一一四 抱擁




 ユウヅツは心の底から思った。意味が分からない。怖い。突拍子もない。と。


 ユウヅツはこの期に及んでウハクが「冗談だよ」とか言って恋心を否定してくれることを望んでいたが、ウハクはうなずいてしまった。


 ユウヅツはぞっとした。咄嗟に考えるのはもちろんゲームの『バッドエンド』のことだ。喉元に死神の鎌がかかるのを錯覚する。


「なんで。なんで姫様がそんな。なぜ急に。どうして俺なんかを? 本当に困ります」

「…………。困るか? よく考えろ。卒業後は実家から放逐されるおまえの生活を、一生わたくしが保障してやると言っている。おまえに利点がある話だろ」

「利点!?」

「りてんとは、おまえに得があるということだ」


 利点という言葉の意味を聞いたわけではない。


 ユウヅツは、そんなもののためにウハクに近付いたわけではない。心から、何かで彼女の助けになれればと思っていた。

 それを、他でもない本人によって利害だの損得だのの話にされること自体とてもイヤだった。


「お、恐れ多くも姫様をそんなふうに見たことがありません」

「わかってるよ。だから、それでもいいって話をしているんだろ」

「俺は、あなたとの縁を、今後の生活のために利用しようなんて考えたこともないと言っているんです」


 というユウヅツの反論に、ウハクは目をまたたかせた。

 自分の言葉が、ユウヅツを権力狙いで近付いてきたヤカラ扱いしている風に聞こえることに、考えが及んでいなかった表情だ。


「……なるほど。すまない。そんなふうには思ってないよ」

「では、俺は姫様に俺の面倒を見てほしいなんて少しも思っていないのに、どうしてそんな話が出てくるんです?」

「わたくしがおまえを好きだからだ。どうやったらおまえが、ずっとわたくしの近くにいてくれるのか考えた結果がこれなんだよ」


 ユウヅツはくらっとした。

 掛け値なしの本音が出た。


「意味が分からない。怖い」


 そんなに俺のこと好きなんて、どっかおかしいんじゃないか。







 ここまで話して、ユウヅツは。


「……怒らないんですか?」とトカクに訊ねた。


 トカクは「えっそんなこと聞く!?」と思い、しばらくうなる。


「…………。……ウハクとおまえの関係は、……ふたりのものだろ。……ボクにはあまり分からないから、……ボクからはなんとも」

「…………」

「……手もつないだことのない男を養おうとしてるウハクは確かにヤバいし。……つないでないよな? いやいい、それより」


 トカクは。


「それから?」

「ぜんぜんおぼえてません。強引に逃げて、とにかく困って、夜寝られないほど追い詰められて、……気が付いたら卒業パーティーでああいうことされてました」

「そう……」


 刃物で殺される恐怖でいっぱいで記憶が曖昧とか言ってたな、とトカクは思い出す。

 と同時に、もう一つ思い出した。


「……そういやボク、おまえに好きなタイプ聞いたことなかった? 普通に答えてた気がするが」

「あれは……前世で、そういう処世術を教えてもらったんですよ。特にないって言うの、変だから、適当にでも答えたほうがいいよって友達に」

「……適当に?」

「目の前にいる相手の、真逆を答えろって」


 なるほど。


 考えるに、その前世の友達は、そこそこユウヅツ——『夕也』の特性を理解していたのではないか。

 ユウヅツは本当に『適当に』答えてしまうと、適当に目に入った、目の前の相手の特徴を答えてしまいそうな危うさがあり、それは火種を撒いているのと一緒だ。髪が長くてよく笑う女に、髪が長くてよく笑う女が好きと言うのは口説いているのと変わらない。


 トカクが聞いた時はなんだっけ。そう、黒髪ショートで背が高くて細かいことを気にしない奴とか言ってたはずだ。

 ウハク全否定のセリフと思っていたが、目の前にいる相手の真逆を言ってるだけだったのか……。


「あ!? 貴様ボクのこと、背が低くて細かいことを気にする奴だと思って見てたわけ!?」

「ひっ」

「何が細かいことだ、どの口で言うんだよ!!」

「あああ」


 ユウヅツがうずくまった。

 いや怒りにきたんじゃない、とトカクは拳をおさめた。


 攻撃がないと分かって落ち着いてくると、ユウヅツは。


「ぜ、前世で、そんな処世術を教えられた時点で」

「うん」

「自分がヘンなんだって、おかしいのは自分だって、気付いてもよさそうなものだったんですが」

「……べつにおまえがおかしいとは思わないよ」

「まったく自覚できないまま、……こっちの世界でもこんなことになってしまって……」

「…………」

「……もっとうまく……あのひとを振り回さない振る舞いがあったはずなのに……」


 あのひと、とはウハクのことだ。

 ユウヅツは顔を下に向けたまま。


「……姫様は、こっちでできた最初のお友達のつもりでした。そのお友達に酷いことを言ったし、……不幸にしてしまった。……それが俺のせいならもう死んじゃいたいって、言うのは、そんな怒られなきゃいけないことでしたか」

「……ボク、そんな怒ったかな?」

「世界を滅さんような怒り方でしたよ……」


 トカクは怒ってなかったよとか言ってすっとぼけようかと思って、……そういうごまかしをする段階ではなくなっているし、そういう相手でもないよなと思い直した。トカクが本心でなく、適当なことを言って丸め込む相手では。


「……おまえにあれだけ怒った理由、ボクなりに考えたけどな。あんなムカついたのって、……おまえが、殺してほしいとか言い出したからだなって」

「……無責任だと?」

「責任とかでなく。……ボクが、おまえが死ぬのはイヤだなって思ったよ」


 なのに、責任問題にして怒鳴ることしかできなくてごめんな。


 トカクはユウヅツの垂れたこうべを見ながら喋る。


「……ボクはこれまで、おまえを……おまえに、色々ぶつけることで、精神安定を図ってたというか……。……いやこういう言い方が良くないんだよな。うん。ボクはこれまでおまえに、支えてもらってきたよ」

「…………」

「それが、『友達だから』なら……ボクの方も、おまえの支えになるべきだったと……じゃなくて……、うん、今からでも支えになりたい、よ」

「ささえ……?」


 ユウヅツがゆっくり顔を上げた。恨みがましい目で見上げられる。


「支えって……?」

「いや、支えとかいらないっておまえは言うよな! 多分、ボクが怒り狂っておまえを殺そうかってくらい痛めつけたら、おまえ、楽になれるんだろ。救われるっていうか。殺してほしいってそういうことだろ。でもそれはイヤ、やりたくないってボクが思った」


 先手を打つようにトカクはまくし立てる。

 いったん話を区切って待つが、特に返事はなかった。続ける。


「……おまえに、できないことがあるとしても、ボクはおまえのこと友達と思ってきたし……」

「…………」

「……しんどいのは分かるんだけど、……もうすこし……元気出せよ。なっ」

「…………。……俺のせいで姫様を苦しめ」

「っていうけど、アイツめちゃくちゃ楽しそうだったぜ!? あの子だいたい暗かったけど、おまえと知り合ってから明るくなったし!」


 ウハクが楽しそうだったせいであの子を止められなかった者もいただろうなって程度には。


「ボクはめっっっちゃムカついたけど〜〜〜〜ッッ!!」

「……殿下は怒りの感情が強すぎるんですよ、悲しい時でも怒ってる感じがします」

「そうだよ! ボクはおまえに死にたいとか言われて悲しかっただけなのに怒ってしまった!」


 と聞いて、ユウヅツはおどろいたようだった。伝わってなかったのか。


「ボクは、おまえがいなくなったらさみしい。ウハクが関係なくても、ボクがイヤ」

「…………」

「って話をしにきた」

「…………」


 ああ、こうすればよかったのかと思いながら、トカクはユウヅツの頭に覆いかぶさり背中に手をまわした。

 慣れていないせいで人形みたいな動きになる。……ウハクにもしたことなかった気がする。


「……ユウヅツ。あまり一人で思い詰めるな、友達なんだろ……」

「…………」


 ……されたことは、ある気がする。小さい頃お母様とかにしてもらうことがあったような。トカクは考える。


 する側って、やることないな。

 とても居た堪れない。しかし、これで気持ちが伝わるのであれば安い、とトカクは抱きしめる腕をゆるめなかった。


「う」


 やがてユウヅツの手がトカクにすがってきた。


 胸元にユウヅツの嗚咽を感じながら、トカクは考える。


 大陸に渡って以降、トカク達は女子ばかりに囲まれていた。

『男友達』が必要だったの、ボクもだけど、コイツもだったんだな……。と。

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