第60話 海路護衛3
航海自体はそう時間はかからない。
まあほんの数日で着くわけではないが、馬車と歩きと比べれば、随分短いものだ。
「あの、すいません。この船に魔法使いか陰陽師は乗っていますか?」
「あん? 兄ちゃんよぉ、そんなもやしみてぇな奴は海じゃ生きていけねえんだよ」
甲板ではるか先にあるはずのエルキ領ベルメイを見ようとしていると、ヴァレリィが休憩中の船員と話していた。
「海じゃ魔法なんて訳分かんねえものより、これが一番よ」
そう言って、船員は力こぶを作ってみせる。あいつは確か、銅等級の冒険者を雑用に駆り出した片割れだったか。
「ああ、そうなんですか! それはよかった。僕が役に立つタイミングがあるんですね」
そう言って、ヴァレリィは木製のジョッキを取り出す。どうやら船室から持ってきたものらしい。
「あ? そりゃどういう事だ?」
「思ってたんですよ。海水は塩分濃度が高く、飲み水として使えない。となると人間が活動するために必要な水はどうしているんだろう……って」
「へへ、残念だったな、船底に近いところに水の入った樽がいっぱいあるのさ」
「水精練(アクア・アポーツ)」
男は得意げに言うが、ヴァレリィが魔法を唱えると、その表情は一変した。
彼が持つジョッキにはなみなみと水が溢れ、船の揺れでその橋がこぼれるほどだった。ヴァレリィがさらに魔力を込めると、ジョッキからは完全に水が溢れ、甲板に水溜りを作っていく。
「お前さん……」
「これは空気中や近くにある水を飲料水として精製する魔法です。適性は必要ですが、非常に簡単に飲み水を確保できるので、良ければお教えしましょう」
言葉を無くしている船乗りに、ヴァレリィは言葉を続ける。水精練はスクロールの中でも回復属性に次ぐほど人気がある魔法だ。それをこの船乗りが知らないという事は、それだけ陸と海の文化的隔たりが大きいという事だろう。
魔法六属性のうち威力に特化した属性は炎・雷、威力は劣るものの術者の応用力によっては使い勝手が上下するのが氷・地、そして戦闘向きではないが応用の幅が大きいのが風と水属性だ。
だから冒険者にとって大事になるのは、風と水属性以外の魔法で、これらの魔法にのみ適性がある人間は、町工場や芸術方面へ生活の基盤を持っている。
「……いや、兄ちゃん。こいつは使えねえ」
「どうして!?」
これがあれば確実に便利になる。そう言った技術を提示したはずのヴァレリィは、予想外の事に思わずジョッキを取り落とした。
「何もないところから水を出すなんて、女神様が許しちゃくれねえよ」
「何もないところ!? ちがいますよこれは周囲にある水蒸気や海水から魔力によって水分を抽出、凝結させて……」
彼は必死になって色々と説明をしているが、恐らくそれが実を結ぶことは無いだろう。陸の――特に都市部の人間は持ち合わせていないが、海の人間にとって縁起の良し悪しや、古くからの言い伝えというものは、利便性を失ってすら重要視されるものなのだ。
「なんにしてもダメだ。女神様の気が変わらねえうちにその魔法とやらを使うのを止めるんだな」
「そんな、だってこんな便利に――」
「ヴァレリィ、それくらいにしておけ」
これらを迷信として切り捨てることもできるが、こういったものは、何かしら実際に必要な事だったりもするのだ。よくわからない場所の文化は、軽視し過ぎてはいけない。
「っ……分かりました。すみません」
「おう、折角言ってくれたのにわりぃな、兄ちゃん」
彼は優しい。それは俺が一番よく分かっている。その優しさが独りよがりだとしても、彼を責める気になれないのは、それが純粋な優しさからの行動だと分かっているからだろう。
「はぁ、はぁ……ブラシ掛け、終わりました」
話に区切りがついたところで、銅等級の冒険者三人組が船員の報告しに来る。随分こき使われているようで、額には汗がにじんでいた。
「おう、ようやくか、じゃあ次は調理室で食材の下ごしらえだ。駆け足で向かえよ」
「は、はい……」
大の男三人が息も絶え絶えでみっともない。とは思わなかった。慣れない仕事、気を遣う事も多いだろうし、戦いと身体の動かし方が根本的に違うのだ。あの姿も温かく見守ってやろう。
――
「呼んだか?」
次の日、船長に呼び出されて俺は甲板まで出てくる。彼は船の進行方向をじっと見つめて顎をさすっていた。
「魔法を船上で使ったのがまずいなら謝るが」
「ふぇっふ、そんな事はどうでもいい。そもそもダメだって言われてる理由も――いや、これは客人には関係ない事だな」
船長は言葉を切って、歯の隙間から呼気を漏らしながら話を続ける。
「どうもお前さんたちに手伝ってもらう事になりそうでな」
「そうか」
「疑わんのか?」
「船長のいう事は絶対だからな」
海を日常的に見ている彼が「調子がおかしい」というのだ。なにがあるかはわからないが、何かがあるのは間違いない。
「今日は風も弱く、波も立っていない。天気もいいから視界がよく通る」
「準備をしておけばいいか?」
俺の短い言葉に、船長は頷く。
「こういう日は獲物がよく見える。俺達も、相手さんもな」
なるほど、今は背の低い草原で無防備に歩いているのと同じ、という事か。
俺が納得したところで、甲板に一人の男がふらふらと這い出してきた。銅等級の冒険者の内一人だ。
「ふぃー、やってらんね……あ」
恐らく船内作業を抜け出してサボりに来たのだろう。悪態と共に溜息を吐いたところで、俺たちと目が合ってしまった。
「ちっ、ついてねえ……」
「ん? 仕事はどうした。用心棒」
「……」
船長がそう尋ねると、男はばつが悪そうに眼を逸らす。
「っていうかよぉ、お前がやれよ、銅等級の俺がこんな疲れてていざというとき大変だろうが」
「いざというときは心配しなくていい」
「あ?」
俺は男にそう答えて、背中にある両手剣の柄を握りしめた。
その瞬間船が大きく揺れ、白くぬめぬめしたナメクジのような触手が甲板めがけて伸びてくる。
俺はバンデージの留め具を弾くと、抜き打ちで触手を切断し、船長を船の縁から遠ざける。
「俺の方が強いからな」
視線の先にはうごめく触手と共に、鳥型の魔物が十数匹見えていた。
「魔物だ!」
「砲兵急げ!」
「帆は畳むな! 可能なら振りきれ!」
洋上での戦いは、地上のようにはいかない。
どこにでも地面があるわけではないのはもちろんだし、自分の足場を守る必要もある。加えて帆やマストなどで視界が制限される事もあり、うまく立ち回るには熟練の技量が必要だ。
「ギャアッ!」
間合いに飛び込んできた鳥型の魔物を切り落とすと、俺は船室の方へ視線を向ける。近接しか攻撃手段の無い今、俺は船と船員を守ることしかできない。
相手から手を出されない限り、お互いに手出しできない状況は、集中を切らせない為体力を必要以上に消費する。投擲武器を扱えるキサラや、遠距離の魔法が扱えるヴァレリィが早く到着することを祈ろう。
「っ!」
更に襲い来る鳥型の魔物を対処しようとしたところで、大きく船が揺れる。それと同時に白く塗らついた触手が甲板に叩きつけられ、木箱など甲板にある物が破壊される。
俺は空からの攻撃を紙一重で避けた後、その触手を力強く叩き切る。やはり、相性が悪い。
「ギャア、ギャァッ」
魔物は挑発するように鳴き声を上げると、羽ばたきの速度を上げ、抜け落ちた羽根をこちらへ向けて放ってくる。
鳥型の魔物が持っているのは、するどい鉤爪だけではない。おれはその羽根を両手剣で受けきり、歯噛みする。今は散発的にこの攻撃が来るだけで済んでいるが、もしこの攻撃だけに絞るような事があれば、耐暑は難しくなるだろう。
「竜炎(ドラゴンブレス)!」
今後の戦略を考えていると、背後で魔法が発動し、魔物が一匹火だるまになって海面に落ちた。
「白閃、お待たせしました!」
「はぁ、結局こうなるんですよねぇ、海の旅ってこれだからめんどくさくて嫌」
視線を向けるとヴァレリィとキサラが戦闘態勢で甲板に出てくるところだった。俺は安堵の息を漏らして両手剣を構えなおす。鳥は二人に任せることができそうだ。あとは――
「うわっ!」
「また揺れる!?」
「っ……!」
水面下にいる大型の魔物の対処か。俺は海からせり上がった白くぬらつく軟体の魔物に向けて、両手剣を構えなおした。
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