■シーンⅡ 狩涼-Syuryou-

 暗い路地の奥で、氷が砕ける音がこだまする。

 夜闇の淵より昏い眼差しの少女が、氷と共に砕けたモノを見下ろしている。


「馬鹿が。つまらん口上を待ってくれるのは、フィクションの中だけだ」


 名門大学附属中学の制服を僅かも汚さずに獲物を仕留めた狩人は、身長と大差ない大きさの刀を軽々と振り回し、袋小路へとネズミを追い詰め、表情一つ変えずに命を刈り取った。

 椿にとって、屍ですらないNOISEなど、羽虫と戯れる猫の感覚で狩れる獲物に過ぎなかった。


 * * *


 彼女の獲物は、近隣の街に住む一般人のみならず、討伐任務に当たったソルジャー部隊にさえも脅威をまき散らす存在だった。二足歩行をする大型の獣に似た姿をしており、鋭い爪と複数の角で以て、幾人ものソルジャーを葬ってきた危険なNOISE――だったのだ。

 少なくとも、やむを得ず駆り出された椿に、標的として定められるまでは。

 化物じみた肉体強化の力と驚異的な回復力によって、他者を寄せ付けない絶対的な強者の立場を確立していたNOISEは、単身立ちはだかった小娘を新たな獲物だと誤認した。それが、運の尽きだということなど知る由もなく。またも一方的な狩りの始まりだと、愉悦の笑みさえ浮かべた。

 NOISEの元に送られてきたソルジャー部隊は、近隣支部に所属する末端職員であった。それが本来は当たり前で、対策本部直属の上級戦闘員が派遣されるのは稀である。そんな、組織の裏事情など知る由もないNOISEにとって、目の前の少女は満を持して駆り出された精鋭などではなく、ついにろくな人員もなくなった管理局が寄越した、哀れな生贄に映った。


「なんだァ? 今度の獲物はこんなガキかよ」


 品定めするような不快な視線が、ほぼ真上から降り注ぐ。

 NOISEの視線に晒されただけで震え上がる隊員もいたが、椿はじっと光のない目で見つめ返すのみだった。それを必死な強がりと判断したこともまた、彼の大きな過ちだったが、いまとなっては無意味なことだ。


「あーあー、つまんねえなあ。散々ザコ狩りした結果がメスガキのお守りとは。これじゃあ狩りを楽しむヒマもありやし……な、……ッ!?」


 余裕の台詞は、彼を襲った衝撃が遮った。

 いったい、なにが起きたのか。見せつけるように翳していた鋭い爪を帯びた腕が、肘から綺麗に消えていた。斬られた自覚すらもなく、一瞬で。


「そうだな。残念ながら、狩りを楽しむ暇はなさそうだ」


 ぞわりと、背筋を悪寒が走ったのを感じた。

 少女が、ではなく。NOISEが。圧倒的強者であるはずのNOISEが恐れた。

 恐れた。あんな子供相手に。恐れた。恐れた。恐れた?

 視界の端に映る自分の手が、命を刈り取る武器であるそれが、カタカタと小刻みに震えている。そのことを認めたくなくて、NOISEは咆哮をあげた。手負いの獣の細やかな抵抗でしかないそれは、椿を僅かも怯ませることはなく。


「抵抗くらいはしてみせろよ。あたし、弱い者イジメは趣味じゃないんだ」


 低く平坦な声に呼応するかの如く、周囲の気温が見る間に下がっていく。空気中の水分が凍り付き、光を反射して煌めいている。

 精神的な悪寒だけでなく、肉体的にも寒く冷たい。末端から凍てついていく感覚がする。獣の毛皮などでは、どうにもならないほどに。歯の根が合わない。実に不快な音が自分の口元から響いているのを、彼は痛感していた。気付けば、肘からの出血は止まっていた。皮肉にも、彼女のもたらす絶対零度の氷によって。それが彼の寿命を僅かに延ばす羽目となってしまったのは、きっと不幸でしかないのだろう。


「ッざけるなァアアア!!!」


 咆哮と共に振り下ろされた爪は、椿の振う刀によってあっさりと防がれた。

 鞘も刃も柄も全てが白一色の、氷で打ったかのような刀だ。

 ギィン、と耳障りな金属音を伴ってはじき返され、NOISEは目を瞠った。

 フェイントもなにもなく真っ直ぐに、ただ愚直に上から殴りつけるだけの攻撃など当たるはずもないのだが、最早その程度の思考さえ奪われていた。

 攻撃の力を利用していなしたあとの返す刀でいとも容易く残りの腕も切り落とす。吹き出すはずだった血は、無慈悲な氷にせき止められた。


「クソ……ッ!!」


 直後、本能が鳴らす警鐘に従い踵を返して逃げた獣の背を、椿はつまらないものを見る目で暫し見送った。


「クソックソックソッ! メスガキの分際で、巫山戯やがって! 殺してやる!! 殺してやる!! 無様に泣き叫んでも絶対に許さねえ!!」


 沸き立つ怒り煮えたぎる殺意とは裏腹に、体は逃げ続ける。

 切り落とされた両手に張り付いている氷が、じわじわと命を蝕んでいく。


「畜生……畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生ッ!!」


 先ほどまであった万能感は消え失せた。

 嘗ての自分のような、惨めで無様な男の姿が追い縋ってくる。

 支配者となったときに捨てたはずの過去が凍てついた傷口から染みこんでくるのを感じ、NOISEは虚空に吠えた。

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