第44話 聖女奪還1

――人生はチョロい。


 ボクがそのことに気付いたのは、巡礼の旅に出る前、聖職者としての基本を教わっている時だった。


「シスター・ティルシア。貴女はこの修練で最高の成績を収めました。よってここに修了証とロザリオを与えます」

「はい。ありがとうございます」


 しわくちゃの老司祭からやたら豪華な紙切れと高く売れそうなロザリオを渡される。多分パパやママが見たらすごく喜ぶと思う。それこそ「手のかかる子だったがやっと真面目になってくれたか」とか言うかもしれない。


 ボクは魔法の素質が高かったようで、同期の中では初めに回復魔法を使えた。反発するのが面倒で教師には従順にしていたので、大人からは真面目な生徒と認識されていたみたいだ。


 そうだ、何も頑張る必要はないんだ。


 おかしいと思っても、別の方が正しいと思っても、黙っていればいい。何か異を唱えれば面倒なことになる。


 おかしいことを指摘すると、意見や要求を飲む気もないのに、大人はボクと「話し合い」をしたがる。その実態はあれこれ理由を付けてボクに「ゴメンナサイ」を言わせて自分の正しさを押し付けるものだ。


「君は優秀だ。このまま修練を積めば、解呪を使えるようになるかもしれない。そうなったら、聖女になる援助もするつもりだよ」

「ありがとうございます。修練を積みます」


 魔法担当の先生からそんな事を言われて、ボクは表面だけ繕って恭しく頭を下げる。修練などするつもりもないのに。


 適当に、五割くらいの力で謙虚にしていれば、誰も何も言わないし、責められる事もない。きっと習得できない時でも「覚えが悪くて出来の悪い聖職者」の振りをしていれば切り抜けられるだろう。だから、自分で考えて行動しない限りは、人生は簡単で右から左へ流れていくようなものだ。


「ティルシアさん。おめでとう」

「うん、ありがとう」


 自室の残った荷物を袋に詰め終わったところで、同室の修道女が話しかけてくれる。正直なところ、名前も定かじゃない。


「私も何とか卒業できたよ。ティルシアさんのおかげだね」

「君が頑張ったからだよ、ボクは手伝っただけ」


 ボクは彼女を心の中で憐れんでいた。何も考えず、ただ従っていればいいのに、彼女はことあるごとに教師に質問し、自分が納得するまで絶対に考えを改めなかった。


 正直なところ、馬鹿な事をしていると思ったことは一度や二度ではない。それらしくしていれば、目を付けられる事もなく卒業できただろうに。


 ボクは彼女に別れを告げて家に帰る事にする。一月後には巡礼の旅が始まるのだ。せめてそれまでは家でゆっくりさせてもらおう。



――



「あっっ……っつぅーい……」


 巨大な石塔の下に、アルカンヘイムの正門が見え始めた頃、キサラが限界に達したのか、かすれた声で呻いた。


「今って冬じゃないですかぁ、何でこんなに暑いんですかぁ……死んじゃいますよぉ……」

「この荒野だと日光が遮られないからな」


 とはいえ、俺と彼女は何度か訪れたことがある。夏場の殺人的な暑さよりは随分とマシなことは知っているので、ただ愚痴っているだけだろう。俺は砂漠用の旅装を正して、後ろを振り返る。


 今にも倒れそうなヴァレリィと、渋々それを支えるシエル、そしてこの熱砂の中で相変わらずの顔をしたティルシア、三者三様の表情がなんとも笑いを誘うが、俺の意識はそれよりも後ろ――遠くにあるアルカンヘイムとは別の石塔にあった。


 ひたすら何もない荒野を歩く場合、多くの場合は方位磁針や星を参考にするが、オース皇国ではそれ以外に集落ごとに非常に高い石塔が建てられている。


 水が少なく、動植物もほとんどないこの国では、遭難は死に直結する。その為、集落ごとに同じ高さの石塔を建てて、それを目印として旅ができるようにしているのだ。


 俺の視点からあの街の石塔と、アルカンヘイムの石塔を見比べ、距離を概算する。この調子なら夕刻にはアルカンヘイムに到達できるだろう。


 オース皇国に入って以来、集落は二、三ほどしか寄っていない。国を通過するまではこの旅が続くことになるが、アルカンヘイムでは肩の傷を含め、それなりに長く滞在することになる。ギルド本部までの後半戦、十分に英気を養っておく必要があった。


「キサラはともかく……ヴァレリィ、大丈夫か?」

「……」

「とうさま、ダメっぽい」


 本人は大丈夫のつもりで片手を上げたようだが、俺から見るとギブアップ宣言にしか見えなかった。シエルも同意見だったようで、首を横にふった。


 幸いなことに、視界の先に大きく突き出した岩塊が見える。そこでしばらく休憩を取る必要がありそうだ。


 キサラに先導を任せ、俺達は魔物が寄らないよう注意しつつ後に続く。幸い草も茂っていない荒野では、魔物の接近はすぐに分かるようになっていた。


「くふ、順調に進んでて何よりだね」


 岩陰に腰掛け、キサラとヴァレリィに水分補給をさせていると、ティルシアが俺の隣に座った。


「オース皇国は慣れていそうだな」

「そりゃボクの故郷だし」


 事も無げに彼女は答えて、息をつく。そう言えば、以前そんな事を言っていた気がする。


「ま、でも安心してよ、両親と会いたいとかそう言うめんどくさい事は言わないからさ」


 そう言ってティルシアは「くふふ」と笑った。


「それで、ティルシアは俺の肩が治ったらどうするつもりだ?」

「へ? 付いていくつもりだけど? 君の側に居たら楽できそうだしね」


 つかみどころのない調子のまま、彼女は言葉を続ける。その言葉は本心か建前か、今ひとつ判断がつかなかった。



――



 休憩をとったのもあり、アルカンヘイムに到着するころには、既に日が落ちてしまっていた。魔物や野盗を避けるため、門は固く閉じられており、翌朝まで開きそうになかった。


「門の外で一泊するしかないか」


 俺は城壁に沿って作られたあばら家の数々を眺めつつ、宿が無いかどうかを確認する。


 各国家の首都くらいの規模になると、街中だけで人間を住ませることができない。この住人たちは、経済を城内に依存しつつ、住むことができない行商人や貧困層が主となっていた。


 当然ながら治安も悪く、気を抜くことができないが、荒野のど真ん中で魔物に警戒して眠るよりは、いくらかはマシだった。


「やっぱりアルカンヘイムの壁街は他の国と違いますねぇ」


 家々を回りながらキサラは呟く。俺はその言葉に静かに頷いた。


 魔物やならず者から中の住人を守るのが壁の役割だが、アルカンヘイムは教皇庁があり、難民を多く受け入れているだけあって、外敵から守るための壁を取り囲むように、大規模な集落ができていた。炊き出しなども行われるので、食い詰めた傭兵や冒険者崩れが多数おり、それが治安の悪さに拍車を掛けていた。


「全く、お花畑だよね、教皇庁のお偉いさん方はさ。炊き出しをしていれば、人助けができていると思ってるんだ」


 ティルシアがぼやいて、ボロボロになった家の残骸を踏み割る。貧民街とも言えるような環境で、なんとか夜を明かせるような場所を探していたが、なんとかこの崩壊した家で雨風を凌ぐことは出来そうだった。


「今日はここで寝るぞ」

「はーい、まあ荒野で野宿と比べれば、結構上等じゃないです?」


 俺は荷物を降ろし、続いてキサラが巨大な布でタープを張っていく。シエルは俺から道具を受け取ると、瓦礫を積み木のように組んでかまどを作った。


「よ、ようやく……夕飯ですか?」


 ヘロヘロになって何とかついて来ていたヴァレリィが、消え入りそうな声でへたり込む。長旅に慣れていない彼が、ここまで何とかついて来れたのは、かなりガッツがあると評せざるを得なかった。


 火打石で着火して、火が安定してきたところで鍋を置く、水筒から水を注いだ後に干し肉や大麦、日持ちのする食材を全て入れ、蓋を閉じて煮る。


 待ち時間ができたため、それを伝えるとシエルはキサラを連れて周囲の確認に向かう。シエルだけなら心配だが、キサラもいるなら大丈夫だろう。


「なんとか食料は間に合ったか」


 旅をする上で、死活問題になるのが食料だ。今回は余裕をもって買ったつもりだったが、動植物の少ない風土では、想像以上に早く食料が無くなる。今回は特に大所帯だったので、食料の残りを見誤っていた。


「ボクを通して教会に言えば、簡単に分けて貰えたのに」

「そうもいかなくてな」


 ティルシアの言葉に、俺はちらりとシエルの方を見る。魔物に対して明確な絶滅主義を打ち出している組織に、彼女の存在は絶対に秘匿しなければならない。そう考えると、わざわざ教会に近づくようなことは、可能な限り避けておきたかった。


「残念ながらそうなんですよね、シエルちゃんを守るためには、教会とは距離を取らざるを得ません」


 少し復活してきたヴァレリィが、話に割って入ってくる。彼は俺と同じく、魔物とは別方面の警戒ができる人間だった。シエルとティルシアは話すまでもないとして、キサラも斥候として高い技術は持っているものの、政治や社会情勢には全くもって疎かった。


「へぇ、じゃあやっぱり人間じゃないんだ、あの子」


 ティルシアは薄い唇をさらに伸ばして笑みを作る。見た目は怪しいものの、これまでの付き合いで彼女の無害さはよく分かっていた。


「ああ、今は人間へ敵意は持っていないがな」

「これから先はわからない?」

「……そうなるな」


 ここで、俺がさせないとは言えなかった。人間への敵意を向けるとすれば、俺だけのはずだ。しかし、シエルがこの先人間に失望してしまう可能性はゼロではなかった。


 俺の返答に、長い沈黙が訪れる。ヴァレリィも、彼女のリスクを知っているからこそ即座に反論は出来なかった。


「ごめん、性格悪かったね」


 そう言って、ティルシアは頭を掻く。


「別に構わない、事実だ」


 俺も冒険者ギルドも、その可能性を限りなく低くする為に動いている。その為に俺たちは本部を目指しているのだ。


 本部でギルドの後ろ盾を得ることができれば、そう簡単にシエルが悲しむ状況には陥らないはずだ。ということは、彼女が敵対する可能性は低くなる。


 だが、実際その低い可能性が起きた時、俺はシエルを殺せるのだろうか? 俺がシエルに殺されることは仕方ないと思っているが、彼女が被害を拡大させようというのなら、俺は止めなくてはならない。


「さあ、それよりそろそろスープも煮えてくるころじゃないですか? 頂きましょう」


 重苦しい沈黙を破って、ヴァレリィが宣言する。しばらくするとキサラたちも戻ってきて、食事が始まった。

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