料亭『稲成』と色々な客

ゼン

料亭でノックはしない

 

「こちら、鯛の舟盛りです」


 美しい着物を身にまとった女将が良く通る声でそう言った。

 ここは由緒正しい料亭『稲成』。古くから政界の重鎮や小説家などに愛されてきた有名店である。

 今も洒落たスーツ姿の青年と髭を蓄えた恰幅のいい紳士、そして女将が和室で小気味のいい会話を行っていた。


 「いやぁ、ここの料理は最高ですね」

 「そうだろうそうだろう。質の高い食材に美しい盛り付け、味はもちろんの事だが何よりこの色が最高だ」

 「お褒めいただき、ありがとうございます」


 女将は小さく笑顔を作ると、実に品の良い座礼をした。

 『稲成』は国内最高峰の料亭である。先ほど紳士が述べたように料理は最高峰、礼儀作法から機密保持まで、これぞ料亭というものを高いレベルで行っている。

 その質の高さから古くから身分の高い者達に愛されきた。

 しかし今代の女将はまた一味違う。

 その要因が”色”である。

 色には様々な効果がある。

 暖色や寒色、興奮色や鎮静色など心理的にも視覚的にも多くの作用を働かせる。

 女将はこれを料亭に利用した。

 食事一つ一つ、襖や畳一つ一つ。お客様の状態や会話の内容によっても、色を瞬時に操作し最も心地よい空間を演出しているのだ、

 今この部屋では落ち着いた濃緑の中に金色があしらわれていた。


 「しかし女将さん。この色を変えるってのは一体どうやっているんですか?料理を良い色にするのは何とかやれそうだが、この座敷の色まで気づいたら変わっているのはどういう仕組み何でしょうか?」

 青年は部屋の仕組みに興味津々といった様子だ。畳や机を撫で、首をかしげている。

 「あら……申し訳ございません。企業秘密、でございます」


 女将はうふふという言葉そのものの顔で笑っている。


 「そんな事聞くんじゃないよ。風情がないだろう」


 紳士は持っていた扇子で、青年の頭をぴしゃりと叩いた。叩くといっても暴力的な印象はない。親子のような雰囲気だ。


 「すみませんでした」

 「いえいえ、お気になさらず。本当のところは言えませんが……強いて言うなら”魔法”といったところでしょうか。」


 女将が掴みどころのない雰囲気でそう言うと紳士はクツクツと笑った。


 「確かに、魔法のような技術だ。そしてそれを扱う女将はさながら魔女といった所かな?」

 「まぁ、ひどい」


 川のように時は流れ気がつくと、料理を食べ終えた客人は小鉢と日本酒を静かに楽しんだ。

 見事な枯山水だ。軽く斜めに切られた松の葉の手入れが粋である。


 「あ、たぬき」


 青年は一番星でも見つけたかのような顔で言った。紳士もお客さんだなどれどれと言ってそちらを眺めている。しかし女将はただならぬ様子であった。

 小声で仲居に支持をすると、庭に面した側の襖をぴしゃりと閉めてしまった。


 「お目汚し大変失礼いたしました。たぬきは従業員が迅速に処理いたしますので、どうか引き続き当料亭のサービスをお楽しみください」


 青年と紳士は突然のできごとに大変困惑したが、女将の有無を言わせぬ迫力に押され結局その日は庭を見る事は無かった。


 「ふぅ……」


 夜空で月が輝き、虫の声が響くころ女将は料亭の中でため息を漏らした。


 「まさかたぬきが入ってくるなんて」


 美しい着物が段々と脱げ、その姿があらわになった。黄金色の毛に三角の耳、大きなしっぽ。女将だったものは体をふりふりと揺らしながら歩いて行った。


 「きつねだってバレちゃ商売やっていけないよ。色々秘密を守るのも大変さね。さぁみんな!たぬきを追い返すよ!」


 その夜はたぬきを追い回す、きつねの群れが見つかったという。緑の中できつねとたぬきが動き回る姿は、濃緑に金を足したような実に美しい光景だったそうだ。

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