透明人間の殺し方
復活の呪文
第一章:青城高校集団透明化事件
透明人間の狂祭 ➀
青城祭二日目 2022年9月31日 15:32 pm:大澤夏樹
吸血鬼は十字架と大蒜。狼男であれば銀の弾丸。
だとすれば、透明人間を殺すには何が必要だろう。
人の目には映らず、他人をも透明にできる怪人。不可視の存在という点では、幽霊が近いかもしれない。幽霊に有効なのは、聖水と聖書。
思わず苦笑する。奴はカトリックだから、聖書を読み聞かせた所で、何度も聞いた内容に、退屈そうに溜息をつくだけだろう。
俺が思うに、必要なのはサッカーボールとナイフだ。映画『透明人間』のようにインクや血をぶっかけて可視化させる必要もない。この二つさえあれば、いとも容易く、奴を殺せるはずだ。
尻ポケットにしまった鋭い鉄の感触を覚えながら、俺は、ゆっくりと廊下を進む。一直線の廊下。その奥に、本校舎へと続く鉄製の扉がある。祭りの日であると言うのに、部室棟はなんら装飾されていない。本校舎の賑やかさとの対比か、白を基調とした部室棟がやけに寂しく感じられた。
それにしても、この騒音はなんだろうか。部室棟まで聞こえてくる大きな音である。
今日は8000人以上の来場者が来ているようだから、校舎内に聴き慣れない雑音が溢れる事はわかる。だが鳴り響くこの音は、人が無意識に生み出すものにしては酷く暴力的だ。
バスケ部の部室を通り過ぎると、一際大きな金切り声のような音が響いた。
金属がぶつかり合う音。しきりに響く無機質な音は、いつか行った工場見学を連想させた。
確か、金属加工の工場だったと思う。ヘルメットを装着した生徒達の前で、大きな正方形の鉄の塊が、 漫然とベルトコンベアを進み、時間をかけて削られていく。
カッターが触れるたびに甲高い音と火花が上がる。
俺にはその音が、生き物の断末魔のように思えた。
————それに似た金属音が、なぜ文化祭中に鳴り響いている?
自然と歩くスピードが上がり、脂汗が出るのを感じる。
どこかのクラスの催しなのか。それとも、文化祭は既に終了し後片付けに入っているのか。しかし、何よりも、本校舎に近づくにつれ強まるこの音の異質さが恐ろしい。だんだんと強まる金属音。それに呼応するように、心臓の鼓動が加速する。鳥肌が立ち、唾液の量が増え、心なしか腹痛もある。
今ならまだ引き返せる。部室に戻って様子を伺うべきだ。という考えと、
一刻も早く音の源を明らかにし、恐怖から解放されたい。という考えが、
脳内で鬩ぎ合っている。
しかし、濁流を起こした脳内とは裏腹に、俺は呆然と廊下を進んでいく。渡り廊下を通り、本校舎へと繋がるドアの前へ立つ。分厚い扉を挟んだ向こうで、例の音が響いている。ドアノブに手をかける。気を張っているからか、やけに冷たい。
校舎を工場とするならば、ここまで歩いてきた俺は、あの鉄塊だ。
ただ進むだけ。引き返すことなど、許可されていない。
深呼吸し覚悟を決めると、一気に重い扉を開いた。
最初に感じたのは、饐えた、吐瀉物のような匂いだった。
数時間の間、屯し続けていた数千もの人間の汗。食べ物の匂い。全てが混ぜ合わさり、およそ、普段の生活で嗅ぐ事のない、原始的な匂いが校内に満ちている。
鼻からに侵入したそれを危険分子と判断した脳は、胃酸ごと吐き出そうとした。耐えきれず、俺は蹲って嘔吐する。やっとの思いで立ち上がり、前を見据えると、
「なんだよ……これ」
その情景は、いつか観た映画に似ていた。
少女が不思議な世界に迷い込み、異世界の住人達の騒動に巻き込まれる映画。そのワンシーン。食器達が躍り狂い、屋敷を訪れた主人公をもてなす場面だ。
眼前では、教室の机や椅子、トンカチや鋏が、狂ったように一人でに空中を動いている。ただ、一つ違う点があるとすれば、それらは訪問者へ歓迎のダンスを踊るのではなく、窓や教室、文化祭展示を破壊していた。
ガラスを引っ掻く鋏。壁を乱暴に叩くトンカチ。黒板を打ちつけ続ける机。
ヒステリックに暴れ狂う道具達は、『学校が、憎くて仕方ない』と怒っているようにも思える。
部活棟へと続く鉄扉の前で、学校が蹂躙される様子を傍観していると、ガラスが断末魔をあげた。すぐ横の窓を、椅子が叩き割ったのだ。破片が飛沫のように飛び散る。
「うわあ!」
とっさに横に身を寄せた為、教室のドアにぶつかった。鈍い音が廊下の騒音に消えてゆく。荒れ狂う道具達に存在がばれ、破壊の対象が自分になる事を危惧したが、道具達は襲い掛かるばかりか、俺の存在に気づいてすらいない。まるで意に介さず、た
だひたすら破壊を続けている。
俺は、荒れる息を整え、すでに割れた窓を叩き続ける椅子から、ゆっくりと距離を取った。むせ返るような暑さと、立ち昇った埃の匂いの中、震える手を必死に押さえながら周囲を窺う。すると、一つ、分かった。
何かが、何か透明な生き物が、椅子を振っている。
暴れる椅子の下では、先の飛び散ったガラス片に、丁度、足のような形で空白が出来ている。その空白は、椅子の動きに合わせて変化した。
先日受け取った怪文書。目の前の、校舎を破壊する透明の怪物達。そして、昨年に出会った透明人間の少女。点と点が結びつき、俺は荒れ狂う思考の中、結論を導いた。
目の前にいるのは、透明人間だ。透明化した人々が校舎を破壊している……!
その事実に戦慄し、全身に寒気が走った。文化祭に訪れた人々全てが、透明人間になっているのであれば、その数は8000では足りない。夥しい量の透明人間達が、この青城高校に存在する事となる。
思考を巡らす俺を嘲笑するように、廊下中から、けたたましい破裂音が上がる。唾を飲み込み、浅い呼吸を繰り返す。兎に角、逃げるしかない。 部室棟には何もいなかったはずだ。決心し、行動に移そうとしたその瞬間、何かに左腕を掴まれる感覚と共に、後頭部に鋭い痛みが走った。
「ぐあ……!」
視界が大きく揺れ、暗転しかけるが、なんとか踏み止めた。
瞬間、後頭部に再び大きな殺気が刺さった。必死に左腕を振り解き、距離を取る。咄嗟の行動が功を奏し、必殺の二発目は外れ、教室の壁を叩いた。
痛みに顔をしかめながら前を睨み付けると、血に濡れた木材を抱えた、全身黒服姿の大男が立っていた。黒服の男は、目出し帽のせいで、誰かもわからない。しかし、その屈強な体に漲る殺意は、ふらつく頭でもはっきりと感じた。
俺は、一歩、また一歩と、ゆっくりとした足取りであとずさる。それに合わせるように、黒服の男も、着実に距離を詰める。
その最中、鼻の奥で血が流れるのを感じた。鉄と埃の混ざった粘液が、口へどろりと流れ落ちる。頭痛。鉄の味。校舎が壊れる音。目の前に溢れた、殺意。
————きっとこれは、俺への罰だ。あの日以来、全てから目を背け、決断を、行動を遠回しにしてきた自分に、呪いが追い付いたのだ。このまま、終わる。誰にも見つけて貰う事もないまま、俺の人生は幕を閉じるのだ。
「はっ」
乾いた笑いが溢れ出すと共に、走馬灯が浮かんだ。
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