第18話:監視カメラ➁

 青城祭まであと16日 2022年9月14日am 14:51:大澤夏樹


 がさり、と紙が擦れる音が教室中に響く。

「文化祭を直近に控えるお前たちには少し酷だろうが、今回はこの作品を扱う」

 五時限目の授業は、宇田が担当する現代文。予鈴と同時に、日直である夏樹による号令が行われると、宇田はプリントを配り始めた。


 前席の女子から藁半紙を受け取ると、夏樹は 落ち着かぬ気分のまま目を通した。ざらりとした紙に、『受験生の手記』の冒頭場面と、それを尋ねる問題が複数記載されている。


『弟の小さくなった姿が、もう歩き出していた。そして此方を見ていないらしかった。それでも私はもう一瞥の別れを投げかけようとしたが、その時暗い物影が、恐らくは積まれた材木ででもあるらしい物影が、私と歩廊との間を遮った。而して再びその暗が開けた時、汽車は既に故郷の殘影である燈火の群から遠く走っていた。

 私はようやく窓から首を引込めた。そして何となく門出らしい感慨に打たれて、危ふく熱くなりかかった瞼を抑えながら、こうなる迄の自分の位置を默想し始めた』


 生徒達はその冒頭を読んだだけだが、何となく良い結末にはならないだろうと思った。それと、こんな内容の文章を文化祭直前に読ませるとは、宇田はやはり人の心がわからぬサイボーグなのかもしれないとさえ思った。

 しかし、夏樹は、彼の真意はより深いとこにあるのだろうと考える。


「この作品はフィックションではなく、久米正雄が遺族から渡された手記を基に作り上げたドキュメンタリー小説でもある」

 そう言うと、宇田は余ったプリントを授業道具の詰まったプラスチック製の籠へとしまった。


「この主人公は、何かと理由をつけては現実から目を背け、自己を正当化する。そしてじわりじわりと、追い詰められ現実に打ちひしがれてしまうのだ」


 夏樹は、じわりと汗が滲むのを感じた。


 この数分後に行われる監視カメラを設置した犯人との対面もあるが、それ以外の何かが、彼の体をゆっくりと蝕んで行く。


 夏樹は、それから逃げるように、窓の外へと視線を移した。校庭で数十人の男子生徒達が広大なトラックを周回しているのが目に映る。青城高校は生徒数が多い影響もあり、男子生徒と女子生徒の体育の授業が別枠で開催されることとなっていた。


 宇田はそのまま、黒板にチョークを走らせる。


「『逃げた先に楽園などありはしない』。俺の好きな漫画の一説だ」

「先生、それって『ベルセルク』ですよね!」


 野次を飛ばす男子生徒を無視して宇田はチョークのついた手を叩きながら続ける。


「俺は何も、お前達を責めようという訳ではない。ただ、『青城祭』というこの学校最大のイベントに現を抜かしすぎず、今後直面する進路という壁の事も考えておいて欲しい。それだけだ」


 そうして前座を終えると、宇田は問題を解くように指示を出す。宇田がタイマーを開始するのにワンテンポ遅らせてから、夏樹は手を伸ばし、宇田を自席へと呼んだ。


「どうした、夏樹」

 夏樹をまっすぐと見据える宇田。白髪の混じった短髪に浅黒い皺の刻まれた肌。夏樹は息をのむ。

「体調がすぐれないので、保健室に行っても良いですか……?」

 数秒、夏樹を見つめた後、宇田は目を閉じて返答した。

「一人でも行けるか」

「大丈夫です。ありがとうございます」


 夏樹は、教室を辿々しい歩きで去る。力無く歩く夏樹の後ろ姿を、宇田は最後まで見つめていたが、教室を出るや否や大きく息を吐く。こんな緊張感を味わうなら、ガクのように欠席しておけば良かったと、自身の判断を少し後悔した。

 気を取り直して、ガクの待つ部室棟と本校舎を繋ぐ渡り廊下へと進んでいく。

 どのクラスも授業中であり、時折、教室のドアを開けっぱなしにした教室から、教員のテンションの高い声が漏れ、ドア際の生徒からの視線が刺さる。そのまま数分歩くと、重々しい鉄製の扉の前で、ガクと合流した。


「おっす」

 扉の前で、ヤンキー座りをしながら菓子パンを貪っているガク。

「なんか元気ないな。お前」

「宇田先生の授業を抜け出してきたからな。心労だよ、心労」

 ガクは食べかけの餡パンを差し出してきたが、夏樹は断った

「例の物は持ってきたよな?」

「ああ。ちゃんと腹に隠して持ってきた」

「よし」


 そういうと、ガクは立ち上がって重い鉄扉を開いた。本校舎の廊下と同じく、純白の廊下が一直線に続いている。当然、無人である廊下を、二人は足早に進んで行く。夏樹達の右側には各部室が、そして左側からは、曇り空から溢れた控えめの日光が差し込んでいる。


「……吉田ちゃんの一件は、少し忘れろよ」

「わかってるよ」


 歩きながら、ガクは念を押す。昨日、公衆電話ボックスにて三人で話した際、吉田は「初めて来た」と語った。夏樹達は公衆電話ボックスで本の交換が行われているとばかり考えていたが、二者の間で認識の齟齬があったのだ。

 夏樹達が確認すると、吉田は、どの生徒も使っていない靴箱を用いていたと語っていた。

 つまり、夏樹達以外に本の交換を知るばかりか、公衆電話ボックスの存在を認識している人物がいることになる。しかし、今はそれどころではないのだ。


「本当に来る、よな」

「ああ。俺が保証するよ」


 昨日、三人はある決断を下した。それは、『カメラの存在は、文化祭後に公開にする』というものだった。名門である青城高校に盗撮カメラが設置されていたとなると、その社会的影響から文化祭が中止になる可能性がある為である。そこで、夏樹達はカメラを例の天井に戻し、直接、犯人が女子更衣室に侵入してカメラを回収する瞬間。できれば、供述を映像に収める事で、文化祭後に司法の裁きを下そうと考えたのだった。


 ガクは餡パンを口で咥えると、扉に鍵を差し込んだ。彼の所属するバスケ部の部室へと入る。昨日夏樹が入った女子更衣室の半分ほどの広さの室内。その中央に設置された縦長の椅子に二人で腰掛ける。


「で、どうやって犯人の接近を確認するんだ」


 腰掛けつつ夏樹が切り出す。

 女子更衣室の鍵を二人が借りる事は出来ない。吉田からまた借りしようにも、授業時間中は、生徒への鍵の貸し出しは禁止されている。加えて、鍵がない事を犯人が認識して、カメラの回収を行わない可能性もある。


「撒き餌を使う」

「撒き餌?」


 頷くガク。


「女子更衣室に行くなら、構造上、犯人は必ず、このバスケ部の部室前を通る必要がある。扉の隙間から覗くってのも考えたが、相手に見つかる可能性もあるから辞めた」


 そういうと、餡パンを食い切り、夏樹から、クラス日誌を受け取った。そのまま、ロッカーから取り出した細い透明の糸を、クラス日誌に粘着力の弱まったセロハンテープで貼り付けた。


「これが『撒き餌』さ。色んなのを考えたけど、先公が思わず手に取ってしまうような、意外性と重要性のある物なら、クラス日誌が最適だ」

「こいつを部室前に置いて、犯人がクラス日誌を拾ったら糸だけが外れるって事か」

「大正解。あいつは自分が狩る側だと思い込んでいるだろうから、思っているよりもこの作戦は機能すると思うぜ」


 ガクは扉を開き、部室前に『撒き餌』を設置した。その後二人は、無言のまま部室内に伸ばした糸が動くのを待つ。

 数分して、二人の目の前に垂れ下がった糸が、思い切り引っ張られた。


 ————来た……!


 緊張と興奮の混ざった感覚が、夏樹の全身を駆け抜ける。思わず立ち上がろうとした夏樹を、ガクが制止すると、ピンと張った糸が、獲物が針を抜けたように力無く地に落ちた。

 確認するように視線を送ると、ガクはその意図を汲んで力強く頷いた。二人は、足音を立てぬようにゆっくりと立ち上がると、扉の前へと忍び足で移動する。

 そのまま、扉の前から足音が離れていくのを確認すると、扉を僅かに開いた。片目分の隙間から、女子更衣室のある廊下の奥へと視線を巡らす。


 ————男だ。身長の低い男の教員だ。


 その顔立ちや全容までは把握できなかったが、二人の視線の先で、鼠色のスーツ姿の男が扉を開き、中へと消えていくのを捉えた。

 部室から飛び出し、女子更衣室の入り口前に立つと、夏樹は横に立つガクに視線を向けた。すると、普段の女好きなお調子者といった雰囲気は消え失せ、獲物を前にした動物のような、鋭い集中と冷酷さの混じった眼があった。


「ガク……?」

 たまらず、夏樹が耳打ちすると、ガクは我に帰ったようだった。

「大丈夫だ。夏樹の『仕掛け』が反応したら、飛び込むぞ」

「わかった」


 夏樹が返答すると同時に、「うわあ」という男の悲鳴が室内から上がった。

 それを合図に浸りは女子更衣室の扉を、半ば蹴破るようにこじ開けた。


「動くな!」

 叫ぶガク。

 二人の視線の先では、昨日の吉田と同様に中央列のロッカーの上に四つん這いで乗った男が、顔を押さえてのたうち回っている。


 ————笹山だ。


 それは、ガクと夏樹の日本史担当教諭である笹山大輝だった。その特徴的な童顔に、あらかじめカメラを戻す際に天井のタイルに仕込んでおいたミンクオイルを塗した枯葉がくっついている。


「おっと、これは笹山先生じゃないですか。こんな場所で、そんな季節感ある格好になって。一体どうしたんです?」


 ゆっくりと、ガクが笹山の方に近づいていく。その間、夏樹は扉の鍵を閉める。


「おい、何なんだ。なんですかこれは!」

 顔に張り付いた枯葉を半狂乱に剥がしながら、笹山が叫ぶ。


「取り敢えず、落ち着いてから話しましょうか。先生?」

 振り返るガクに頷くと、夏樹は笹山の横に駆け寄り、ビデオカメラを回収した。

 その一瞬の隙を見て、笹山は突然ロッカーから飛び降り、夏樹達をロッカーで跨いだ反対側に着地すると同時に走り出す。しかし、夏樹とガクは、二手に別れて笹山を挟み込む形で追い詰めた。


「ど、退けよ!」


 叫びながら、笹山はガクに向かって右拳を振るった。ガクは冷静に腰の抜けたパンチを交わすと、伸び切った右腕を締め上げて拘束する。その流麗な動きに、夏樹は動く暇もなかった。


「体格差があまり無い俺を選ぶ判断力は褒めてあげますよ、先生」

「いだだだだだ!」

 ぐい、と右腕を逆方向に動かされ、笹山は苦痛の声を上げた。ガクは、笹山を四つん這いの姿勢にさせると、体重を背中から乗せた。


「ぼ、僕はただ忘れ物を撮りに来ただけだ。こ、こんな事をして、タダで済むと思っているのか! 教師に対する暴力行為だよ、これは!」

「その言葉そっくり返しますよ」


 夏樹は、地面に倒れた笹山の前に、スマートフォンを置いた。液晶に映し出されたのは、笹山が女子更衣室に侵入してから一直線にロッカーを登り、監視カメラを回収する様子。夏樹達が押し入ると、ガクに向かって拳を振るう、笹山の姿が映った。


「天井にする忘れ物なんて、ちょっとお洒落ですね」

 淡々と、夏樹が語る。


「全部、録画してました。それと、このカメラの中に何が入っているのかも知っています」


 ごとり、と重々しい音を立てたカメラが、笹山の前に置かれる。それを視界に入れると同時に、笹山は全身を強張らせた。


「このまま始めよう。夏樹」


 ガクに促され、夏樹は緊張を隠しながら笹山への尋問を開始した。緊張した顔つきのまま、夏樹は昨夜、ガクと池袋の西口公園で教わった内容を思い返す。


 夏樹達には、一つの決め事があった。

 それは、『尋問を行うのは夏樹』。という物である。ガクの強い押しによって、ガクが笹山の拘束を、そして尋問及びその映像証拠を夏樹が抑えるという役割が決まったのだ。

 人気のない日の落ち切った公園で、ブランコを漕ぎつつガクが夏樹に問いかけた。


「夏樹、尋問したことあるか?」

「あるわけないだろ」

 不意を突かれた夏樹は少し驚いた表情を浮かべて答えた。

 ガクは肩をすくめて笑い、「冗談だよ」と軽く返す。少し沈黙が続いた後、ガクはブランコを停め、


「小説とか映画で学んだ、俺流の尋問術をお前に授けよう。有料級だぜ?」

 と冗談交じりに言うが、その目はどこか鋭い。夏樹は同じくブランコに座りながら頷き、通学カバンからペンを取り出し、ガクの言葉に集中する。


「まず、尋問の難易度を決める、二つの要素。これを整える事が重要だ」

 ガクは指を二本立てる。

「一つ目は『痛み』だ。身体的、精神的な苦痛が、相手への決定的な圧力になる。腕を拘束したり、水責めなどがその典型例だな」


 ガクは、小石を蹴飛ばした。


「そして、二つ目は『対象が諦める事のできる状況』。相手にまだ嘘を貫き通せる余地があるかで、尋問に対する抵抗度が変わる」

「なるほど」

 夏樹はペンを走らせながら頷いた。ガクは夏樹の反応に満足そうに頷き返し、「これらの条件は俺がセッティングする」と言った。


「夏樹に意識して欲しいのは、さらに細かいところだ」

 夏樹が眉をひそめ、興味深げに尋ねる。

「どんなところなんだ?」

「声色や返答スピード、表情といった、非言語的な要素に最大限注目して欲しい」

「非言語的要素?」

 頷くガク。

「身体的な癖やストレス反応っていうのは、人間の制御を超えるもんだ。訓練された兵士やスパイがどれだけ卓越した話術を扱おうと、肉体はストレスに対して嘘をつけない」

 ガクの話を聞きながら、夏樹はその言葉を一言一句逃さぬようにメモを取り続ける。


「ここで、問題だ」

ガクが口調を変えた。


「夏樹が犯人だったとしよう。お前は今、羽交締めに拘束されている。この状況で尋問される中、最もストレスがかかる瞬間は何だと思う?」


 夏樹はしばらく考えた。緊張感が張り詰めた公園の中、彼は普段から感じる自分のストレス経験を振り返り、静かに答えた。

「……『嘘をつく瞬間』だと思う」

「そうだ、正解だ」

 ガクは満足そうに笑みを浮かべる。


「嘘をつこうとする瞬間こそ、最もストレスがかかる。犯人が嘘をつくというリスクを取る時、恐怖と共に一瞬の恍惚を感じるんだ。『こいつを欺いてやる!』ってな」


 力強く拳を突き出すガク。


「その瞬間、必ず何かしら肉体的な反応が出るはずだ。それは目の動きかもしれないし、声色の変化かもしれない。その細かい反応を見逃すなよ」


 夏樹は自信満々に頷く。


「大丈夫だ。細かい駆け引きなら、試合で慣れっこだからな」

「頼りにしてるぜ、兄弟。明日の六限は女子の体育があるらしいからな。短期決戦で情報を撮り尽くすぞ」


 そう言って、ガクはブランコを再度漕ぐと、遠心力に任せて大きく前方へと飛んだ。砂利をローファーが滑る音とともに着地する。


「だが、結局、追い詰められた人間ってのは正直になるもんなんだよ。明日もきっと、思ったよりも簡単だと思うぜ」

「だから、ストレスのない恋愛の駆け引きが大好きってか?」

 夏樹も同様にブランコから飛んで、ガクの横に着地する。夏樹の言葉を聞くと、顎は吹き出して笑顔を見せた。

「そうだ。俺に取っちゃ、女子の心を掴む方がまるっきり難しいし、楽しい」

「ははは。ばーか」

 そうして二人は、会議を終え、ラーメンを食ってから帰宅したのだった。



 そして、今はその実践の場。昨夜から何度もシミュレーションを重ねてきたが、目の前には敵意をむき出しにした、本来の雰囲気と異なる笹山。以前は、生徒と間違われてもおかしくない童顔と夏樹は評していたが、至近距離で見ると、所々にシミや皺、青髭がうっすらと首元を覆っているのが分かった。

 夏樹は、時計を確認する。時刻は3時41分。次に時限に体育がある女子がこの更衣室に訪れるまで、十分弱しかない。直ぐに、笹山から言質を取る必要がある。

 その形相とプレッシャーに負けぬよう、夏樹はゆっくりと口を開いた。


「まず、『このカメラで女子生徒の着替えを盗撮していた』。これは間違いありませんね?」

「き、君達はこれ以上、僕をどうする事もできない」

 笹山は、夏樹の言葉を遮りながら口を開いた。


 ————抵抗、してきたか。


「おいお前。自分の立場分かってるのかよ!」

 思わぬ抵抗にガクが腕を強く締めるが、笹山は苦痛に歪みつつも、口を閉じない。


「か、勘違いしているのは君達の方だ。このカメラの存在が、公になったら、一体どうなるんでしょうね。多くのメディアが学校に駆け込み、学校はその対応に追われ、とてもじゃないが、君達の楽しみにしている『青城祭』などは開催できないだろう!」


 口早に、舌を回転させる笹山。


「だから、君達は僕を警察に突き出す事もこのカメラの存在を公にすることもできさえしない。君達はただ、僕に暴力を振るっただけだ。直ぐに退学処分が下されるだろう、可哀想に」


 その虚栄に溢れた自信は、昨日、佐々木とともに対峙したジェットコースターの男子生徒のものとも似ていた。夏樹は、一つ打って出る。


「その心配はないですね。貴方の協力者が、全て、話してくれましたから」

「……で、出鱈目だ!」


 一際大きな声で笹山が叫ぶ。

 誰かから知恵を授けられた、無責任な自信が崩れる。夏樹は、その大きな反応を見て、笹山に協力者がいることを確信した。情報の裏付けはないが、笹山を、『諦める事のできる状況』に追い込む為にブラフを貼る。


「実はですね。僕、暴力衝動があるんですよ。先生も知っているでしょう? 僕が最近、他校の生徒を殴って停部処分を下されたって」


「……」

 無言の笹山。夏樹は、脳内から溢れる言葉に任せて口をひらく。


「で、校内の気に入らない男子生徒を殴っていたら、一人、様子のおかしい子がいましてね。先月くらいからかなあ、一緒に色々遊んでいたら、洗いざらい話してくれましたよ」

「嘘だ。そんな言葉には騙されない」

「いやいや、分かってないなあ」


 夏樹は笹山の頬を乱暴に掴んだ。脂汗の滲んだ肌が蛸のように赤らんでいく。


「まだ混乱していて気付いていないんでしょうけれど、おかしいとは思いませんか? 『何で俺達がこの時間に、まるで狙い澄ましたかのようなタイミングで現れたのか』」

「あっ」


 笹山は頬を掴まれたまま、驚きを露わにした。夏樹は笹山の顔から乱暴に手を離すと、さらに続ける。


「月曜の1時。火曜の10時。水曜の5時。木曜の11時。金曜の15時。この時間帯に、丁度、カメラの録画が行われないことに僕たちは気づきました。それを、例の友達に聞いてみたら、彼は何て言ったと思います?」


 笹山の顔が歪むのを夏樹は捉えた。夏樹は、先ほどの授業の際に見た景色を思い出す。


「これらは、男子の体育の授業時間だ。彼は、体育の授業を抜け出して、カメラの回収を手伝っていたんですよ」

「そ、その理論は破綻している!」

 激情を露わにする笹山。

「じゃあ、何故、今日その生徒は、僕を手伝いに来なかったんだ!」

 夏樹に飛び掛かろうと身体を揺さぶるも、ガクが抑える。


「最初から言っているじゃないですか。彼は、僕らに全てを話して貴方を裏切ったんです。見捨てられたんですよ、貴方は」

「そ、そんな……」


 ゆっくりと項垂れる笹山。その光景を見据えると、夏樹はゆっくりと口を開いた。


「先生の気持ちはわかります。裏切りは恐ろしく、悲しいものだ」

「ま、まだ認めた訳じゃない……!」


 笹山は、最後の力を振り絞って威勢を張る。


「君が言うには、『協力者から全てを聞いて、証拠も押さえてある』んだろう。だったら、何故こうやって僕を拘束する必要があるんだ。直ぐに証拠を、警察に伝えればいいだろう」

 ばあん、と激しい炸裂音が上がる。夏樹が、真横にあるロッカーを思い切り蹴飛ばした。腰の入った蹴りに、灰色のロッカーが凹む。


「ただのストレス発散ですよ。もう同年代の男子生徒には飽き飽きしていましたから。今度はちょっと年上の人を殴ってみたいなぁと思って。どうです、この後協力してくれますか?」


 夏樹は歪な笑みを携えて回答した。その禍々しさに絶望すると、笹山は力無く項垂れた。


 その後、二人は強請の材料として笹山の独白を録画し始めた。夏樹からの暴力に耐えかねた笹山は、もはや抵抗する事もなく大人しく真実を告げる。


「まず、『このカメラで女子生更衣室を盗撮していた』。これは間違いありませんね?」

「はい。間違いありません」

「それは、いつからですか?」

 無言。ガクが腕を締め上げ、発言を促した。笹山は、力無く言葉を発した。

「……昨年の、六月からです」


 夏樹は、一つ一つの発言をメモに押さえていく。その最中、三人の横に設置したスマートフォンでの撮影も続行させる。


「動機は……?」

「女子生徒の着替えが見たかったから」


 半ば遮るように答える笹山。夏樹は、その反応も含めて、これも記述していく。そのまま、カメラの購入先や犯行方法などを一通り聞き出すと、夏樹はペンの動きを止めた。それと共に、時計を確認する。3時48分。間も無く授業が終了し、女子生徒が着替えにやってくる時間帯だ。二人は、笹山の拘束を解くと、カメラを押収し、笹山に女子更衣室の天井を元に戻させた。


「このカメラは文化祭後に、今の映像と共に警察に公表します」

「わかった……」


 力無く頷く笹山。一通りの言質を抑えた二人は、足はやに更衣室から去る。すると、笹山が廊下で二人を呼び止めた。


「僕は、確かに許されない事をした。けどそれは、夢の為だったんだ」


 力無く、夏樹の方へと歩き進む笹山。緊張と絶望の応酬で、その顔は青白く変わり果てており、長時間拘束された腕を力無く垂らした姿はまるでゾンビのようだ。


「何言ってんだよ。変態野郎」


 ガクが侮蔑の表情で笹山に対して吐き捨てる。


「なあ、大澤君。君に俺を裁く権利は本当にあったのか? 君も、自分の夢の為に人を踏み躙ったたこちら側の人間じゃないのか?」


 そのまま、ゆったりとした足で二人の方へと歩み寄る。夏樹は、笹山から一瞬目を逸らすと、掴み掛かろうとするガクを牽制して、真っ直ぐに口を開いた。


「貴方の言うとおり、全ては僕の所為だ。けど、後悔などしていません」

「……嘘が下手だな、君は」


 笹山は苦笑した。ガクに促され、駆け足で教室へと戻る二人。その背遠ざかってゆく後を眺めながら、笹山は叫びを上げた。


「8月1日、14時!」

 振り返る二人。


「その日の映像を、確かめてみると良い。素敵な物が見れる筈だ」


 返事をする事もないが、一応、笹山の指定した時間帯をメモするガク。


「君がどのような末路をたどるのか、楽しみにしているよ、大澤夏樹くん」


 力無く笑う笹山を、雲の隙間から差し込んだ太陽光が照らした。その言葉に何も返すこともないまま、二人は教室に戻る。しばらくの間立ちすくむと、笹山はゆっくりとした足取りで歩き始めた。


 その最中、夏樹達と入れ違いになる形で、パラパラと、体育の授業を待つ女子生徒達が笹山の横を通り過ぎていく。


「さっさーじゃん。なんか元気なさげじゃね?」

「先生、こんにちは!」


 体操着袋を持ったまま、踊るように歩く女子生徒達が笹山に話しかける。


「ああ、こんにちは。皆は文化祭で何やるか、決まったのかい?」


 青い声を上げながら、女性生徒達は思い思いに、「うちらはお化け屋敷!」「ジェットコースター!」などと声を上げながら更衣室へと走っていく。


「そうか、それは良いね」


 笹山は、大きく深呼吸をすると、ぽつりと、まるで晩御飯のメニューをねだる幼子のように、


「僕も、見たかったなあ」


 と呟いた。

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