2章4話 帰り道と秘める心
「じゃあまたね!」「またあした!」
通学路を帰ってきて、絵美と絵夢の二人は分かれ道でそう言って手を振りながら去っていく。この後はピアノの習い事があるらしく、色々と聞いたのだけれど、ピアノに触ったこともなければ、歌もあまり知らない僕はちんぷんかんぷんだった。
でも二人共沢山教えてくれて、今度聞かせてくれるそうなのが楽しみ。
習い事と言えば、僕もお祖父さんにも一度、もしも何か習いたいことがあるなら言えと言われていた。その時は特に思いつかなくて、それにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないと思っていたのだけれど。
『ありゃあな、祖父さんが自分で何か教えたいだけかもしれねぇから、後でそれとなく言ってやってくれ。書道か囲碁か、後は道場での稽古だな』
そう楽さんにこっそりと言われて、今考え中だ。
お祖父さんは今はもう引退というものをしているみたいだけれど、書道も師範代らくてとても立派な家の表札もお祖父さん作らしい。そして何より、元々は道場で合気道を教えていたとか、警察の方に指導もしていたと聞いてびっくりした。
楽さんも習ったの? って聞いたら。
『まぁ、護身用にちょっとな。才能なかったし、料理の方が好きで、そっちは爺さんは全然だったから途中からはそれぞれ好きにって感じで今みたいな感じだ。だからまぁ、詩音も興味があればくらいでな』
(合気道かぁ……)
僕も少し、強くなることに憧れはある。
でも、それ以上に相手に触れることになるのが怖い心もあった。そして、お母さんは僕が習い事をするとしたら何がいいと思うかなという想いも。
「そんなところで一人、たそがれてどうした少年?」
「……あ、茜さん。こんにちは!」
「ふふ、こんにちは。ちょうど帰るところかな? それなら私も一緒に行っていい? それにしても、ふふ――――」
「…………?」
少しずれたランドセルを背負い直して、挨拶をした僕をまじまじと見た茜さんは、ふと懐かしそうな顔で笑った。それに、僕が怪訝な表情を浮かべると。
「あぁ、ごめんごめん。やっぱり詩音くんは楽の甥っ子で、奏音さんの子供なんだなぁと思ってね。さっきの後ろ姿もそうだけれど、楽の子どもの頃によく似てるから……」
「僕と楽さん、似てますか?」
「うん、似てる似てる。こう、ふとした雰囲気がね……純粋に顔が似てるとかよりも、あぁ、血の繋がりって凄いもんだなぁって思ってびっくりしちゃった」
僕は、楽さんを思い浮かべながらそう呟くのに、茜さんがそう答えてくれた。
ゆっくりと並んで歩き始める。似ているのが不満なわけではなくて、純粋に楽さんが僕くらいだった頃が想像できないなと思っていた。想像できないのは、茜さんもそうだけれど。
「そうそう、こんな風に二人で通学路を帰ったりしてたのよ? あいつも時々さっきの詩音くんみたいに立ち止まってさ、遠いところを見てた」
少し立ち止まって、先程僕が声をかけられたところを指でさす茜さんの横顔が、その時の楽さんのことを思い浮かべているのか、いつもの茜さんよりも綺麗だった。
そして、そんな茜さんに見惚れていたからか、後ろからの車に僕は気づいて無くて。
「おっと、危ないよ?」
そう言って手を引かれて引き寄せられた。その瞬間。
――――好きだなぁ。
触れてしまった茜さんから溢れるようにして、そんな想いが僕を包んだ。
それは知らない感覚だった。お母さんのことを好きとか、楽さんやお祖父さんに感じる感情とは別の、優しいけれど、それだけじゃない好き。
ぶわっと広がるように触れた部分から感じた想いに呑まれるようにして、僕が戸惑いを隠しきれずに固まってしまったのを見て、茜さんは不思議そうにして、そして、一拍考えて、僕と繋いだ手を見た。
少しずつ、赤くなる。
――――気持ち悪がられる。
「……ごめ――」
「あちゃちゃ、ごめん、もしかしてバレちゃった?」
湧き上がった恐れとともに咄嗟に謝ろうとした僕に、茜さんは照れたように、でも手で僕を制するようにして何でも無い口調で、そう言った。
多分それは、僕に気を遣わせないようにという優しさで、内心を知られたという気分の悪さに蓋をしてくれていて。
僕は改めて茜さんを少し知った。
「こっちこそ、勝手に見ちゃって、ごめんなさい」
「ううん、だってこっちが触れちゃったんだし……それに、詩音くんならいいよ。でも約束してほしいことがあるかな?」
「はい」
「楽には……その、私があいつをどう思ってるかは、内緒ね?」
そう言って、茜さんは口の前に人差し指を持っていって、いたずらっぽく笑う。そして、その言葉できちんと僕にも分かる。
「あ……やっぱりさっきのは楽さんに対してのこと、なんですね。はい、僕、ちゃんと黙ってます」
だから、感謝も込めてそう言ったら、茜さんは少しだけ目を丸くして呟いた。
「……あれ? もしかして、私墓穴ほったやつ?」
「ぼけつ?」
その言葉は、まだ知らなかった。
「あぁ、えっと、その…………さっき、詩音くんにはどこまで伝わっちゃったのかなって」
そして続いて、また赤くなった茜さんが少しあたふたとしたように、僕に尋ねてくる。
「その……誰をとかはわからなかったんですけれど、凄く溢れるような、好きっていう気持ちがぶわっと。あれって楽さんのこ―――――」
「わー!!! うー、自爆。でもこれは仕方ないかぁ……」
僕が伝えようとすると、茜さんは手をブンブンとふって、でもその後顔を両手で覆うようにして空を見上げた。その後もぶつぶつと呟いているのが、頼りになるお姉さん然としたいつもと比べておかしくて。
それに、気持ち悪がられなかったことにもほっとして。
「……ふふ、でも、僕は茜さんが楽さんを好きでいてくれて、何だか嬉しいです」
僕がそう、思ったままに言うと、茜さんは僕をまじまじと見て、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「詩音くん、君はいい子だねぇ!」
「あはは、苦しいです茜さん。ところで茜さんは、楽さんのどういうところが大好きなんですか?」
「あー、ちょっと改めて言うと恥ずかしいんだけれど、聞きたい?」
「はい、気になります」
僕は頷く。あんなに溢れるくらいの想いなのに、今こうして事故のように視えるまで、全然わからなかったのも気になるし。それに、楽さんと茜さんはあんなに仲良しなのに、それでも隠している"好き"がどんなものなんだろうって思ったからだった。
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