箱庭の魔法使い-Snail and the Angel-

横谷昌資

第一話 不思議なお話を-Welcome to the "Das Schachspiel"!-

1-1

(どうしようかな)(住み込みアルバイト募集か)(古本屋かあ)(古本屋のバイトって、何の仕事するんだろ)(迷うなあ)(でも月収二十万は惹かれるな)(普通のバイトよりは高いかな?)(やってみようかなあ)(住み込みってことは、きっと食事とかも大丈夫なんだろう)(ま、俺は炊事洗濯料理完璧な家事男子だけど)(ここの場所はなんか人里離れた山の奥、的なイメージですけど)(丘の上だし、見晴らしがいいのはなんかいい感じかもしれない)(学校も近いし)(よし)(ところで店の名前、なんて読むのかな?)

 龍介りゅうすけは意を決して店の扉を潜った。

 レジで秀明ひであきはドン・キホーテを読みながら、横目で龍介に挨拶する。

「いらっしゃいませ」

 この人もバイトかな、などと想像しながら、龍介は店内を観察してみた。やや洋風な造りの店だった。古本屋だから当然なのかもしれないが、それにしても目に飛び込むのはハードカバーの本だった。龍介のいままで入ったことのある古本屋とは明らかに違っていた。

「ここ、漫画とかないんすね」

 と話しかけられたが、秀明はとりあえず頷くだけにとどめる。

(静かな人だ)

 龍介はもう少しだけ店内を観察することにした。

 普段、本をあまり読まない龍介にバイアスがかかっているのかもしれないが、どうも万人が楽しめそうな本が置いていなさそうに見えた。ほとんどの本がアンティークのインテリアとしては最適なのだろうが実際に読書に至るのかどうかは龍介にとって甚だ疑問だった。

(まあ、とりあえず)

 思い切って、龍介はレジの秀明の元へと向かい声をかけた。

「あの、すみません」

 龍介の顔を見て「はい」とだけ秀明は言った。

「外の貼り紙、見て……バイト募集の広告を見たんですけど。雇ってもらえないでしょうか」

「ああ、はい」

 龍介は(自分と年齢が近そうなあんちゃん)が店長だか責任者だかを呼ぶのかと思ったが、そうではなく、彼はそのまま席に座ったまま龍介に微笑みかけた。

(人の良さそうな人だ)「電話とかで、先に連絡しといた方がよかったですかね」

「いえ、大丈夫ですよ」

「そうですか」

「ええと、じゃあ……」

 龍介は、きっといろいろな質問をされるのだろう、と思っていた。氏名と電話番号は常識で、それから面接の日取りを決めた後、履歴書持参でまた来てください、後日電話連絡を致します、などと言われると予想した。

「ああ、俺、代理店長の柾屋まさや秀明と申します」

 龍介は目を丸くした。

「代理店長?」

「はい」と、秀明はにこにこ笑う。「代理店長です」

(高校生っぽいけど)(代理店長)(うーん)(優秀な人なのかな)(なんとなく頭は良さそうだけど)

 にこにこと笑い続ける秀明に、龍介は、(まあ、世の中はいろいろな人がいるもんだし)と自らを納得させ、やがて頭を下げた。

「俺、浅川あさかわ龍介です」

「以後よろしく。じゃあ今日からもうよろしいですか?」

「は?」

 さすがにこの展開は予想外だった。面接の日取りも履歴書も電話連絡も一切の予想は外れたのである。いかにこのアルバイトを希望しているからとはいえ、即決定では目を真ん丸にしてしまうのは当然だった。

 龍介はしどろもどろになりながら訊ねた。「えと、面接とか、履歴書とかは? いらないんすか?」

「あ。そちらが必要だと思うのであればこっちは別にそうしても構いませんよ」

(う〜ん……)(俺が危険なやつだったらどうするつもりなんだろ)(それともこの店はそんなに人手不足なのかしらん)(確かに、他の従業員いないっぽいけど)

「理想的には、即日入ってもらえる人、と言うのを特に希望していたので。もしもそちらの方でそれでは都合が悪いと言うのであれば、とりあえず面接の日取りを決めて、履歴書を持参していただいてもよろしいんですが」

(……と、いうことは)つまり合格はもう決定済みである、という解釈をして良さそうだった。(いやま、そりゃま確かにここを希望してるわけだけど)(こりゃあ展開が早いなあ)(でもまあ、その方が楽かな)(いい人そうだし)(即決定ってことは、今日からここに住み込みなわけだし)(真面目っぽいし)(いや、でも兄貴にいろいろ説明した方が。それなら。いきなり今日からいなくなるって言うのも寂しがるだろうし)(うん)(でもそんなのは電話でお茶の子さいさい)(いや、でもなあ)(でもどっちにしろ住み込みに惹かれたのは事実だし)(もたもたしてたら他の人が採用)(即決定はかなりラッキー)(うん。でも、突然だな、いかんせん)(でも誠実そうな人だ)(うん、ラッキーなんだ)(そうなんだ、ラッキーに違いない)(これはラッキー)(でもこの人、なんでまた一目で俺を採用にしたんだろ?)

「どうしましょう。一旦保留にしましょうか」

 これが引き金だった。龍介は秀明に向き直って大声で言った。

「いや! 大丈夫っす! 今日からよろしくお願いしまっす!」

 秀明は龍介の大声に少したじろいだが、ふとあることを思い出し、それを龍介に訊ねた。

「そうだ。高校生ですよね」

 龍介の服装は詰襟だった。学校帰りにアルバイトを探していたのだから当然である。

「はい。高校生っす」

「一応、あなたのご家族にご連絡を差し上げた方がいいのではと。うちは住み込みバイトしか募集していませんで」

(兄貴と二人暮らしだしなあ)「あ、大丈夫っす。俺、兄貴と二人暮らしなんで。親は近くに住んでるわけじゃないんで。電話しとけば大丈夫っす」

「そうですか。それならよかった。じゃ、とりあえず店内の案内でもしましょうか」

「ただいま」

 そこで女の子の声が聞こえたので、龍介は後ろを振り返った。可愛い女の子が買い物袋を下げてそこにいた。

「お帰り」と秀明は彼女に声をかける。

「お客さん?」

「いや、バイト募集に来てくれた」と、秀明は彼女の元へと歩き出す。「さえに頼むべき他の用事があったのを忘れてた」

「なに?」と、冴と呼ばれたその少女はなにも不審がることなく訊ねた。「メモでも取る?」

「ありがたい。浅川さん、ちょっと失礼」

「あ、はい」

 と、秀明と冴の二人は店の奥に入って行った。

 黙って待つこと数十秒間。

 母屋から二人が出てきて、冴は龍介に挨拶する。

「こんにちは」

「あ、こ、こんにちは」

藤原ふじわら冴です。ここの従業員」

「あ、そうなんすね」龍介はわかりやすくデレデレする。「俺、浅川龍介って言います。じゃあこれからよろしく」

「よろしくなのは間違いないんだけど、浅川さんは私と入れ違いなの」

「え?」

 冴はにっこり笑う。

「私がちょっとここに常時いられなくなったから、住み込みバイトを募集してたの」

 龍介はわかりやすくがっかりする。「そうなんすか」

「そうなんすよ」

 龍介はわかりやすく面白がった。

「じゃ、秀明。私行ってくるね」

「行ってらっしゃい。頼むよ」

「はーい。じゃあ浅川さんもまた」

「あ、はいっす」

 そして冴は店から出て行った。

 やがて姿が見えなくなり、龍介は自分の初アルバイトが明るい光に照らされているように感じた。

(まああの子は)(藤原さんと入れ違いだけど)(でも常時いないって言ってたし)(いることはいるのかも)(わくわく)(でもだとすると、この代理店長さんと一緒に暮らしてたわけだよね)(年齢が近そう)(付き合ってるのかな?)(むう、人生いろいろ、男も女もトランスジェンダーもいろいろ)

 しかし龍介はそこで頭をぶんぶんと振った。

(いやっ)(俺には七瀬ななせがいるのだ)(お前に会いにわざわざ引っ越してきたんだ)(お前と一緒にいたいからわざわざ引っ越してきたんだ)

 秀明はふんふんとなにか興味深い生き物を見るかのように自分を見ている。

(いや、ちょっとカオスになってしまった)「俺、なんかついてます?」(昼ご飯のおにぎりがほっぺたについてるとか)

「いや」秀明はくすくす笑った。「女の子が好きみたいだなって」

「いえ違いますそんな下心ないっす!」(浮気)(違う、違うんだ七瀬)

 大袈裟に否定する龍介に、秀明はさらにくすくすと笑う。

 龍介は居心地の悪さを感じたが、すぐに気を取り直した。

(そうだ、俺には七瀬が、お前が)(だから、そうなんだよ)(藤原さんは住み込みじゃないし)(七瀬に妙な目で見られたら嫌だし)(そうだそうだ)(俺に限って浮気だなんて)(俺は浮気の心配のない男なのだ)(だから入れ違いでラッキーなのだ)(藤原冴さん、どうもありがとうございます)

 そう考えてみると、この状況は悪いものではない、と、思えるようになっていた。

 そして龍介は秀明に頭を下げた。

「じゃ、改めて。浅川龍介を今日からどうぞよろしくお願い致しまっす!」

 こうして、古本屋「シャハシュピール」に龍介のアルバイトは決定したのである。

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