第2話 ひとりぼっち
(あぁ、私……。)
人目のない廊下にくると、必死で力を入れて歩いていた膝が、かくかく震えだした。エヴァンジェリンは壁に手をついて、自分を落ち着かせるように深呼吸を繰り返した。
エヴァンジェリンは、生まれつきあまり身体が強くない。少しの事で眩暈がしたり、倒れてしまったりすることもある。けれどさすがに、今日こんな場所で倒れるわけにはいかない。
惨めすぎる。
(こわかった……よく知りもしない人に、責められて、みんなに囲まれて……)
アレックスの言う通り、あのクラスにエヴァンジェリンの味方は誰もいなかった。アレックスに責められるエヴァンジェリンが、耐えかねて泣きだすのを、いまかいまかと残酷に待っているかのような雰囲気だった。
(私……そんな事、していないのに。一瞬で……みなさんに、嫌われてしまったのね)
一年次からずっと一緒ではあったけど、エヴァンジェリンはクラスメイトたちには、ちっとも信用されていなかったようだ。
(それも仕方ない。私、グレアム様以外の人とはあまり関わってこなかったから……でも)
本当は、エヴァンジェリンもクラスの皆と一緒におしゃべりをしたり、仲良くなったりしてみたかった。しかしグレアムとの『約束』の手前、それは許されなかった。
そのグレアムも、婚約者といえどエヴァンジェリンを愛してくれているわけではない。二人の間にあるのは、愛ではなく契約だけだった。
(ほんとうに、私ってひとりぼっちなんだ……)
こらえていた気持ちが、一人になってどっと襲い掛かる。涙が出そうになったその時。
「ハダリーさん、大丈夫?」
名前を呼ばれて、エヴァンジェリンははっと振り返った。そこにはクラスメイトの一人、ディック・イーストが立っていた。
「泣いてたの……?」
心配気にそう聞かれて、エヴァンジェリンはあわててうつむいた。
「あ……わ、私はなにも」
「ひどいよね。誰かわからないけど……大人しいハダリーさんが、あんな大胆な嫌がらせするわけないのに」
「え……なんで、信じてくれるんですか……?」
クラスに、そう思ってくれている人がいたのか。意外なのとほっとしたのとで、エヴァンジェリンの身体の力は少し抜けた。
「ハダリーさん、いつも首席か次席だし、ふつうに頭いいでしょ。もしするとしたら、もっと上手く嫌がらせするよね。あんな子どもじみたやり方、ありえないよ。それに……」
ディックは黒い眉をひそめて首をかしげた。頬まで伸びた黒髪がさらりと揺れる。
「人の婚約者に手を出しといて、被害者ヅラしてるココ・サンディもどうかと僕は思うけど」
その言葉には、エヴァンジェリンは静かに首を振った。
「それは、いいんです。別に……」
「ずっと思ってたけど……なんでハダリーさんは、あの二人の仲を許してるの?」
「……私にどうこう言う権利はありませんから。でも……」
これ以上質問が続くと困るので、エヴァンジェリンは一歩下がって軽く礼をした。
「気にかけてくださって、ありがとうございます。少し……気持ちが楽になりました」
「そう? でも……次なにか言われたら、僕が一緒に抗議しようか?」
エヴァンジェリンは静かに首を振った。するとディックはわずかに苦笑した。
「君は本当に、なかなか本心を見せないね。5年間、同じクラスだったけど、まだ俺のこと、信用できない?」
「そ、そんなことは、ありません……」
「まあ、何かあったら、また声をかけて。気持ちを楽にするくらいなら、俺にもできるから」
その言葉を、エヴァンジェリンはありがたく受ける事にした。
「……ありがとうございます、イーストさん」
すると彼は茶目っ気を出して、腕をまくってみせた。
意外とその腕は太く、うっすらと筋肉がついていた。
「こう見えて、俺、決闘技クラスに入ってるんだ。腕っぷしも立つと思うから、いつでも頼ってよ」
彼と別れて、寮に続く階段を上りながら、エヴァンジェリンは重いため息をついた。
(親切な人だけど……あまり寄りかかっちゃ、ダメ)
そう、グレアムには、クラスメイトと必要以上に親しくすることを禁じられているのだ。彼の命令は、守らなくてはいけない――条件反射的にそう思って、エヴァンジェリンははっとした。
(でも、グレアム様はさっき、私に失望したって、おっしゃってた)
もしかしたら、捨てられてしまうのかもしれない。そう思いながら、エヴァンジェリンは一人階段を上り、自室のある北寮へと向かった。
――この学園の寮は、出身地ごとに東西南北4つに分けられており、グレアムなどの名門魔術師の家門の人間は北寮に多く属する。当然エヴァンジェリンもグレアムと同じ北寮だ。
寮は通常は相部屋で振り分けられるが、グレアムはこの魔術界の重鎮、トールギス家の筆頭子息という事で特別に個室があてがわれていた。
当然、その婚約者と決められているエヴァンジェリンも、一年次から自分専用の広い個室が用意されていた。
しかし――だからといって、エヴァンジェリンに自由があるわけではなかった。
震える手でエヴァンジェリンは、自室のそのドアを開けた。
すると暖炉の前に、グレアムその人が座っていた。
高貴に整った、いかにも怜悧な顔立ちが、苛立ちに歪んでいた。
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