第6話 営業部長と家族

 土曜日の朝、家族旅行で博多まで新幹線一本でやってきた澤田は、3月中旬から車内全席禁煙になったことで、5時間の我慢を強いられてしまった。ストレスからの猛攻に限界を迎え、着いた駅で発見した喫煙ルームで疲れながら一服していた。


「ったく、分煙すればいいってことじゃなかったのかよ」


 ぼやきながら視界に入らない待合室で自分を待つ妻と3歳の息子のことは忘れ、ニコチンで体を癒やそうとしていた。


「パパまだー?」


 同じ部屋の中で煙草を吸っていた父親が、我が息子と同じくらいの年頃の娘から叫ばれている。父親は焦りながら火を擦り消し、澤田に小さく会釈をしながら喫煙ルームから出て行く。澤田は苦笑いしながら、娘に責められている彼の背中を見送った。その姿を見ていると、どこか情けなく感じてしまう。父親が、喫煙如きであんなに我が子から口で責められているなんて。

 楽しい旅のはずが、すっかり意気消沈しながら待合室で待つ二人のもとに戻る。


「パパ、おかえり」


 息子のケイタは、ベンチの上で靴を脱いで正座をして小刻みに跳ねていた。妻のミエコは興奮を抑えきれないケイタの姿を見て、くすくすと笑っている。ぐったりしていた澤田も、背中を丸めながら見ていると少し心癒やされた気がした。


「行きましょ」


 ミエコが声をかけると、やったー!、と叫びながらベンチから跳ね降りるケイタ。彼がママであるミエコと、パパである澤田の間に入って両手を差しのばす。小さな手を掴み、改札口へ向かう。キラキラとした笑顔につられたような笑いを浮かべる澤田は、時々遠ざかる喫煙ルームを振り返り、赤と黒のチェック柄のシャツの胸ポケットに入れた煙草の箱に眼を向けた。

 その日の夜、繁華街やショッピングモールを歩き回った上に、はしゃぎ疲れたケイタが博多の夜景が壮大に見えるホテルの一室のベッドですやすやと眠っている傍で、澤田はミエコと晩酌をする。


「俺、煙草やめるよ」


 澤田が鞄から、持ってきていた3箱の煙草を握り潰し、近くにあったゴミ箱に捨てた。ミエコは、えっ、と今まで禁煙しないと強がっていた夫の口を疑った。


「ごめん、ミエコ。ごめん、ケイタ」


 結婚から5年、第一子出産から3年。煙草のせいで自分以外の人生を振り回したくないとようやく気付いた澤田は、妻に頭を下げ、息子に頭を下げた。今更なに、と責められても仕方ないと叱責を覚悟したが、ミエコは微笑んだ。


「わかってたよ、申し訳なさそうにしてたのは。それに、ちゃんと私との最低限の約束、守ってくれてたから」


 愛する妻の言葉に澤田は、ありがとう、と小さく声を漏らし、涙を必死に堪えた。仕事が終わると会社の喫煙室でストレスを発散しきり、少し帰りが遅くなっても仕事の愚痴は堪え、耐えられなくなったらケイタのいない2階の自室で吸い、ミエコが結婚時に提示していた、家内に迷惑をかけない意識を持つ、という喫煙ルールを守った澤田は、自らの喫煙人生を後悔した。



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