あんこくさん

水白 建人

第1話

 黒い色は怖いなあって、思いませんか……?

 町を歩いてるとき、ふっと顔を上げて、黒い煙が向こうに見えたら……ああ火事なんじゃないか、誰かが逃げ遅れてるかも……なんて、不安がってしまったり……。

 炊きたてのご飯をよそってもらって、お箸でこう、はふはふ食べてるときに……黒い粒みたいなものが見えたら、ぎょっとしますよねえ……。

 くろごめかなあ、いや小石かなあ……まさか、虫だったり……?

 いやですよねえ……怖いですよねえ……。


 ところが、ですよ……?

 そういう黒さすら嬉しく思っちゃうような……そんな方が、いらっしゃったみたいで……。

 ……あんこくさん、っていうんです……。

 すうっとすみを流したような、長い髪の未亡人です……。

 その方は、黒い色にたいそう目がなくって……住んでいらしたご自宅は、床に、壁に、天井……家具もなにも、もう真っ黒……!

 口にするものだって、なんでも黒く、黒く、色をつけて……そうしないと、のどを通らないほどの偏食っぷりだったとか……。

 あんこくさんは、見た目にもこだわってました……。

 靴や衣服が黒いのはもちろん、両手、両足の爪に、上の歯、下の歯を、すべて……ぞっとするような、黒い色で塗るんです……。

 鏡なんて使いません……たっぷり水を張った黒いおけをこう、ぬうっとのぞき込んで……毎朝欠かさず、ひとーつ……ひとーつ……。


 そんな未亡人生活でしたが、終わりは突然でした……。


 最近、あんこくさんを見ないなあ、変だなあ……?

 あなたも……あなたも……誰も、彼も……!

 あんこくさんとはもう、ずいぶん会ってないと……ご近所の方々が口を揃えて言いだした、ある日のことです……。

 真っ黒なご自宅で、たったひとり……冷たい体になってました……。

 ……どうも、廊下と居間の間にある敷居に、つまずいてしまったらしいんですよ……。

 見誤ったんでしょうねえ……親指ほどもない敷居の高さを……。

 あんこくさんのご自宅は、どこも、かしこも、黒一色でしたから……。


 やれ『あんなに黒くするからだ』『旦那もきっと、黒い色に殺されたんだろう』……ご近所だった彼らはみな、あんこくさんの気の毒な最期を笑いました……。

 ……そうやって、何年も酒のさかなにしているうちに、とんと……笑い声は、聞こえなくなりました……。

 彼らはいつだって、真っ暗な夜の家路を怖がらずに歩いたことでしょう……。

 結果……助かったのは、ひとりの男だけでした……。


 ぺた……ぺた……。

 はて、なんの音だろう……?

 誰か水たまりでも踏んだのか……?


 ……ぺた……ぺた……。

 気味の悪い音は、男の耳から一向に離れない……。

 ああ、男はなんだか怖くなって、後ろの友人たちに尋ねようとしたそうです……。


 ぺた……ぺた……。

 彼らは、点々と……来た道に倒れてました……。

 手も足も靴も服も首も顔も黒く黒く黒くなって……!!


 ……ぺた……ぺた……。

『黒クナレ』

 ぺた……ぺた……。

『黒クナレ』


 ……両膝をつき。

 てらてらと墨を流したような、長い髪で。

 倒れたまま動かない友人の、真っ黒な顔を。

 ……しょうぞくのあんこくさんが!! 塗りたくっていたんです……!!




「――――待って先生、そんなのうそよ。だっておばけが着ている死に装束ふくは決まってだもの。あんこくさんがそんな格好すると思う?」

 ……特別黒い色の死に装束だったんですよ……。

「でしたら怪談自体が嘘だったのね」

 これはまた、おかしなことを……。

なんて着ていたらよく見えないわ。意固地はだめよ? 先生」

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あんこくさん 水白 建人 @misirowo

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