猫には見えない

長串望

宇宙から来た『色彩』

 それがこの星に降りてきたのは、なにということもない昼下がりのことであった。

 少なくとも、私の住んでいるあたりは、夏とも秋ともいえぬぼんやりと寝ぼけたような気だるい昼下がりに差し掛かっていた。地球の裏側ではまだ夜で、それについて誰も知らぬ、気づかぬ間のことであった。


 街中の、駅前の大きな交差点の、その真ん中のあたりに、それは突然ふんわりと降りてきたのだという。

 それに気づいた道行く人々が、なんだなんだと脊髄反射的に撮影した動画が、テレビでも何度も流されたものだ。


 それは形あるものではなかった。

 重さや軽さを持つものではなかった。

 暖かさや冷たさを持つものではなかった。

 いとおしさや憎しみを持つものではなかった。


 それは、『色彩』だったと、人は言う。


 平日の昼下がり、駅前の交差点のその真ん中に降りてきた『色彩』は、まず道行く人の目を奪った。行きかう車の運転手の目を奪った。撮影された動画はインターネット上に拡散して、遅れて各報道局がテレビで放映し始めたけれど、不思議なことにカメラには『色彩』は映らなかった。


 多くの人々が、目を奪われた。

 あっという間のことだった。


 それから『色彩』はふたつに分かれた。

 ふたつに分かれた『色彩』はゆっくりと動き始めて、人々の目を奪っていった。

 行った先でまたふたつに分かれて、そこでも人々の目を奪っていった。

 分かれて、移動して、その先でまた分かれて、『色彩』は増えていった。

 人々の目が奪われるたびに、『色彩』は増えていった。


 ゆっくりと。

 ひどくゆっくりと。

 けれど確実に、『色彩』は影響を広げていった。


 駅が、町が、人々が、『色彩』に塗り潰されていくようだった。


 『色彩』は形あるものではなかった。

 重さや軽さを持つものではなかった。

 暖かさや冷たさを持つものではなかった。

 いとおしさや憎しみを持つものではなかった。


 それが何なのかと言えば、人々は『色彩』としか説明できなかった。

 人々は『色彩』を色でしか感じ取ることができなかった。


 色であるということは、それは光であるのかもしれなかった。

 光であるということは、電磁波であるということかもしれなかった。

 あるいは電磁波を放射する何かしらの実体であるのかもしれなかった。


 しかしはっきりしたことは、誰にも分らなかった。


 『色彩』は目に見える。

 カメラにも映らず、ただ肉眼でだけ『色彩』を見ることができた。

 けれどそれを何色だと説明することが、人々にはできなかった。

 それは人々の見たことのない色をしていて、人々の語彙にない色をしていた。

 人々の言葉の中に、その色は定義されていなかった。


 ただ、誰かが言い始めた。

 それは『幸福の色』なのだと。


 そういえば、目を奪われた人たちのことを話していなかった。

 『色彩』に目を奪われた人たちのことを、そして彼らが『幸福の色』と言い出したことを、少し話していこうと思う。


 目を奪われたといっても、それは字のごとくに眼球をほじり出されるような即物的なことではなかった。もし、そういった直截的な恐ろしさのようなものを期待していたら、申し訳ない。


 『色彩』に目を奪われた人々は、目の奥に『色彩』が焼き付いたように残るそうだ。

 どこにいても、なにをしていても、目をつぶっていても、寝ているときでさえ、『色彩』が見えるのだそうだ。

 それは普段の視界を邪魔するものではなく、その背景にというか、視覚でない視覚でというべきか、とにかく『色彩』に染まった目でも、ものを見ることには困らないのだそうだ。

 ただ見える。見えてしまう。ずっとずっと、『色彩』が見える。


 そして、『色彩』は彼らを幸せにしてくれるのだという。

 『色彩』に目を奪われた人々は、心が満たされた気持ちになるのだという。


 悲しみや苦しみ、怒りや憎しみといった感情は鎮まり、ちいさなことに喜びや楽しみを見出すことができるようになるのだという。

 争ったりねたんだり、欲しがったり褒められたがったり、そういったどうしようもない苦しみが、ゆっくりととかされていくのだという。

 誰もが労働や金銭に追われているこの時代に、目を奪われた人々は急ぐことをやめ、穏やかな幸福感の中で穏やかな日々を送っていた。


 『色彩』を『幸福の色』と呼び始めた人々は、みんなが『色彩』を見るべきだと訴えた。そして実際に、人々を『色彩』のもとに導いた。無理強いすることはなかったが、しかし善意と好意から彼らは布教をつづけた。みんなに幸福になってもらいたがった。


 そのころは、『色彩』をどう扱うかもめているころだった。けれど『色彩』がどんどん広がってしまうから、『幸福の色』の人々がどんどん増えてしまうから、とにかくどこかで止めなければいけないとなった。


 つまり、政府は隔離政策をとることにしたんだそうだ。

 町のぐるりをフェンスで囲ってしまって、誰も出てこれないようにしたんだ。

 『幸福の色』の人々はそのことを怒ったり悲しんだりはしなくて、なんならフェンスの敷設をした人の中には、少なからず『幸福の色』の人々もいたそうだよ。だって彼らは幸福だからね。


 むしろ政府を糾弾したのは、一部の『色彩』から逃れた人の他は、『色彩』そのものを疑っているような、全然外部の人たちばかりだった。何かの感染症か何かと思っているような人たちだった。

 英断だったと思うよ、私は。

 彼らのほとんどは、『色彩』が見えるのだから。見えてしまったら、彼らもああなってしまうのだから。

 そして『色彩』を見ても目を奪われない一部の人々は、『幸福の色』の人々とはどうしても相いれないものだから。


 やがて『色彩』について少しずつ調べが進んで、どんなに遠くからでも見えてしまうと目を奪われてしまうことがわかってからは、隔離はもっと大げさになった。

 飛行機やヘリコプターといった喧しい機械が上空を飛ばなくなったのはいいことだけれど、背の高い真っ黒な壁が町のぐるりに建造されて、日当たりが悪くなったことは少し残念だ。


 どれだけ調べても、人々には『色彩』がなにかわからなかった。


 『色彩』は形あるものではなかった。

 重さや軽さを持つものではなかった。

 暖かさや冷たさを持つものではなかった。

 いとおしさや憎しみを持つものではなかった。


 私は『色彩』は自然現象か何かだと思っている。

 そうでなくても、私たちにはどうしようもないもので、意思の疎通だとか、コントロールだとか、そういうのとは無縁のものだと思っている。

 避けようのない事故のようなものだ。

 そのうち去ってくれるのを待つほかにはない。


 ずっと昔、ずっとずっと昔、私がまだ九つの命の一つ目を生きていたころも、『色彩』はやってきて、そしていつの間にか去っていった。

 そのときは多くの生き物が『幸福の色』に塗りつぶされてしまった。心地よくなって、満たされてしまった。他の生き物を狩ることもできなくなって、他の生き物から逃げることもしなくなって、ただ幸福の中でみんなみんな死んでいった。みんな幸せそうに死んでいった。

 『色彩』に目を奪われなかったものだけが生き延びて、『色彩』が去るまで生き延びたものだけが、その先の時代に続くことができた。


 トカゲや鳥どもは見える色を増やして『色彩』を分解した。

 虫どももそうであるらしい。

 魚のことは、よくわからない。

 私たちは『色彩』が見えないようにした。その色を見ないことにした。

 こざかしいサルどもは、『色彩』が去った後に生まれたから、何も考えずに見えるような目を持ってしまった。


 せっかく人々が缶詰を開ける指先を成長させてきたというのに、危うく『色彩』に塗りつぶされてしまうところだった。

 人々には今後とも、私たちのために生き抜いてもらわなければ面倒というものだから、今後もうまいこと対処していってもらいたい。


 人々には『色彩』が何色であるか説明できないという。

 見えないように生まれてくる人々も少しはいるようだ。

 私は『色彩』がそもそも見えないように生まれてきた。


 などという進化論を真面目腐って述べたならば、諸君らはどう思うものだろうか。


「にゃあ」


 なんてね。

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