第十二話 舞台への小さな一歩

前回のあらすじ

 クリストフとチャーリーの華麗な演技にソフィアは拍手を送った。チャーリーは、フェリックスへのジョークをソフィアにことづけた。ソフィアはクリストフとチャーリーに頭を下げ、練習場を後にした。



 木枠きわくとキャンバス地で作られた簡易な長屋式の建物は、屋根は一方向に傾斜しており、雨水を流す設計だ。数部屋に区切られた楽屋の入り口には、団員たちの名前が刻まれた木製プレートが掲げられている。


 ソフィアは「F・ヴァンダーライト」と書かれた部屋の前で足を止め、ドアをノックした。


「パパ、ソフィアよ。練習に来たんだけど、いい?」


 ドアの向こうから、フェリックスの明るい声が返ってきた。


「ソフィア、待っていたよ。さあ、入りなさい」


 ソフィアがドアを開けると、六畳ほどの個室が目に入った。部屋の中央には、鏡台と衣装ラックが置かれ、片隅には簡易ベッドが見える。机の上には、色とりどりのシルクハンカチやコイン、カードなどのマジックの小道具が並べられていた。


 フェリックスが羽織っているのは、ベージュがかった柔らかなカーディガンだ。


 彼の黒髪はやや長めで、自然なウェーブがかかっている。娘を見守る、グレーがかった青色の瞳は優しさをたたえている。


「ねえパパ、さっきチャーリーさんから伝言を頼まれたの」


 フェリックスは興味深そうに眉を上げた。


「ほう、チャーリーから? なんと言っていた?」


 ソフィアはクスリと笑うと、チャーリーの口調を真似て伝言を述べた。


「『チャーリーのピエロ靴で踏んづけちゃうぞ!』だって」


 フェリックスは思わず吹き出し、手をたたいて笑った。


「さすがチャーリーだな。いつも私を笑わせてくれる」


 彼はしばらく娘の喜ぶ姿を微笑ましく見つめていたが、やがて表情を引き締めると、真剣な眼差しで語りかけた。


「ソフィア、舞台に立つという君の夢を、私は応援する。まずは、サイドショーで舞台に立つことから始めよう」


 ソフィアは父の言葉に、心の底から喜びを感じていた。サイドショーへの出演は、彼女の夢への小さな一歩に過ぎないかもしれない。けれど、その一歩を踏み出すことができるだけでも、これまでの練習と努力が報われた気がした。ついに、あこがれの舞台に立てるチャンスが巡ってきたのだ。


 思わず両手を握りしめながら言った。


「本当? やった! ありがとう、パパ。ずっと待っていたの」


「でも、その前に大がかりなマジックの難しさについて話しておきたい」


 フェリックスは、ソフィアを鏡台の前の椅子に座らせると、自身は衣装ラックに寄りかかった。彼は、舞台マジックに必要な要素を挙げていく。


「舞台マジックでは、大規模な装置や複雑な仕掛けを用いるんだ。トリックの規模が大きくなればなるほど、完璧に演じ切ることが難しくなる」


「観客との距離が近いと、タネがバレてしまうリスクも高い」


 ソフィアは、今まで漠然と憧れていた舞台マジックの世界の奥深さに、改めて畏敬の念を抱いた。


「だからこそ、サイドショーではシンプルなマジックをする必要があるんだ」


 フェリックスはそう言って、机の上の小道具に手を伸ばした。


「コインマジック、カードマジック、それにシルクマジック。どれがいいかな」


「シルクマジックがいいな。色鮮やかなシルクの動きが、とっても美しいんだもの」


「団長の得意技なんだよ、シルクマジックは。ほら、よく見ていて」


 フェリックスは鮮やかな赤いシルクを手に取ると、優雅な所作で演技を始めた。生き物のように動く赤いシルクは、一瞬で姿を消し、次の瞬間には青いシルクに変化して現れた。

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