蜘蛛と雨と星座

私は偶然によって産まれた『画』が好きだ。


絵や石像などといった芸術作品には、技術と想いが込められる。それらは見る側がそれを読み解くことで楽しさが産まれる。また観光名所のように意図的に美しくなるよう手が加えられたものを見るのももちろん楽しい。


だがそれ以外にもう一つ、誰の意思も介在していないのに美しさを有しているものがある。それを私は『画』と読んでいる。


画は日常の何気ないところに現れる。私が最近見た画は蜘蛛の巣だった。


先日に雨が降った日の朝のことだった。私が外を歩いていると左手に、木と木の間に張られた蜘蛛の巣が見えた。その蜘蛛の巣は上半分は半円のような形になっていた。巣の持ち主である蜘蛛は下側に陣取っていて、ぴくりとも動かない。


蜘蛛の巣には小さな丸い水滴がいくつもついていた。網目上になった蜘蛛の巣の横の線にぽつぽつと、ある箇所は多くある箇所は少なくとバラバラに水滴はついている。私は半円状になった蜘蛛の巣に水滴がついている光景をじっと見つめているうちに、これを星に似ているのではないかと思い始めた。


水滴1つ1つが太陽の光を浴びて、それぞれの輝きを放っている。水滴は夜を照らす明るい星とはまた違う光を持っていた。


蜘蛛の巣は空で、水滴は明けの星、そう思うとこのなんてことのない景色もかけがえのない美しさを持っているように見える。私は気づけば座り込んでいて、そのなんてことのない風景を様々な角度からカメラで撮った。それこそ芸術品に対するように、2度と見れないかもしれないから失われるまえに残そうと、何枚も何枚も撮り続けた。


夜空に浮かぶ星を芸術にした物がある。それがばらばらに散らばっている星を線で繋ぎ、1つの形になるようにした星座だ。それらは人間に形作られた物であり、古来から現在まで不変であり続けた芸術だ。


星座は多くの人が知っていて、今でもそれを見て楽しむ人が大勢いる。


だがこの蜘蛛の巣を知っている人は私以外誰もいない。この蜘蛛の巣の上で生まれた星は、私以外誰も知らない。今日が終われば星は全て落ちて、誰にも知られずに姿を消していく。


私はそれを惜しく思う。文章としてそれを見た記録を残すことはできても、それを『偶然』見つけた時の驚きと感動を私は誰とも共有できないのだ。


画は個人個人が大切にするしかない一枚の絵だ。誰とも共有できず、その美しさは本人だけが知っていて思い返すことができる。あまりにも寂しい芸術だが、それでも私はその画を愛している。

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