オレンジ色の研究

青樹春夜(あおきはるや:旧halhal-

オレンジ色の研究


 それは事故だった。


 夜のトンネルの中、彼氏と喧嘩でもしたのか彼女は一人歩いていた。


 なぜ? 


 としか言いようがない。


 なんで深夜にこんな所を人が歩いていたのか?


 不幸にも僕はその人を車で撥ねてしまった。


 まさかこんな所に人が歩いているなんて、思いもしなかったのだ。


 真っ白な光の中に浮かび上がる人影は衝撃とともにあっけないほど軽く飛んでいった。


 それはトンネルの壁にぶつかって道路脇に落ちる。


 ——僕のせいじゃない。


 震える手でドアを開けて、様子を見に行く。


 田舎の古いトンネルの中はオレンジ色の光で満たされていた。僕の影は真っ黒に伸びて僕より先に彼女の元に到着する。


 すでに彼女は事切れていた。


 ワンピースにモヤのように血が広がって行く。変な色の血は乗り上げた歩道から流れ落ちた。


 ——田舎の道路だ。誰も見ちゃいない。


 ドライブレコーダーは?


 ——データを消せばいい。


 車体は?


 ——思ったほど傷んでいない。


 僕は車に戻ると一目散にその場から逃げた。





 その日、自宅にいた僕の元に弁護士事務所の者だという二人連れがやって来た。一人はたいそうな美人だったが、もう一人はさえない感じの青年だった。


 青年の名刺には掛川と書いてあった。


 僕が恐れていたこととは違い、例のトンネル事故について証言してほしいということだった。


「証言?」


「ええ、死んだ女性の恋人が犯人と疑われていましてね」


 掛川の説明によると、恋人と喧嘩した彼女はトンネルに入る前に恋人が運転する車から降り、一人で歩いていたらしい。


 恋人が頭を冷やして道を戻ったところ、トンネルの中で彼女の遺体を見つけたという。


 第一発見者である上に直前に喧嘩していたというので疑われているのだという。


 しかも被害者の家族は彼を犯人だと名指しして、その立証のために掛川達を雇っているのだと二人は説明した。


 僕はすまして尋ねてみる。


「車におかしなところはなかったんですか?」


「それがねぇ、どうもドカンとぶつかったんじゃないみたいでして。ま、警察で調べているところなんですけどね」


「なんで僕なんですか?」


「トンネルのずっと前の集落にたまたま防犯カメラのついたガレージがありましてね。かろうじてあなたの車を特定できたのです。——トンネルの中で女性を見かけませんでしたか?」


 もしかしたらこれはチャンスなのではないか?


 掛川達は『恋人』を犯人にしたいのだ。


 僕は、トンネルを通った時に華やかなオレンジと黄色の花柄のワンピースを着た女性が歩いているの見た、と答えた。


「おおっ、いいですね! その時には彼女は生きていたんだ」


「あとはあんまり思い出せないなあ」


 すると掛川の隣にいた美人が明るく話しかけて来た。


「あっ、じゃあよかったら一緒に現場へ行ってみませんか? 何か思い出せるかもしれません。それに私こう見えても運転が上手いんですよ!」




 美女に釣られたわけではないが、運転席に彼女、助手席に僕、後ろの座席に掛川が乗るというシチュエーションはそれなりに僕を満足させた。


 しかし現場に近づくと、さすがに少し気持ちが暗くなる。


 いやダメだ。


 気を抜くな。


 ここで被害者の彼氏への疑惑を深めておくのだ。


 トンネルに入るとオレンジ色の光があの夜を思い出させて少し背筋が寒くなる。


 相変わらず車通りの少ない田舎のトンネルだ。幸い通りかかる他の車も無く、僕らは現場近くに車を停めてトンネルの中を歩いていく。


 誰かが手向けた花束が一つオレンジ色の世界に転がっていた。


「どの辺で彼女を見ましたかね?」


 掛川がのんびりと聞いてくる。


 僕はとぼけて現場より手前をさし示した。


「あの辺かなあ? よくわかりません」


「彼女、どんな様子でした?」


「そうですね……少し俯いて、歩いていたような気がします。僕は彼女の花柄のワンピースが目について、大きくよけて追い越しました」


「花柄のワンピース、間違い無いですね」


「ええ」


「ところで、僕の相方のコート何色に見えます?」


 僕は美女の方を振り返った。


「グレー……でしょう?」


 なんだろう?


 嫌な予感がする。


 そんな色のコートを着ていただろうか?


「残念、彼女が着ているのは真っ赤なレザーコートです」


「赤?」


 嘘だ。


 どう見てもグレーだ。


「オレンジ色の錯視です。このトンネルのオレンジ色の光、ナトリウムランプっていうんですよ。今じゃ古いトンネルでしか見かけないですがね」


 ざわり。


 肌が粟立つ。


「ナトリウムランプはオレンジ色の光を出しています。その光で全てをオレンジの濃淡に色づけちゃうんですけど。問題はね——」


 問題は?


「この光はオレンジ色と黄色を見えなくしちゃうんですよ」


 え?


「被害者と同じワンピースを相方に着てもらいました。ほら」


 美女が意味ありげにレザーコートの前を開いた。


 そこには——。


「単一色のワンピースに見えるでしょう? これでも花柄なんですよ。ということはね」


 ということは?


「あなたはどこで被害者のワンピースの柄を見たんでしょう?」


 僕は、どこで——。


 あの時の光景が蘇る。


 僕は、僕は——。


 僕はがくりと膝をついた。


 掛川の狙いは初めから僕だったのだ。


 掛川の声が降ってくる。


「被害者を撥ねた時、車のライトに浮かび上がった模様を、あなたは覚えていたんです」




 完

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