身代わりの色仕掛け

Bamse_TKE

第1話

「ねぇ、そんなところで通せんぼしてないで、私と楽しいことしましょうよ。」

 祖母が入所している介護施設で僕はとんでもない光景に出くわした。日の長い七月、その夕暮れに僕は祖母の入所している施設へ父に頼まれた荷物を届けに来ていた。一代で建設会社を起こし、立志伝中の人が如き父は多忙であったが祖母のいる介護施設に足を運ぶことを欠かすことは無かった。今回僕が荷物の運搬を頼まれたのは、父が5日前入院したからである。急性心筋梗塞とのことで、一時は命も危ぶまれたが早期の治療が功を奏したらしく現在は小康状態を保っている。その父から、

「施設のおばあちゃんに届け物を頼みたい。」

と頼まれ、時間だけは余裕がある大学生の僕が祖母の施設へと足を運んだ。早い時間に行こうと思いつつも、気づけば施設面会門限ぎりぎりになってしまった。そして介護施設に足を踏み入れた僕は信じられない光景を目にしたのである。

「ねぇ、お酒でも飲みながら、私と過ごしましょうよ。」

 先ほどから妖艶なセリフを吐きつつ、巨体の男性介護士を誘惑するように腕を絡ませる老婆、それは紛れもない僕の祖母であった。だいぶ前から認知症の診断がついていたことは僕も知っていたが、まさかこんな痴態を見てしまうとは思わなかった。僕はショックのあまり荷物を手から落とした。その音に気付いた男性介護士が、

「大丈夫ですよ。」

と声をかけてきた。僕が孫だと気づいたのだろう、そして祖母の醜態にショックを受けていることにも。しかし僕はそのまま踵を返し、逃げるように介護施設を後にした。


 それから2日後あれほど、

「命に係わる重病です。」

と医師に脅されていた父はけろりと退院した。僕が運転する車の中で、父はそのまま祖母のところへ連れて行ってくれと言い出した。退院直後の父に先日の話をするのは酷かとも思ったが僕は話さずにいられなかった。

「おばあちゃん、ぼけたよ。」

 運転しながら話す僕に父は笑いながら言った。

「知ってるよ、前から。でも人に迷惑はかけていないようだから。」

「かけてるんだよっ。」

 僕は思わず声を荒らげた。自分の祖母が見せたあの醜い姿、【色ボケ】、【エロもうろく】とでも言うべき姿、僕は自分自身の尊厳まで傷つけられた気分であった。

「車を停めなさい。」

 父に優しく諭され僕は車を路肩に停めた。車を停めた後、僕は告げ口とも言うべき祖母のおぞましき行為について父に話した。

「気持ち悪い、いやらしい。若い男の介護士に色目使って、纏わりついて。もうあの施設に恥ずかしくて顔出せないよ。」

 すると父の顔が一瞬に怒りに歪んだのが見えた。だが怒りの色はすぐに消えて、悲しそうな顔になった。

「お前には話しておくべきだったなぁ。」

 父は寂しそうに話し始めた。



「ガキのくせに勉学なんかいらねぇって言ってんだろう。」

 僕の祖父は気が荒く、酒が入ると手が付けられなかったそうだ。そして学の無かった祖父に引き換え優秀に生まれた父は勉学に励んでいたそうだ。しかし祖父はそれが気に入らずいつも父の勉学を妨害し、時には父を殴りつけようとしていたらしい。


「ねぇ、お酒でも飲みながら、私と楽しく過ごしましょうよ。子どもなんかほっといてさぁ。」

 そんな時必ず祖母が父と祖父の間に割って入ってくれたそうだ。ある時は色仕掛け、またある時は酒の力を借りてどうにか父を祖父から引き離し、そのすきに父は家を飛び出して遅くまで電気のついている公立病院のロビーや時には公衆トイレで勉学に励んだ。父が家に帰ると父に殴られたのか腫れあがった笑顔で祖母が迎えてくれたそうだ。祖父の高いびきを尻目に。


 父と祖母の努力は実を結び、父は立派な成績で大学を卒業し、立身出世し現在に至ったのである。


「お前には話しておくべきだったなぁ。」

 父はそう言いながら初めて僕に涙を見せた。僕は自分の無知を恥じ、気づけば大泣きしながら父に謝罪を繰り返した。そんな僕の頭を父は優しく撫でながら言った。

「大丈夫だ。あの施設なら。素晴らしいスタッフさんたちがきっと理解してくれているよ。おばあちゃんの行動を。」

 僕は涙を拭いながら何度も頷いた。

「俺が何日も顔を見せなかったから、おばあちゃん俺のこと心配してたんだろうな、きっと。さぁ、おばあちゃんところ行くぞ。」

 父に声をかけられた僕は落ち着いて運転できるようになるまでまだまだ時間がかかりそうであった。

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