Crimson
さささのさ
第1話
暖かな日差しと晴れた空の下、辺りには真っ白な花びらが舞っている。
そんな美しい光景の中で、花びらと戯れるように赤い髪を揺らしながら駆け回る少女がいた。
「ルチカ、こっちにおいで」
木陰から呼びかけられ、名前を呼ばれた少女は嬉しそうに声の主に駆け寄った。ルチカの母親であるヒルデだ。
彼女は、作った花冠を優しくルチカの髪に乗せ微笑みかけた。
「わあっ、素敵!でもね、ルチカもね、もっとすごいの作ったよ」
そう言うと、ルチカは手に持っていた花のヘットドレスをヒルデの髪につけた。自分の髪飾りとして使っていたリボンを使い、丁寧に三つ編みまで完成させたルチカは、ヒルデとその隣の少年との間に割り込んで座った。
「今日はとっても幸運な日!だってヴェラも一緒にここへ来ることができたんだから」
「本当に、体調が良くなって安心したよ」
ルチカの言葉にヴェラと呼ばれた少年は頷いた。彼は薄青色の髪をした小柄な少年で、普段は体が弱くなかなか外には出ることができない。しかし今日は気分が良く、こうして幼馴染であるルチカ達と外に出ることができたのだ。
「さぁて、そろそろお茶の準備をしましょうか」
そう言ってヒルデはゆっくりと立ち上がった。ルチカの家と花畑は道を挟んですぐ隣にあり、ヴェラが一緒に来れない日もここでおやつを食べるのが親子の日課になっていた。
「ルチカはここで待ってるね。ヴェラはどうする?」
立ち上がったルチカがくるりと振り返る。
「僕はヒルデさんのお手伝いをするよ」
ルチカはこくりと頷きながら、ヒルデの顔を見た。
「かあさま、一応確認なんだけど…森は」
ヒルデは眉を寄せて困ったような表情を見せた。
「…ルチカ、森は危ないの。悪い魔物に食べられてしまうわ、だから行ってはダメ」
ルチカは残念そうにため息をついた。毎日のように繰り返される確認作業だが、まだ一度も森へ入る許可が降りたことはない。
「でも…魔物なんて見たことないもん…いるわけないもん」
拗ねたルチカはそう小さくつぶやいて、諦めたように大人しく足元の花を摘み始めた。
「じゃあ、ルチカはここで待っててね。森へは絶対行かないのよ」
ヒルデはもう一度念押しした後、ヴェラとともに家へと帰っていった。
「…つまんないの」
8歳のルチカにとって、森はまだ見ぬ世界への入り口だ。花畑の端に広く接するたくさんの木々たち、家から10分ほど歩けば森の入り口に着く。普段、家と花畑のみの行動範囲のルチカにとって、すぐ近くに広がる森に興味を持ってしまうのも仕方のないことだった。
そうして、森をぼうっと眺めていた時、目の前を青く光る何かが通った。
ルチカの顔の周りを一回りしたかと思うと、花畑へ入り込み動きに合わせてきらきらと青い光を放った。
それは、水差しから溢れた一滴のような小さな透き通る魚だった。
それは、ガラスのような艶やかな色をして。それは、飴細工のような細やかな体をして。
それは、まるで芸術品がそのまま動き出したかのように美しく。
いとも簡単に、少女の目を、心を奪ってしまった。
「…水もないのに、魚が泳いでる」
ルチカは、これほどまでに美しい生き物は見たことがないと思った。
だから、欲しいと思った。
「こんなに素敵なの、かあさまが見たらどんなに驚くだろう?ヴェラだってきっと、私を褒めてくれるはずだわ」
ルチカは魚に手を伸ばした。しかし、それは指の間をすり抜け逃げていってしまう。
どうしてもこの美しい生き物を手に入れたい。
ルチカの心は完全にその一匹の魚に支配されて、取り憑かれてしまっていた。
考える暇もなく、体が動き出す。
魚は、そんなルチカを弄ぶようにどんどん遠ざかっていく。
ルチカも負けじと立ち上がり、走り出した。
––– 真っ直ぐ、森に向かって
気づいた時にはもう、ずいぶんと森の中へ足を踏み入れてしまっていた。
一生懸命追いかけていたはずの魚はいつの間にか見失ってしまった。
「やっちゃった…ルチカ、約束破った。かあさま、ごめんなさい…」
森は危ない、悪い魔物に食べられる
まだ幼いルチカにとって、それはとてつもなく恐ろしく感じられた。
しかし、深呼吸をして周りを見渡すとその不安も徐々に晴れてくる。
青々とした木々が揺れて音を立てている。柔らかく涼しい風が吹き、木漏れ日が落ちる地面には色とりどりの花が咲き、光を浴びて煌めいて見えた。
どれもルチカが見たことがない光景、感じたことのない空気だ。
「なあんだ、かあさまは嘘をついていたのね。こんな素敵な場所に魔物がいるなんて、ありえない。きっとこの美しい景色を独り占めしたかったんだわ」
ルチカはだんだんと自信と勇気が湧いてくるのを感じた。
言いつけを破ってしまったことに変わりはないが、森は危ない場所ではなかった。
ほんの少しだけ森を冒険しよう。バレなければいいのだ。
「バレても、きちんと謝ればきっとかあさまも許してくれるよ」
ルチカはそう言うと、軽い足取りで森の奥へと進んで行った。
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