薄く微笑む

次の日。いつも通り登校して、いつも通り席に座る。

「颯、おはよ」

「ん゛っ…」

これだけはいつも通りじゃない。律が挨拶してくるのなんて前世では当たり前だったけど、今世ではそんなこと全然ない。奇声を発してからだんまりな俺を、彼女は怪訝な顔をして見上げている。やばい早く答えないと。

「おはよう、九条さん」

「なにそれ。律でいいよ」

「えっ」

「嫌なの?じゃあいいけど」

「違います全然嫌じゃないです」

「ふうん。好きにしたら」

素っ気ない返事をして、手元の小説を開き視線を落とす律。凛とした美麗な顔立ちは、まさにクラスの高嶺の花。爽やかな群青色の瞳と、艶やかな長い黒髪。青いゴムを用いてきゅっと高く一つに結ばれている。一見すると皆構えてしまうのだが、彼女の言動の隅に少しづつ優しさが漏れているのを皆知っている。まだ入学したてでクラスの絆もあまり無いが、彼女は皆一目置く存在。男たらしだとか、気取ってるとか女子は陰口を叩くけど、彼女たちも律の優しさに当てられると何も言えなくなってしまう。ただ不器用なだけなんだ、だって彼女は天邪鬼だから。


そして放課後。今日は剣道部は部活実施日なのにも関わらず、顧問の先生が不在。先生が居なくてもできると皆思ったが、前にそれで怪我をした先輩がいるらしいから、今日は休みになった。全く、先生が居なくても部活出来なきゃだろ、過去の先輩よ。俺ははあ、とため息を吐きつつ、放課後の学校内を歩いた。

すぐに帰るのもなんだかつまらないと思ったので、俺は適当に図書室へ寄ってみた。いつもクラスの男子とわいわい大はしゃぎしている俺だから、こんな場所なんてほぼ無縁だ。休み時間に立ち寄ることもなければ、本を借りたことさえなかった。あれ、中学校の時も確かそうだったな。

図書室の中へ入ると、なんだか空気が穏やかになった気がした。他の部屋とは違う、本と紙の匂い。俺は適当に本棚を見て回り、とある背表紙が見えたところでぴたっと止まった。

「これって、」

今朝律が手にしていた本と同じもの。タイトルがちょっと渋かったからよく覚えている。「蒼鷹ー幕末を生きた紅一点ー」多分これフィクションでは無さそう。俺は手に取ってぱらぱらと捲ってみた。尊王攘夷やら戊辰戦争やら、長州薩摩、新撰組といった単語がよく見つかる。いかにもザ・幕末って感じがした歴史小説だ。

俺はあまり歴史には疎いので、適当にまたぱらぱらしていると気になる文章が目に飛び込んだ。

「このように戊辰戦争で新政府軍遊撃隊隊長として活躍した彼女。彼女はのちに生まれ故郷、大阪・岸和田へと帰り、郁馬颯という男性と暮らしたという」

え、まってこれ律の事なんじゃ?ばっちり俺の名前出てきちゃってるじゃん。「蒼鷹」って、うちの奥さんの事だったのか。そんなかっこいい二つ名があるなんてこれまで一回も聞いていないし、俺も聞かなかったな。戦争の事だったし、彼女にはあまり思い出したくないこともあったかもしれない。

そう思いながら次のページを捲ると、そこにはモノクロの写真が載っていた。

あ、これ、初めて写真を撮ったときのやつだ。たしか新撰組の…近藤さんが「魂を抜かれる」ってびびり散らかしてたっけなあ。あの時俺と律と凪の家族写真も撮ったんだよな。案の定、そこには緊張でがちがちになった凪と、申し訳程度の微笑みをする俺。そして、ふんわり優しく微笑む律の、仲睦まじい家族の姿があった。

「懐かしいな」

俺はふっと微笑むと、居眠りしている図書委員をつんつん突いて起こした。その図書委員にさっきの本を渡して、「借ります」とだけ伝える。彼は分かりました、と店のレジのようにピッとバーコードを読み取って俺に本を手渡した。そこまでは普通だったが、その顔に俺は、ひどく見覚えがあった。

「その人、とっても素敵ですよね。私も何回も読んだんです」

「え…」

「あはは、その反応だと、私が誰か分かるみたいですね?颯さん」

「そりゃあもう、ね。というか仲間がいるとは」

俺はそう言って、図書委員の彼にふっと笑みを零した。彼もからからと無邪気に笑い、男にしては珍しい一つ結びの短い髪を揺らした。

彼の制服のネームプレートには、沖田とある。

「私の名前は沖田おきた そうです。総司、ではありませんよ」

「総司になってくれれば呼びやすかったのにな、」

「ですね~」

はい、幕末の仲間発見。図書委員になって居眠りしてるなんて思ってなかった。今のは本当にびっくりした。しかし総司くん…いや総くんも前世の記憶がある仲間だなんて思ってなかったな。


また逢って話そう、そう思いながら玄関を出て空を見上げる。帰ろうと思ったけど、生憎大雨が降っているみたいだ。曇天の空は仄暗く、ぱらぱらと雨が絶え間なく降り続けている。折り畳み傘があるからぎりぎりセーフ。そう思った時だった。

「雨降ってる…」

背後からいつものあの声がして、俺の隣に律が立った。

「傘、貸すぞ?」

「それじゃあ颯濡れるでしょ。走って帰る」

「それだと風邪ひくだろ」

「それは颯も一緒」

律はちょっと俺の顔を上目遣いで見上げて、かわいく(俺にとっては)抗議した。でも傘を貸さなかったとして、律が風邪を引いてしまったらとても寝覚めが悪い。しかしそれは律も同じか。そう考えてうんうん唸っていると、律が俺の手から傘をひょいと奪った。それから傘を開いて、俺に手招きをした。

「それなら、一緒に帰るよ。家どっち?」

「え、あっち」

「一緒だね。じゃあ丁度いい」

それって相合傘じゃ…と思ってちょっと恥ずかしかったけど、俺は耐えながら傘に入った。傘に入ると肩と肩がぶつかるくらいの距離で、律の黒髪からふんわり優しい匂いがする。なんだかとても懐かしくなって、俺は思わず手を組みそうになって慌ててやめた。その時に律に「傘持って」と言われて左手に傘を持つ。はあ、危ない危ない。ほっと胸をなでおろしながら、彼女の歩幅に合わせて歩く。しかしもうすぐ家というところで、急に雨足が強くなってきた。俺の小さな折り畳み傘は何処まで耐えることが出来るのか、そう思った矢先。道路の脇にできた水たまりの上を、車のタイヤが思いっきり通っていく。不運にもその水飛沫は俺たちにかかり、せっかく二人で差した傘は無意味となった。

「結構濡れたね」

「結構どころか、めっちゃ濡れたな」

「それって何が違うの?」

「俺も分からん」

このまま帰れば律は風邪を引くだろう。彼女の家はまだみたいだし。仕方なく俺はすぐ右手に見える自宅を指さしながら、彼女に向かって口を開いた。

「風邪ひくだろ、ドライヤー貸すぞ」

律は暫く俺の目を見つめ、いつものように静かに瞬きをした。

「そうだね。今日はお言葉に甘えるよ」

そう言って、彼女は唇に淡い微笑を刻んだ。

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