第4話 倉敷で待つハッブルとギースル

坂出のインターチェンジの前で私はバイクを止めた。眼前にはETCレーンが見える。

「フェリーがなくなって不便になったよ」

昨年の宇高航路廃止で岡山に向かうルートが直島か小豆島を経由するか瀬戸大橋を渡らくてはならなくなった。

今回はお金も時間もなかったため、後者で倉敷のプラネタリウムを見に行くことにした。

「……死にたくない」

 それが、私の思いだ。何せ100キロ出すなど自殺行為に見えたからだ。

 僕は深呼吸した後、意を決してETCレーンのゲートに向かった。

 通行可能という電光掲示板を見た瞬間、僕は一気にそのゲートを超えていった。

 道は急なカーブになっていて、速度を押さえる工夫をしていた。嵐の前の静けさなのか、私は40キロから50キロで進ませていった。

 そして合流地点に着いたとき一台の覆面パトカーがサイレンを鳴らして、猛スピードで通り過ぎていった。

「後ろは来てないよな」

 高速は何台もの車が通り過ぎていく。

今のうちだ。僕は車がいないタイミングで高速に乗った。

 道はガラガラではないがスイスイ前に進んでいく。最も僕の速度は60キロから70キロしか出していない。高速の最低速度以下ではないが、ヘタをしたら追突されそうな速度だ。

 瀬戸大橋の横風はほとんどなく、向かい風もなく、まともな道だ。

 私の唯一の恐怖は背後からバンバン抜く後続車。軽自動車や普通車はかわいいくらいで、大型トラックや高速バスになれば恐怖を感じてしまう。

「早く、与島につかないかな」

 恐怖と戦いながら高速を走り、ようやく与島パーキングエリアにたどり着く。

「ああ、怖かった」

 一時の恐怖から解放された私はバイクの置き場に止めると、紙コップの自販機でコーヒーブレイクする。

 目の前には瀬戸大橋が見えて、橋の下をマリンライナーや貨物列車が轟音を上げて走り抜けていく。

「よし、後半戦に行くか」

 紙コップをゴミ箱に入れて再びバイクに跨り、与島のETCレーンをくぐり走り出す。

 おかしなことにあれほど怖かった瀬戸大橋が怖くなくなっていた。ここまでくると後ろの後続車も気にならなくなり、岡山に着くのが楽しみになった。

 そして最後のつり橋に着くとその下には児島の港町が見えた。

 トンネルをくぐり児島のインターチェンジに着くと、料金は1480円ですという電光掲示板が表示された。

 しかし、道のりはまだ続く。ここからプラネタリウムの待つライフパーク倉敷まで行かなくてはならない。

 児島から倉敷市内まで30分かけて走ると、巨大な工業地帯が左側に立ち並んでいた。香川県ですらこの壮観な光景は見たことない。

 その工業地帯を通り過ぎると、ドレミコレクションというバイクショップが見えた。ライフパークは近い。信号が青になったのを確認すると、モスバーガー前の分かれ道を右に曲がり、ライフパーク倉敷にたどり着いた。

 建物は最近の建物で、他の科学館と変わらない。違うところとすれば目の前の科学館とプラネタリウムの掲示板が液晶であることくらいか。

私は手帳を見せて3回分のチケットを購入すると、まずは1回目のプラネタリウム番組を見た。まずは、秋の星の解説を職員が説明していた。瀬戸大橋から見る岡山から見る、香川の夜景と星空を解説して、本題の番組を見せた。それは彗星の番組をやっていた。彗星に関する科学的知識をわかりやすく解説していた。

 番組を見終わった後、次のはやぶさ2リボーンまで時間があったため、建物内の図書館で金田一少年の事件簿を読むことにした。

 まず最初はアニメ第1作にもなった「オペラ座館新たなる殺人」を読書した。内容はある程度劇場版に準じていたが、違うのが犯人の恋人の自殺が幻覚剤ではなく被害者に強姦されたことや、恋人の自殺が首つりではなく剃刀の手首きりだったことだった。

 次にお気に入りの幽霊客船殺人事件を読んだ。内容もある程度一緒だったが帰られたところが沢山あった。中でも犯人の父親の航海日誌が出ていたこともその代表例だ。

 そうこうしていると時間になり、次の番組を見た。最近話題になっているはやぶさ2と小惑星リュウグウまでの道筋を擬人化や地球創生までを描いていた。

 そして、はやぶさ2が大気圏に突入するまでに幾多の命がはやぶさ2を囲み、最後に大気圏にはやぶさ2が燃えながら落ち、その周りを幾多の命が囲む姿に、感動を覚えた。そしてはやぶさ2のカプセルがパラシュートとともにオーストラリアの砂漠に落ちたところで終わったと思ったら、実ははやぶさは、10年後に再び別の小惑星に向かうことを後日談で見せられた。

「なんだよ、感動ぶち壊すなよ」

 心の中でそう毒つき外に出て、最後の「ホライズン」の上映開始までの間、科学館を見に行った。中は子供が喜びそうな科学の数々が遊び感覚で楽しめるようになっていて、特に目を引いたのが、発明された直後の蒸気機関のレプリカだ。勿論上記では動かないが、科学館の一番の目玉だった。

 科学館の外に出ると何かやっているので見ているとさっきのハヤブサ2の番組を作った監督が講演会を開いていた。お土産のリポリタンDを入場者に渡して。

「俺も、応募したかったな」

 そう思いながら会議室の扉から恨めしそうに眺めていた。

 後にこの人はさぬきこどもの国ではやぶさ2の番組とともにやってくる。

 そして最後の上映が始まる。ホライズンは私が見たかった番組なのだがコロナのパンデミックのせいで見ることなく上映が終了してしまったという悲しい思い出があったため、最後のチャンスに見に来たのだ。

 最初に類人猿が満天の星空を見上げていた。

ちなみにナレーションは日本人科学者の設定だ。

 教会の神父や当時はとてつもなく貴重な女性の科学者などが宇宙の物理学や果てなど、普通の人なら頭がパンクしそうな内容を叙情的かつ分かりやすく解説していた。

 その中にハッブル宇宙望遠鏡の名前にもなった、エドウィン・ハッブルも出ていた。

 そしてナレーションである小松英一郎が宇宙の構造やどうやって生まれ、そしてどこに向かうのかなどという、よく言われる疑問を調べ、宇宙史、地球史、人類史を1分の速度で駆け抜ける。

 そして最後に少年の周りを類人猿からハッブルや小松などの今まで登場した宇宙科学者たちが囲み天空の星空とともに終わる。

 美化していえば、自分の生まれた意味を問いかける、美しく感動的な終わり方だった。

 プラネタリウムから出た私が時計を見ると5時になっていた。早く帰ろう、夜の瀬戸大橋は怖いからこの時間は小豆島経由で香川に帰ることにしたが、その前に吉野家でライザップ飯を食べて、倉敷に着いたらよらなくてはならないところに行くことにした。

 炭水化物なしの吉野家牛をたいらげた私は、市内の公園に向かった。

 その公園にはD51型蒸気機関車が展示されているのだが、この機関車は特別だ。

「これがギースルエジェクター付きの準戦時のD51か」

 このD51は日本では貴重なギースル煙突と準戦時設計で作られている。ドームがかまぼこ状になり、煙突はオーストリアで開発されたギースルエジェクターという縦長の煙突を備えていた。あのきかんしゃトーマスのピーターサムの煙突でもある。

 僕は子供たちが家に帰っているところを見計らって柵越しにD51を撮影した。

 この機関車は外で保存されているとは思えないくらいに状態が良かった。普段多くの人で手入れや修復を行っている証だ。

「よし、いつかこの機関車を復元して全国で走らせてやる」

 そんな子供心を胸に秘めながら、私は闇に完全に包まれつつある倉敷の夕焼け空を背にフェリーの待つ新岡山港に向かって渋滞と戦いながら帰っていった。

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