起きていられない男

じこったねこばす

起きていられない男

起きていられない男。五菱銀行上海支店の副支店長を務める森隆弘は、五菱がかつて吸収合併した日本唯一のコルレス機能を担った東京正金銀行の入行で、日本のストラクチャーファイナンス開闢期からストファイ業務に従事してきた男だ。上海は彼にとって4場所目となる海外赴任であった。


高身長で眉目秀麗、英語も堪能とあって森には人にはない華と品格があった。しかし、彼には唯一大きな欠点があり、酒好きにも関わらず致命的に酒が弱く、宴席などで少し酒が入ってしまうと客前であってもたちまち寝てしまう悪癖を抱えていたため、多くの部下は森を客との接待に連れ出すことを躊躇した。


なかには森の悪癖に対し「激務でお疲れでしょうから」とその場では笑顔で対応しつつ、後日担当者に「森さんはもう連れてこなくていいかな」と出禁を示唆する客も出てきたほどだった。そんな年末のある日、森は五菱銀行をメインバンクとする大手化学品メーカーT社との接待で最大のやらかしを犯す。


化学品メーカーT社の中国総代表である菊池以下4名と、五菱銀行上海支店長である野田以下担当ラインとの忘年会は毎年続く恒例行事で、今年は五菱銀行がT社をもてなす番であった。何ごとにも小回りの利くT社担当の神崎が上海で近年人気の和食レストランの最奥個室を抑え、年忘れの宴会が始まった。


まずはお互いビールで乾杯。席上の話題は直近クローズした案件のお礼に始まり、近年の中国マクロ経済、中国政府の金融政策などのお堅い話が続いた後、神崎が頃合いよく日本酒を注文したことから、T社菊池の口からは滑らかに駐在員ならではの苦労話や本社への愚痴などが吐露され段々と場が和んできた。


菊池と野田の会話が弾む中、横でウンウンと聞いていた森の頷きが徐々に大きくなっていることに神崎は気づいた。神崎が森の異変に気づき10分程度が過ぎた頃、やがて森の動きは「頷き」の語義の限界を超え、和食屋個室で上司と客の話にヘッドバンギングで応じる奇妙なサラリーマンが誕生していた。


対面に座るT社の面々は菊池をはじめ全員が森の寝落ちを確認しつつも、バツが悪くなり末席で申し訳なさそうに座る神崎の姿を認めたため終始大人の対応。客との話に集中していた野田がようやく森の異変に気づき、森を思い切り肘で突いた。が、しかし森は一瞬目を覚ますもののすぐに寝てしまう。


忘年会も後半戦。野田が森の寝落ちに気付いてからは、神崎が数えただけで「肘打ち→目覚まし→寝落ち」の一連の流れがかれこれ5回は続いた。銀行の要職にあるものの滑稽な姿にT社の面々は笑いをこらえつつも、最終的には野田が6度目の肘打ちをしようと構えた際に菊池が「まあまあ」と野田を制止した。


森の寝落ちはあったが、T社の寛大さと可哀想なまでに献身的な神崎の貢献で、2社の忘年会は菊池と野田ががっちりと握手を交わしてなんとか終了。T社のトップ2人が車に乗るのを見送ったあと、野田は残ったT社の面々に挨拶をし自らも車に乗り込んで帰宅の途についた。


T社の課長と担当は本日の功労者である神崎を労おうと彼に近づき、「かんちゃん、おつかれ。2軒目どう?」と声をかける。神崎は顧客の誘いを断ることなく「いきましょう」と勢いよく返事をした。すると、次長の田所も「私もご一緒しようかな」とのってくる。ここでまさかの反応を示したのが森だった。


先ほどまでヘドバンスリープを繰り返していた野郎が「私もご一緒してよいですか?」とどのツラ発言をぶっこんできたのだ。中国駐在員にとって2軒目と言えば女性のいるカラオケに行くのが常。森もそれを知っていて2軒目についてこようと言うのだ。T社の2人は呆れつつも森を断りきれず一同は店に向かう。


T社の2人は手慣れた様子で馴染みの女性を呼び出し、五菱銀行の3人は並んで出てきた小姐と呼ばれるホステスをそれぞれ指名した。T社の課長は五菱銀行の面々に対し「ここの店はダンスタイムがあるんですよ」とスケベ丸出しの笑みを浮かべつつ得意げにダンスタイムの説明を始めた。要はおさわりタイムだ。


神崎はここでも場を盛り上げるべく仕切りに動き回り率先して曲を入れ、酒を飲み、次長の田所もT社の課長をケアすることで客であるT社を楽しませていた。一方、森は客のことなどそっちのけで小姐と肩を組み、神崎の歌う曲で気ままに踊っていた。ーーその時、一団のいる部屋が突如として真っ暗になった。


カラオケのモニターすらも消え、爆音でアップテンポのBGMが鳴りはじめた。神崎は咄嗟に「これがダンスタイムだ」と悟った。するとそれぞれの男性の横に座っていた小姐たちは対面する形で男の上にまたがり、男の手を自らの胸元へ誘った。神崎は当初恥じらいを感じつつも、ままよと思いダンスに興じた。


暗闇に転じて10分ほど経った頃、部屋の明かりが灯される。T社の2人が田所と神崎に対し「どう最高だったでしょ?」と笑顔で語りかけ、神崎が「サイコーっすね!」と返したとき、神崎がふと森と森担当の小姐に目をやると2人の行動に強い違和感を覚えた。そこにはまさかの光景が広がっていたのだ。


ーー森が酔いとは違う惚けた顔をしている・・そして、森担当の小姐が森の股間をしきりにおしぼりで拭いている。この姿から神崎は瞬間に察した。さっきまで寝ていた男が一方で股間だけは起っきっきさせ、果てには客との宴席で股間を暴発させ、最終的に森本体だけでなく股間までオネンネしたのだと。


皆の気づかぬ間に上海シャセイ大会が開催され、勝手に閉幕していた。間も無くこの様子に田所もT社の2人も気づいたが、しかし、すぐに何も見なかったかのように目を逸らした。部屋の片隅には呆けた赤ら顔の上司。神崎はなかば冷静に、人間は本当に閉口すると口が開くものなんだな、と脳の中でポツリ呟いた。


それから森は寛大なメイン先からも出禁を言い渡され、「森パルプ」とのあだ名がつけられた。意味は森セイシ。森はいまも語り継がれる伝説の副支店長となった。みなさん、忘年会シーズンでもお酒はほどほどに。


おしまいーーー。

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