シルクハットをかぶったマジシャン

マジック使い

第一章 公演の幕開け

第一話 シルクハットをかぶったマジシャン

 一八七六年の春、フランス北部の都市リールに、サーカス団の到来を告げるファンファーレが響き渡った。赤と白のストライプを基調としたデザインの馬車が先頭に立ち、「ルナ・カーニバル」の文字が鮮やかに輝いている。続く荷車の列が、石畳の道を軽やかに進んでいく。


 通りすがりの人々は足を止め、好奇心を抱きながら行列に見入った。子供たちは興奮し、駆け寄っては団員に手を振った。大人たちも物珍しそうに眺めながら、サーカス団の到来に胸を躍らせていた。織物工場に勤める労働者は、日常から離れたひとときに思いをせ、富裕層の子女たちは、ショーへの期待に頬を紅潮させた。


 サーカス団は、リール郊外の広大な公園の一角に到着すると、てきぱきと準備を始めた。団員たちは手際よくテントを設営し、ガス灯に火を灯して舞台を整えていく。やがて、公園の一画に、赤と白のストライプが美しく織りなす巨大テントが姿を現した。


 公演初日の夕刻、本営テントの前には、期待に胸を膨らませた老若男女の長蛇の列ができていた。月のマークが目印のチケット売り場の窓口では、人々が身を乗り出し、開演の時を今か今かと待ちわびている。


 いよいよ開演の時を迎え、観客たちは大きなテントの中へと吸い込まれていく。チケットを片手に客席へ向かう人々は、通路の両脇に並ぶキャラメルやポップコーンの屋台に心惹こころひかれながらも、テントの中央にそびえ立つ舞台へと足を速めた。


 テントの中は別世界のようだった。天井から吊るされたガス灯が放つ柔らかな光に包まれ、観客席からは期待に満ちた興奮のざわめきが漏れ聞こえる。


 しばらくすると、高らかに響き渡るファンファーレの音色と共に、団長エドワードがガス灯の光に照らし出されて舞台に現れた。その姿に、割れんばかりの喝采が沸き起こった。


「皆様、本日はルナ・カーニバルにお越しいただき、誠にありがとうございます。私たちは、世界中から集めた稀代きだいの才能による、他に類を見ない素晴らしいショーをお届けします。どうぞ、存分にお楽しみください!」


 団長の言葉に、観客席からは大きな歓声が上がった。いよいよ、夢と感動に彩られた一夜の幕が切って落とされる。


 最初のパフォーマンスを飾るべく、一人のマジシャンが舞台の中央に姿を現した。彼のシルクハットは真っ赤で、ガス灯に照らされてまるで宝石のように輝いていた。


 彼は、観客たちの拍手に合わせて、ゆっくりと中央へと歩みを進めた。その足音は、観客をときめかせるリズムを刻んでいた。彼はステージの中央に立ち、深々とお辞儀をした。


 真っ赤なシルクハットに、ワインレッドのタキシードを身につけたその姿は、まるで闇夜に浮かび上がる紅い薔薇ばらのようだった。彼の瞳は深く澄んでおり、その表情からは自信と余裕が感じられた。長身でスラリとした体型は、優雅さと気品を醸し出していた。


「皆さん、こんばんは! 私はフェリックス・ヴァンダーライト、今宵はマジックの世界へご招待します。さあ、一緒に夢と驚きに満ちた時間を過ごしましょう!」


 彼の声は、優しさとカリスマを兼ね備えていた。その声に、観客は心を奪われ、会場には深い静寂が訪れた。フェリックスは、真っ赤なシルクハットを手に取り、見せびらかすように振りながら、観客に向けて微笑んだ。


「皆さん、魔法の扉を開く時が来ました。私と一緒に、驚きと感動に満ちた世界へ踏み出しましょう!」


 彼の言葉に、会場はざわめきに包まれた。子供たちの瞳は好奇心に輝き、身を乗り出して次の瞬間を待ちわびた。大人たちも、日常から解き放たれたかのように、心躍らせながらフェリックスの動きを見守っていた。


「ルーメン・アルバス、光の翼持つ者よ、今その姿を現せ!」


 フェリックスが魔法の言葉を唱えると、シルクハットから光をまとったような白いハトが飛び出し、優美に舞台を飛び回った。フェリックスは微笑みながら、手にとまったハトを観客に見せ、


「魔法の世界へようこそ!」


と宣言した。


 彼はステージ上で存在感を放ち、温かみのある声で観客に語りかけながら、手にとまった白いハトをいとおしむようになでた。


 舞台の灯りは彼を中心に照らし、真っ赤なシルクハットを際立たせていた。彼の周りには、ガス灯の揺らめきが妖しくも美しい雰囲気を醸し出し、彼の言葉と共に観客を夢と魔法の世界へ誘っているようだった。


 その後、フェリックスはさらに驚くべきトリックを披露した。彼が再びシルクハットを振り回すと、会場は息をのむほどの期待に包まれた。


 するとまず、シルクハットから白いウサギが飛び出し、ステージ上を軽やかに駆け回った。続けて彼は帽子に手を入れ、次々と色とりどりの花々を取り出した。ウサギの愛らしさと花々の美しさに、観客席からは歓声が沸き起こり、大きな感動の波が会場全体を包み込んだ。


 ウサギが跳ねるたびに、子供たちは目を輝かせ、驚きと喜びに満ちた表情を浮かべた。その無邪気な笑顔に、親たちは我が事のように喜び、子ども時代には味わえなかった不思議な体験を共有できる幸せを感じているようだった。


 一方で、舞台の魔法に魅了された観客の中には、身を乗り出してステージを凝視し、フェリックスの手元を注意深く観察する者もいたが、その巧みな手さばきはトリックの秘密を明かすことを許さなかった。


 フェリックスのパフォーマンスが終わると、会場からは拍手が巻き起こった。感動で涙を浮かべる老婦人がいる一方で、熱狂的に口笛を吹く若者の姿もあった。中には、感心しながらも隣人とトリックの種明かしをささやき合う者もいた。


 フェリックスは、それぞれの反応に心から感謝の意を示し、最後には大きな拍手と共に颯爽さっそうと舞台を後にした。

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