第3話 心のよりどころ

「遅い。何をしていた」




 個室と見せかけて、エヴァンジェリンとグレアムの部屋は隠し通路で繋がっていた。もちろんグレアムの指示によって、だ。


 エヴァンジェリンは俯きながら彼の前に立った。




「ごめんなさい。少し、階段を上るのに時間がかかって……」




 するとグレアムは顔をしかめて、はぁとため息をついた。




「つまらない言い訳はいい。お前は、自分が何をしたかわかっているのか」




 エヴァンジェリンは胸の動悸を抑えながら、先ほどと同じ事を言った。




「私……ココさんには何もしていません」




 グレアムはうんざりしたように眉をひそめた。




「そんな事はいい。俺はお前に、何を命令したか、覚えているか」




「……クラスメイトには関わらず、授業だけ受けるようにと」




 グレアムはくっと唇を噛んだ。




「そうだ。余計なことはするな。俺は忙しい。仕事を増やさないでくれ」


 


 言いながらも、グレアムの顔に苛立ちと焦りが浮かぶ。




「時間がないんだ……! 俺の目的は、お前にもわかっているだろう」




 彼の焦りをやわらげなければと、エヴァンジェリンはうなずいた。




「ええ。わかっています。だから私は……」




 エヴァンジェリンは手のひらをぐっと握りこみ、そこに全神経を集中させた。指の関節がぱきんと鳴り、額に汗が浮く。そしてやっと、手の中に光が生まれる。




「守護を具現化、できるように――っ」




 しかし、エヴァンジェリンの頑張りはそこが限界だった。手からふっと光が消え、眩暈がおこってソファに手をつく。魔力を一度に使い過ぎて、頭がぼうっとする。


 しかしそんなエヴァンジェリンの肩をつかんで、グレアムはゆすぶった。




「それっぽっちでは、話にならない!」




「努……力は、しているのです、が……」




「もっと努力しろ! 俺は……今度こそココを救わなくてはいけないんだ!」




 もう、身体に力が残っていない。グレアムの焦る声を聞きながら、エヴァンジェリンの頭は疲れにぼうっと霞がかったようになる。




「ごめ……なさい、私、もう」




 切れ切れにそう訴えるエヴァンジェリンに、グレアムは容赦なかった。




「使えない木偶が……っくそ、お前を婚約者にすることで、こんなトラブルが起きるとは」




 爪を噛みながら、彼は目を細めた。何かを考えるときの彼の癖だ。




「私、ココさんには……なにも」




 それでも無実を訴えるエヴァンジェリンを、グレアムはとうとう怒鳴りつけた。




「だまれ。俺が考えているんだ!」




 グレアムは乱暴にエヴァンジェリンの肩を離し、ソファへと放った。ドサリとエヴァンジェリンの身体が倒れる。憎々し気に、グレアムはつぶやく。




「けれど、お前の力が必要なのは確かだ……お前をここに連れてきたのは、人間ごっこをするためじゃない。ココの代わりに死んでもらうためだ。わかってるのか」




 氷よりも冷たい目で、グレアムはエヴァンジェリンを見た。




「くれぐれも、もう余計な事はしてくれるな。特に、ココとの接触は禁じる」




「はい――ご主人さま」




 エヴァンジェリンは為す術もなく頭を垂れた。すると、グレアムの手がぎゅっと痛いほどにエヴァンジェリンの手をつかんだ。そこからグレアムの魔力が流れ込んでくる。


 すると、エヴァンジェリンの頭の霞はすっきりと晴れ、手足にも一時的に力が戻ってきた。




「魔力補給を、ありがとうございます」




 礼を言うエヴァンジェリンには目もくれず、グレアムは部屋を出て行った。




「ほとぼりが冷めるまで、お前はしばらくここで謹慎だ。俺は夜だけ戻る」




 バタンとドアが閉められて――エヴァンジェリンはほっとしていた。




(よかった……グレアム様に、捨てられなかった……)




 エヴァンジェリンは、人間ではない。 


 グレアムがココを救うために、禁じられた魔術によって作りだした、人造人間ホムンクルスだった。


 グレアムが魔力補給をしてくれなければ、エヴァンジェリンは魔法を使うことも、ものを考えることも、動くこともできない。


 エヴァンジェリンが動き続けるには大量の魔力を必要とするので、グレアムは魔力補給を効率化していた。つまり、皮膚の接触で簡単に魔力を分け与えられる魔法陣を独自に開発し、エヴァンジェリンに埋め込んでいる。


 毎晩同じベッドに寝て大量に魔力を補給してもらっても、時々さきほどのように一時的な補給が必要になる。


 だから、彼に見捨てられることは、エヴァンジェリンにとっては死を意味していた。




(ああでも……もっと力を使えるように、身体を、鍛えないと……)




 そう思いながら、エヴァンジェリンはソファから立ち上がった。するとその時、窓辺につるしていた籠がかたかた揺れた。




「ピィピィ……ごめんね」




 極彩色の羽をもつ、エヴァンジェリンの飼い鳥・ピィピィを、籠から出してやる。




「ご飯の時間だったね」




 チチ、と鳴きながらピィピィがエヴァンジェリンの肩に乗った。彼はいつも、エヴァンジェリンがごはんを用意するのを、こうして礼儀正しく待ってくれる。


 いつも通り、エヴァンジェリンは窓辺から黄色いバナナをもってきた。




「一緒に食べましょう」




 さきほどグレアムが座っていたソファに腰かけ、エヴァンジェリンはバナナの果肉をピィピィに差し出し、自分も一緒に食べる。


 バナナの柔らかな甘みが、口の中に広がる。馴染みの味が舌の上を通過して、喉へと落ちていく。


 ふいにまた涙が出そうになって、エヴァンジェリンは必死でバナナをもう一口かじった。


 そんなエヴァンジェリンを、心配そうにピィピィは見上げた。彼は心配性なのだ。




「大丈夫よ、ピィピィ。バナナ美味しいね」




 キュル、と一声鳴いて、ピィピィは食事に戻った。


 これが、エヴァンジェリンとピィピィの、いつもの夕食だった。


 今頃グレアムは、ココやクラスメイト達と大広間でミートパイやステーキなどの、豪華な食事をとっているのだろう。




(でも……いいの。私はバナナが好きだし、ピィピィが一緒に居てくれるもの)




 バナナは、食べやすく栄養価も高い。最初体が不安定で食事を上手く摂れなかったエヴァンジェリンが、唯一食べられたものなのだ。


 それ以来、グレアムの命令もあってずっとバナナを食べ続けている。エヴァンジェリンと食事を共にしたくないグレアムにとっても、その方が都合がよかったんだろう。




「ほおらピィピィ、つなひきしましょう」




 食べ終わったバナナの皮で、エヴァンジェリンはいつもこうしてピィピィと遊ぶ。ピィピィがそれに飽きたら、皮を屑籠にすてて、明日食べるぶんのバナナを温かい窓辺に出しておく。


 こうすると、明日には甘くなっているのだ。自分とピィピィの分のバナナを窓辺に並べて、エヴァンジェリンの顔にやっとほのかな笑顔が戻ってきた。




(よかった。明日もピィピィと、バナナが食べれる)




 それだけが、エヴァンジェリンに持つことが許された、ささやかな幸せだった。




(綺麗なブレスレットも、素敵なおともだちも、いらない。私はピィピィとバナナがあれば、それでいいの)

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