真白くんは染められない

そばあきな

真白くんは染められない

 染井そめいくんと会ったのは、ある春の放課後の美術室だった。


 人に会いたくなくていつも逃げ込んでいた美術室に、一体何の用だったのか後から入ってきたのが彼だった。

 電気も付けていなかった美術室に佇んでいた僕の姿を、やって来た彼の目が映った時に「マズイ、見つかった」と、サッと血の気が引いた気がした。


 僕は、自分の姿を見た誰かの反応を見るのが一番嫌いだった。


 驚く、気味の悪い表情で後退る、逃げ出す。

 まるで化け物でも見たかのような反応をされた時、僕はしっかりと傷ついてしまう。


 だから人目のつかないように隠れようと思っていたのに、と後悔してももう遅かった。


 しかし、大体の人は僕の姿を見て、驚くか気味の悪い表情で後退ってしまうのに、彼が見せたのはその反応のどれでもなかった。


 まるで、今晩のご飯が自分の好物だったと分かった時のような。

 あるいは欲しかったものが突然目の前に現れた時のような。


 目をキラキラとさせて、という表現がまさに適切だった彼は、僕としっかり目を合わせて口を開いたのだ。


「俺の絵のモデルになってくれ!」


 最初は、何を言われたのか理解できなかった。

 その後、彼は頼んでもいないのに自己紹介を始め、目の前で喋る彼が染井くんという、今年の春に入学してきた一年生だということを知った。


 正直、初めは断ろうと思っていた。

 だけど、僕の姿を見た彼の反応が今までの人たちと違っていたから。


 そして「絵のモデルになってほしい」と言われた僕は、今日も今日とて、染井くんの絵のモデルをしている。


 ⭐︎


 僕と彼しかいない美術室には、今日も彼の鉛筆の音だけが響いている。

 指定された窓際に座る僕の背中には、まだ見頃といえる校庭の桜があった。

 染井くんはその景色をキャンパスに描き込んでいるのだ。


真白ましろ、途中だけど見てみるか?」

 しばらくたった頃、そう言って染井くんはキャンパスから絵を取って僕に見せてくれる。

 窓の外の桜も細かく描き込まれていて、思わず感嘆の声が漏れてしまった。

 そんな僕の反応を見て、染井くんが満足そうに頷く。

 でも、と僕は申し訳ない気持ちで口を開いた。


「でも、あまり人には見せない方がいいかもね。幽霊画だと思われるから」

「そうか? ……途中にしてはいい出来だと思うんだがなあ」


 どうやら染井くんは、絵の出来が悪いから幽霊画に見えるのだと受け取ったらしい。

 そうじゃないんだけどな、と思うけれど、それは口にしない。


 彼の絵の中心に立つ、髪に色の塗られていないの少年を見て、これが現実の風景だと受け取ってくれる人は少ないように思う。


 綺麗な絵だ、間違いなく。

 ただ、僕の存在が必要なようにはどうしても思えなかった。


 僕がいることで、どこかファンタジーめいてしまった彼の絵から視線を外す。


 この髪色のせいで奇異の目をずっと向けられ続けていた。

 怯えられて逃げだされた方がまだマシだ。異端だと排除されそうになったこともあって、そちらの方がよっぽど辛かった。


 染めてやるよと押し付けられた絵の具の色も、ぶつけられた墨汁の色も、全部覚えている。


 もしかしたら目の前の彼も、いずれ気味が悪いと豹変するのかもしれない。


 そう思い、彼の目を覗いてみるが、当の彼は本心から僕をモデルに絵を描いているのを楽しんでいそうだったので、そういえば噂で耳にした彼はこんな感じだったなと思い直した。


 染井くんのことは、美術室にいる時に誰かの噂で聞いたことがあった。

 曰く、幼少期から絵画教室に通い、数々の賞を取ったことのある天才芸術家なのだと。


 ただ、芸術的観点でなら優秀な生徒だけど、それ以外のことには興味がなく、性格もかなりクセのある男子のために、周りもどう接していいか悩んでいるらしい。


 だから毎日のように彼が美術室に入り浸っていても誰も訪ねて来ないし、呼ばれた誰かが来ることもないのだ。


 そういえば、最近彼は周りから「毎日のように美術室に入り浸って、一人で喋りながら絵を描いている変わり者の芸術家」だと思われているらしい。

 入学早々とんでもないあだ名つけられてるなという感じだけど、彼のあだ名の原因は僕のせいでもあるので、少しだけ申し訳なく思った。

 おそらく、彼本人はあまり気にしてはいないだろうけれど。


 もう少し描き込むか、とキャンパスに絵を戻した彼が、何かを懐かしむように目を細める。


「久々なんだよ。大体のものは描き切っていて、最近は興味を引いたものも、描きたいモデルもなくてくすぶってたんだ。でも真白を見た時、久々に『これだ!』って思ったんだよ」


 確かに開口一番「絵のモデルにさせてくれ!」と握手しそうな勢いで迫られた時はどうしたのかと思った。

 彼の反応は、そういった理由からだったらしい。


 惚けたような表情で染井くんは口を開く。


「四季折々の季節で真白をモデルにしてみたいな」

「一年中僕といる気なの?」


 そう冗談めかして言うと、「そうだが?」と当たり前のような表情をされたので、逆にこっちが驚いてしまった。

 

「あんまりそういうことは言わない方がいいと思うよ」

「幸運なことに言う相手はそんなにいない。だから安心しろ」


 それは安心できることじゃないけど、と伝えると「まあ俺は友達を作りにこの高校に入った訳じゃないしな」と返ってきた。


「あと、髪染めたら俺が泣くからな」

「なんで染井くんが泣くんだよ」

「だってそうだろ。今の真白が描けないなんて絵描きの名が廃るぜ」


 その言葉を、あの時に誰か一人にでも言われていたなら、何かが変わったのだろうか。


 でも、と彼が本心から嬉しそうに笑みを浮かべる。


「真白に出会えただけでも、俺はこの高校に入ってよかったと思うよ」

「……大袈裟だなあ本当に」


 本当、僕と早く出会ってくれていたならな、と心から思う。



 絵描きとモデルの距離をきちんと測ってくれる彼は、今日も僕がこの美術室で昔いじめの果てに自殺しただと気付かない。

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