10

 お前、バカだな。

 兄貴は、そう笑った。

 「分かってるよ、それくらい。分かってた。前から。」

 「……うん。」

 むしろ、それでよかったと思わなければならないだろう。こうやって抱きあって、子どもも残せてしまう性別だったら、多分俺は、溺れた。後先も、なにも考えずに。

 「バカだな。だから、俺みたいなのに付け込まれるんだよ。」

 付け込まれる。

 その言葉には、違和感があった。俺は、兄貴に付け込まれた覚えはなかった。自分の意志でこうなった、とまでは言えないけれど、そう言うには、最初のキスも二度のセックスも、兄貴主導で行われていたけれど、それでも、付け込まれた、とまでは言えない気がした。

 「……うん。」

 それでも頷いたのは、他にどうしていいのかが分からなかったからだ。今、兄貴と俺の真ん中にある、蟠った感情と時の出来損ないを、どうやって始末したらいいのかが分からなかった。

 煙草をくわえたまま、兄貴が笑った。今度の笑みは、見慣れた兄貴の顔だった。ずっと昔から、兄貴はこんなふうに、眩しそうに目を細めて笑った。

 「帰れよ。瑞樹ちゃんが心配してる。瑞樹ちゃんには、適当に言っといてくれ。大学は、辞めるよ。」

 「……あの、女の人のために?」

 「昔の、俺とお前のために。」

 うん、と、俺はまた頷いた。それしかできない、バカみたいに。昔の俺と兄貴のため。その言葉は嘘ではないと、それは分かっていた。感覚で。

 「……帰るよ。」

 俺は、コートの前を閉め、兄貴に背を向けた。土足で玄関まで歩き、沓脱ぎに降りる。

 兄貴は、俺を引き留めなかったし、ひとつの言葉もかけなかった。俺も同じで、兄貴を振り向かなかったし、ひとつの言葉もかけなかった。

 兄貴の靴をまたぎ、玄関のドアを開け、外に出る。後ろ手で、ドアを閉めた。振り返ると、未練が出そうで。

 そのまま早足で、駅までの短い道のりを歩いた。もしかしたら、あの女のひとが待ち伏せしているかもしれない、と思ったけれど、そんなことはなかった。あの女のひとは、そんなことをしなくても全然平気なくらい、兄貴を信用しているんだろう。

 駅について、改札をくぐり、丁度ホームに滑り込んできた電車に乗る。ポケットからスマホを取り出してみると、瑞樹ちゃんからたくさんラインと着信がきていた。

 俺は、すぐ帰る、とだけラインを返して、ガラガラに空いた車内で、腰を下す気にもなれず吊革につかまった。

 泣きも、喚きもしなかった。もう二度と、兄貴と会うことはないのだろうと思った。

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