーフが描かれていた。

ある作品では鮮やかな色彩の異国の花が咲き乱れているのが見えた。

また、別の作品では水面の下に泳ぐ煌く宝石をまぶされたうろこの魚たちが描かれていた。

円形の画面は巨大客船の船室に開けられた丸の窓から外を眺めるかのようで、旅行者のような気分で作品鑑賞をたのしんだ。

目の覚めるような作品たちを一通り廻り終えて入ってきた入口から会場を後にした。

頭を休めながらゆっくりと眺め終わりだいぶ脳もほぐれた、と何気なく施設の正面玄関まで歩いてきた時だった。

さっき見た作品展の告知フライヤーの掲示を、改めて細かく読んだ。


「メゾチントの技法で表現された白と黒の作品世界」


え、と思い見直しても同じ文章だった。

今し方、鑑賞していたのは別の作家の展覧会なのか?

しかしフライヤーに引かれている図版は確かに会場にあったものだ。

私が見ていた時には確かに色彩を感じていたのに、フライヤーではすべてモノクローム作品として印刷されている。

そんな馬鹿な、と展示会場へと引き返そうとしたが、退室した後にすぐに再入室するさまを見て受付の人にどう思われるのか、などと変に自意識過剰な考えが湧き躊躇ためらわれた。


結局、そのままセンターを出てから帰途についた。

歩きながら、疲れ切っていた頭がそういう錯覚を見せていたのだろう、と納得はさせたが、別に奇妙な考えが首をもたげた。


昔、学生時代。

友人の下宿に泊まり込んだ夜、彼の部屋のテレビで、深夜にクラシックな海外ドラマを見ていた。

始めは「やけに古臭いドラマを流してるな」と思つつ、しかし次第に物語にのめり込んでいったのだが、途中挿入されるコマーシャルを見て落ち着かない気分になった。

ドラマはカラーではなく白黒の作品であり、見ている最中は意識しないのに、コマーシャルでフルカラーの画面が流れるとそれまで見ていた作品に色が無かったことを思い出させるのだ。

変わり者だった友人にポツリとそんな話をすると、

「いや、案外と俺たち実は色の無い世界にいるのかもしれないぜ」などという話をし始めた。「このドラマはモノクロで白黒の画面なのを俺たちは知ってるけれど、このドラマの世界の人間は「自分たちはフルカラーの世界に生きている」と信じ込んでいるんだ。でも明らかに画面は白黒だぞ」

酒が入っていたかどうかは忘れた。

素面しらふでも変なことを言うヤツだったし、本気ではなく一つの冗談としてそんなことを言ったようにも思える。

何故だか彼の言葉が思い出されてきた。


仮に自分が正しく色を見ているつもりでもそれは単なる思い込みで、この現実世界が本当は色の無い世界だとしたら。

そこに生きている人間が色を見ているという暗示を刷り込まれているのだとすれば、私はどうやって本当の色を確かめたらいいのだろう。

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