メガバンク壮絶パワハラ体験記〜私とHの24ヶ月間戦争 

じこったねこばす

メガバンク壮絶パワハラ体験記〜私とHの24ヶ月間戦争 

「基本動作がなってない!」

来る日も来る日も同じ言葉で罵倒され続けた。

まだ「パワハラ」なんて言葉が発明される以前の話だ。

10数年経った今でも、あの下品でいやらしい顔をした男の、ネチョッとしたタバコくさい口から浴びせられる罵詈雑言と不快感を、如実に、そして、色鮮やかに思い出せる。


都市銀行では中卒扱いされる大学を出た私は、何を間違えたのか、都内でも有数の名門店と呼ばれる支店に配属をされた。されてしまった。私には子供のころから悪目立ちをしてしまう癖があったが、配属初日からカマボコみたいなテカテカに撫で付けられた髪をした支店長という男に、私の髪型についてお小言を言われた。


「何を考えてそんな髪型にしているんだ?」

伝統的カマシというやつだった。



いまは色々な呼称があるようだが、当時支店長と言えば法人営業部のトップを指した。一般にイメージされる銀行窓口がある場所は「支店」であるが、そちらのトップは副支店長と呼ばれていた。


私の時代は特別希望をしなければ、新人は3か月の支店研修を経たのち「法人営業部」に配属される決まりだった。


要は、私は配属初日にその後の大ボスとなる人物に一喝されたことになる。


社会人の、それも銀行というひどく封建的な会社員のスタートとしては最悪の更に斜め上のようなコケ方だったのだ。

また、この情景を見ていた底意地の悪い人種には「こいつはヤってもいいやつ」という認識を抱かせたのであろうことを、もうちょい大人になるまで気づかなかった。



そんな人間の悪意の変遷に何も気づかない私は、3か月間の支店研修を謳歌した。窓口のお姉さま方と親しくなり、高卒叩き上げの職人みたいな為替課の課長に溺愛され、外為課の支店長代理にはホッピーの飲み方を教わり、ロビー案内係のおっちゃんには自分の娘との見合いを進められるまでになった。



大学入学と同時にバイト先の主婦にどハマりし、見事大学デビューに失敗した私は、主婦と別れたあと大学に居場所がなく、飲食店での仕事に没頭した。

そこで私は人の懐に飛び込む術を身に着けた。見事なまでに支店での研修期間中にそれを発揮した私は、と同時に、意地の悪い人間に日々気付かぬうちに「やっかみ」「嫉妬」という燃料を与えていたのだった。


3か月間の執行猶予、もとい、支店での研修期間を経ていよいよ法人課へデビューすることとなる。


大手銀行の法人課における新人の仕事とは、先輩に指示されたパワーポイント資料を作成し、海外の支店と英語で電話会議して、お客様先に訪問して、華麗に財務戦略を提案!なんてことは一切しない。

絶対にない。


銀行における当時の新人を形容するならば、スーツとネクタイを無駄に身にまとった雑用係との表現が正しかろう。


朝は重い移動式トレーを金庫から運び出し、全ての戸棚のカギを開け、日中はプリンターの紙詰まり・紙切れ音に全ての神経を集中させ、誰よりも早く紙の補充をする。

夕方には支店のゴミ箱を端から集め、紙とそれ以外のゴミに分類し、全ての戸棚の鍵を施錠し、トレーを金庫に収納し業務終了。


夜は夜で、いかに先輩たちとの飲み会にノリの良い支店の女子を呼び寄せられるかが裏のKPIとなった。


日中の仕事らしい仕事と言えば、日本語で書いてあるのに、一切内容が頭に入ってこない単語で埋め尽くされた紙へ、根拠のない〇をつけていく伝票起票という作業。

なぜここに○をするのかも、なぜここに○をしてはいけないのかも全く教わることのないまま、ただただ伝票を作り続ける。


そして、先輩が販売したデリバティブ内包型の定期預金を、さらにその顧客への貸出金の担保として取得し、ひたすらに質権を設定するというモラルのかけらもない仕事の片棒を担ぐ。


とにかく、毎日毎日頭を使わないBull-Shit Jobにまみれていた。


今思えば、あれは一種、学生時代にはみ出すだけはみ出した自意識を、銀行員と言う型に押し込むための洗脳作業なのだ。型からはみ出た自意識をハサミで切り取るのだから、痛いのなんの。


それでもそれは、後に始まる地獄の日々に比べればまだまだ安穏な日々だった。


悪夢は突然やってきた。

新人の教育方針がとある事情によって大幅に変更されたのだ。

それまでは、法人課に配属されながら先輩営業マンの取ってきた仕事の後続処理を課の中で担当しておけば良かった。

しかし、方針変更後は支店全体の法人事務を処理する専用の課を作って、そこに新人が所属し事務全般を担うこととなった。


その課の課長に就いた人物こそが、私に文頭のトラウマを与えた男だ。

今のところ、私の人生において、私のことをいじめた人間ランキングのダントツトップはこいつだ。

名をHとでも呼ぼう。


Hはバブル期に脳筋大学から入行したウインドサーファーで、入行は大阪の地方支店。そこから悪辣非道の手を駆使し名門店に辿り着いた叩き上げだ。

サーファーのくせに、海の波には乗れても出世の波にはうまく乗れなかった昇格遅れ組の男であった。


しかし、Hは出世が遅れているくせに、バブルの影響なのか自己肯定感の強さが☆を取ったマリオくらい強い。

また、派遣社員の女性に対して、ことあるごとに「気が利かない、だからお前は結婚できないんだ」と平気で吐き捨てる品性下劣の極みのような人間だった。

私はそれまで彼の存在を認識していたものの距離を保っていた。


とは言っても、拠点の飲み会で先輩方にお酌をして回る際に二言・三言程度言葉を交わしたことはあった。


ただ、その短いやり取りの中に、何とも言えない意地悪な印象と、そこからくる人としての付き合いづらさをにわかに感じ取っていたためにそれ以上は近寄らないでいた。


最初、この男に違和感を抱いた話はこうだ。

4月に支店に配属されて一週間くらい経った頃、新人歓迎会なる拠点全体の飲み会が催された。まだ、支店長・副支店長・教育担当の先輩行員くらいの名前しか覚えてもいない時期だ。

私は新人らしく各テーブルに座る先輩方にお酌をして回っていた。


支店長の座る席、副支店長の座る席と順々に回り、何テーブル目かの順番でこのHの座るテーブルに辿り着いた。

「新人の『じこったネコバス』です、宜しくお願いします!」とHの持つグラスにビールを注ぎながら挨拶をした際、私の顔をまじまじと見つめながらHはこう言った。


「挨拶が遅い」。


意味が分からなかった。

新人がまず挨拶に向かうべきは、拠点で一番偉い支店長の席、その次に回るのが副支店長。

その次以降は、私の一つ年次が上の先輩が私の手を引いてくれて役職順、年次順に回ってきた。

私に手抜かりは無かったはずだ。


それでもHは続ける。

「お前、おれと同じ大学出身にもかかわらず、何故まずおれに挨拶に来ない?」


私は思わず耳を疑った。

拠点に所属する誰がどこの大学出身かなぞ、支店に配属されて1週間で知る由もない。


また、私の入った銀行は大学ごとに採用活動が行われるため、採用活動にHが参加していればあるいは顔を知っていたかもしれないが、後から知ったところ、Hは人望がなさすぎてそもそも採用活動に呼ばれていなかったそうだ。


私の足りない人生経験のなかから、その場の対処法を探すものの、「Hが冗談を言っている」、もしくは「新人イジリをしている」と思うことでしか腹落ちができなかった。


すぐに、「失礼しました!これからよろしくお願いします!」とぎこちないながらも出来る限りの笑顔で応えた。

Hは、「調子のいいやつだ」と吐き捨てるように言ったきりこちらに一瞥もくれない。


その後、その場はなんとなく私にとって気まずい空気になったが、すぐに同じテーブルの別の先輩行員にお酌をし、また別のテーブルに移りお酌を、と繰り返しているうちにその違和感と深く向き合うことはなく、飲み会はお開きになった。


しかし、Hはじりじりと着実に私に対してハラスメントの照準を合わせていたのだ。


新しい課に配属されてからすぐにHからの陰湿ないじめが始まった。

衆人環視のなか、大声で怒鳴られる、ファイルを投げつけられるというのは日常茶飯事だった。


地下の金庫に呼び出されて探し物を言いつけられている間に内扉の鍵を外から閉められ出られなくなったこともある。

その後、席に戻ると「どこに行っていた?」と罵られた。

わざとのくせに。


ある日、私の大学時代の親友が急死し、どうしても葬儀に参列させて欲しいとHに懇願したときは、「どこの馬の骨とも知らんやつが死んだことなんてどうでもいい、休みたいなら辞表を用意して支店長に謝罪してから葬式にいけ」とも言われ、自分が情けなくなり、亡くなった友人に申し訳なくなってしまいトイレで泣いた屈辱は今でも忘れられない。


他の行員たちはどうしていたのか?と思われるかもしれないが、H以外の先輩たちは実に素晴らしい人達ばかりであったし、彼らに毎晩飲みに連れて行ってもらって愚痴を聞いてくれたことで支えられていた。

大体皆Hのことが嫌いで、大体皆過去に何かしらHにやられた経験があるようだった。


しかし、いかにHが拠点の中で嫌われ疎まれて浮いていようと、私にとって避けることができないレポートラインであり、唯一無二の人事権者であったため、他の先輩たちのように逃げようが無かった。

何故私がこんな目に?と自らを呪う日々であった。


ある時にいじめの理由を他の先輩から聞かされたことがある。

よくよく聞いてみると、私が配属初日に支店長に一喝を受けた事実を基に、Hは私に対しては「指導の名を借りて何をやってもいい」「おれが指導してやる」との認識を持ったようであった。


また、拠点の中でHがお気に入りの女子行員と、私が仲良さげだということを苦々しく語ってもいたそうだ。

Hはずっと私を見ていたのだ。



ひとつ大きな事件が起こった。

突如として私の印鑑がなくなったことだった。


その日は朝から事務作業をしていたのだが、先輩が外回りに出ている間に、その先輩の担当するお客様が急遽来店された。


私は自席を外し窓口のカウンターでそのお客様の応対をしていた。

その後、拙いながらも一通りのやり取りが終わり席に戻って気が付いた。


銀行員にとって命と同じくらい大切な私の印鑑が無いのだ。


拠点中のすべての机の下、細かな隙間をくまなく探した。

「申し訳ありません」と謝りながら他の行員の引き出しのなかも全てチェックさせてもらった。


外交用のかばんもひっくりかえしたし、来店されていたお客様にも失礼ながら電話を差し上げ、誤ってお持ち帰りになっていないか確認した。

が、どこからも私の印鑑が出てくることは無かった。


印鑑の再発行には支店長の印鑑が必要であった。

どこを探しても印鑑は見つからず、万策尽きて、何を言われるかもわからない恐怖を抱えたまま、仕方なくHに印鑑を紛失した旨を伝えると私は会議室に呼び出された。


「どういう親に育てられたらお前のようなゴミになるのか」

「社会人と言うよりも人として間違っている」

「銀行ではなく障害者施設に入れ」という悪口雑言が二時間以上続いた。


その後、支店長に頭を下げ印鑑再発行の許諾を得た際、Hは私に向かって、「俺のお陰で支店長は再発行を認めてくださった。お前のような人間の信用を補完してやったことを有難く思え。明日俺宛に始末書を出せ。」と言ってきた。人間、コテンパンにされると頭が回らなくなるものだ。

もはや何も感じない。


その夜、ボーっとしながらも、独身寮で嗚咽しながら始末書を書いて翌日朝イチでHに提出した。


Hは私から始末書を受け取って、読むでもなく、破るでもなく、机の中にしまったのみであった。その際、ふと覚えた違和感があったが、それが何なのか分かるのはもう少し先の話。


その後もパワハラの日々が長らく続いた。

相変わらず精神的暴力や罵倒は続いていたが、人間とは怖いもので段々と慣れてきてほぼ何も感じなくなっていた。


学生時代は、規則正しく不規則な生活を送っていたので瘦せていたが、その頃はHからの罵倒を「肉」で防ごうと言わんばかりにとにかく食いまくって見るも無惨に10キロ以上太ってしまった。


私が社会人の2年目になるころに転機が訪れた。

銀行全体のコスト削減の観点から、拠点の統廃合が起こるというのだ。


我が拠点は名門ではあるものの、合併する拠点のほうがもっともっと巨大で名門(語彙!)。

我々はそちらに吸収されることになった。

そうなると我々支店の最若手組は引っ越し係として駆り出されることになる。


スーツを着て会社に来て、会社でジャージに着替え、朝から晩までダンボールに荷物をつめたり、ラベルを貼ったりして新しい拠点に荷物を運ぶ毎日が到来した。


人も、徐々に新しい拠点に移れる人から移ってしまっている。

最後まで残っているのは我々若手で構成されている法人事務チーム。

そりゃそうだ、拠点の引っ越しをずっとやっていて自分らの引っ越し作業などする暇もない。


その頃、Hと言えば、新しいご主人様に尻尾を振ることに躍起になっていた。拠点が統合することになったため、消滅する我が方の支店長が異動、受け入れ先の支店長が我々の新たなボスになることになった。


余談だが、Hの尻尾の振り方がまた特徴的であった。

横目でHのPC画面を見ていたところ、Hが熱心に打ち込んでいたのは、新支店長宛ての「旧●●支店 人物評価」という旧支店メンバーをH自らが格付けした献上用リストだった。

皆が知らぬ間に、世界一くだらない信用格付機関が爆誕していた。


同期と私の2人で引っ越し作業をしていたおり、同期が「なあ、じこちゃん、これみて。」と私に声をかけてきた。


声がする方に目をやってみると、吃驚するブツが私の目に飛び込んできた。


無くなったはずの私の印鑑だった。


「そ、そ、そそそそそ、それどこにあったの?!」

普通に話そうとするものの驚きで声が震える。


同期も驚きを隠せない様子で、「Hの机の隙から見えたから『?』と思って、引き出しを開けてみたら出てきた」との返答。


私はその時、ハッとした。

そうか、始末書を渡したときに感じた違和感はこれだったのだ。


何が違和感の原因だったのか?


私の印鑑のボディには、支店の研修時代に先輩女子行員からもらった特徴的なステッカーが貼ってあった。それをくれたのは何を隠そうHのお気に入りだった。


始末書をHに渡し、奴が始末書を机に入れる刹那、見覚えのあるステッカーの影が私の視界の端を掠めたのだった。


しかし、私は当時、長時間にわたって罵倒されて意識が朦朧としていた日の翌日で、精神の消耗が激しく頭が回っていなかったため、気づけなかったのだ。


「じこちゃん、どうするよ?」。

同期の声も震えていた。


私が半沢直樹であれば、これからHに土下座させられる絶好のチャンスなのだが。。


Hは新しいご主人様に尻尾をふることに執着するあまり、とんでもない尻尾を我々に掴まれた。

ドラマであれば、人々の前にHを引きずり出し、土下座させられるかもしれないが、そんなことは当時の銀行では出来ない。

このような面倒ごとは恐らく上に握りつぶされて終わりだろう。


そこで私は考えた末にこう思いたった。

「Hの印鑑と名札を捨てよう」。


倫理に則って考えれば、人の机を開けて、その人のものを盗り、さらに捨てるなどということは許される行為ではない。それは分かっている。


ただ、私の中のリトル最高裁判所長官が判決を下した。


「判決・主文、ええで。」と。


そこからの私の行動は早かった。

盗み出すこと風の如し。


Hの引き出しを開け、奴の印鑑と名札を取り出すと、引越用のガムテープでぐるぐる巻きにし、「焼却用」と書かれた段ボール箱に捨てた。

保管期限の切れた機密用の書類や物品を焼却処分する用の段ボールだ。

ここで段ボールにいれてさえしまえばもう絶対に誰にも見つからない。

私の怨念よ、情念よ、猛き炎になれ!


そこからどうなったか・・・?

何も気づかないHは自分の引っ越し荷物を段ボールにつめ、新しいご主人様が待つ(待ってないけど)拠点に意気揚々と移っていった。


新しい拠点で荷をほどいてHは気づく。

「印鑑と名札が無い。」


その姿を見ていた私も同期も完全にそ知らぬふりを決め込んだ。


Hは慌てる。慌てふためいている。

そして、探す。

机の上を、下を、新しい拠点の隙間という隙間を。

でも、そんなところにはない。あるわけない。

もう燃えちゃってるんだから。

燃えちゃってるんだから。。

燃えちゃってるんだから。。。

(エコー)



Hは尻尾を振っていた新たな飼い主に、着任早々「引越しの最中に印鑑を無くしました」と再発行の承認を貰う羽目になった。

Hは拠点統合の旧支店側の責任者だ。

なんとも情けないHの姿に笑いを堪えるのが必死だった。


そして更に、「名札の再発行には始末書の添付が必須」とのルールがあったことが判明した。

こうして、普段一切PCには触らないHは、慣れないたどたどしい手つきで始末書を作成しはじめた。


「H課長、あんた一体、どんな親に育てられたんですか?」


拠点統合から一月後、Hが支店長から呼び出される。

支店長室から出てきたHは上気している。

とうとうHにも異動の発令が来たのだ。

しかも、昇格付の異動のようだ。

とことん人を見る目が無い会社である。

よりにもよって、こんなやつを支店の幹部に押し上げるなんて。


こちらの思いも知らず、「おれもやっと次長様か」とHは満足げに独り言ちた。


さあ、物語も終盤。

更にその後、Hがどうなったか??


Hは法人課の担当次長として、新たに着任した拠点で意気揚々と営業に出た。

さすがそこはドブ板外交から身を起こした人物であり、早々に大口の借入意向がある顧客が見つかる。

しかも相手は急いでいるようで、もし当行で貸出ができるのであれば、他の銀行へは一切相談せず当行単独で借りるとまで言ってくれているらしい。


その貸出を実行すれば、一発で支店業績が達成できる規模感の融資案件だ。


新たに着任した拠点で、次長就任早々大口収益を達成できれば、、、Hの頭の中でさらなる出世のイメージが出来上がったことだろう。


しかし、世の中、そんなに甘くはなかった。

この貸出案件の稟議を本社審査部は通さなかったのだ。

業歴も浅く、担保もほぼないため、「危険」と判断したようだった。


どうしてもローンを貸し出したいHは悪知恵を働かせた。

こんなことは過去からよくあること、悪辣非道の限りを尽くしてきたHには朝飯前だ。


そこで、Hが出した結論は、、、。

本社審査部に申請しなくて良い金額ギリギリまで稟議金額を引き下げ、支店長の決裁権限範囲内で承認を取得することを思いついた。

その後、あれやこれやで支店長を説き伏せたHはついに融資を実行した。


融資実行から間も無くして、借入人からHに対して連絡が入る。


「事業計画が大幅に下振れそうだ」と。


すると、融資実行からわずか3カ月で倒産するに至り、ほぼ担保もない中で融資をしていたウン十億円の資金は、その殆どが回収されることなく、焦げ付き債権になってしまった。

計画倒産というやつだった。


その後の本部からの調査で、一度本部で否認された案件を支店決裁で実行したと言う不正が判明。

この決裁を行い、本部に報告をしなかった支店長・次長であるHは処分されることになった。


Hらが査問委員会にかけられる際に人事部が調査した結果、出るわ出るわこれまでのHの不正の数々。

業績不芳な法人に対する優越的地位の濫用、部下へのハラスメント。

セクハラも。パワハラも。

まさにセパ両リーグ制覇。

体調不良で会社を早退したフリをして、外国人を買春していた事実も判明した。



それで、Hの処分はどうなったかって?

聞いてびっくり。

法人課担当次長の職務はクビになり、本部に更迭。

なんと、行内の不正をチェックするコンプライアンス統括室に異動となった。


え?


蛇の道は蛇、防犯対策は泥棒に聞け、とでも言うのだろうか。


ずーっとそこから長いことコンプラ部署にいて、その後、申し訳程度に小店の「副」支店長をやって銀行を卒業したそうだ。


奥さんともうまくいかず、離婚もしたと聞いた。


どうか健やかに。。


おしまい。

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