〇五七 祝福

 


 果たし状を片手に中央広間へ訪れたトカクは、そこに誰もいなかったことにおどろく。


「……皇太女殿下を呼び出しておいて出迎えもないとは」


 日時とか間違えてないよな……?と不安になりつつトカクが歩みを進めると、椅子に手紙が立てかけてあるのに気付いた。

「わたしに座ってください」と書いてある。


 つまり出迎えがないのは仕様らしい。


「座って待つか……」


 トカクは椅子に腰かける。

 瞬間、ぽーんと琵琶の音が鳴った。


「?」


 どこから、と思いつつ待っていると、トカクが来たのとは反対方向の入口から、留学隊の六人が楽器を持ってやってきた。


「…………?」


 あっけに取られているうちに、六人はトカクの向かいまでやってきて、それぞれの立ち位置についた。ユウヅツは琵琶、ハナは笙、あとは琴、鼓、笛をそれぞれ持っている。


 トカクも気付く。彼らが、なんか演奏しようとしていることに。


 でも何? なんで急に、何のために……と考えて、トカクはハッとした。


「……誕生日じゃん」


 本日はトカクとウハクの誕生日であった。


 伴奏を聞けば、ユウヅツの前世にあった曲が元になっているであろうことはすぐに分かる。この世界にある既存の音楽と一線を画すから。


 ぽん、ぽん、ぽん、と音階が上がっていく。


 本来、皇族にとって誕生日とは重要な社交の日だ。

 しかし今年は留学の日程と重なってしまった為、パーティーの開催を事前に済ませていたのだ。そのせいで、トカクは当日のことをすっかり失念していた。


 トカクは、いまだ「今日が誕生日だった」衝撃が抜けきらないまま、六人が奏でる音を聴いた。逆立った心をなだめるためにあるような、優しい旋律だった。

 ユウヅツがいた世界の歌はいくつか教えてもらっていたが、合奏曲を聞かせてもらうのは、そういえば初めてだった。


 演奏が終わると、演者達は一斉に拍手を始めた。

 一瞬、自分達の演奏に自分で拍手しているのかとトカクは思ったが違った。


「姫様、お誕生日おめでとうございます!」


 拍手の音に負けないくらいの声でハナが言うと、他の者も口々にウハクへの祝いの言葉を口にした。


「姫様のお誕生日をお祝いするため、こっそり練習しておりましたの。この曲を姫様に捧げますわ。……いかがでしたかしら?」

「……ああ、こそこそ何かやっていると思っていたが、それで……」


 トカクはあやふやな気持ちのまま、どうにか言葉を返す。

 そして、ちゃんと反応せねばと思い立ち、腰を上げた。


「皆の者、ありがとう。自分でもすっかり忘れていた。こんなに心の込もった演奏はワタクシも……」

「姫様っ!?」


 ハナが悲鳴じみた声をあげる。

 え?とトカクは首をかしげて、そして気付いた。自分が両瞳から涙をこぼしていることに。


 まったく意識していなかったので、トカクはうろたえた。

 人前で『ウハク』の泣き顔をさらすなんて……。


「ぅわ」


 どうして泣いている? 自分で言うのもアレだが、ボクは感動して泣くような人間ではない。どうして……。


 考えて、はっとした。


「……失礼」


 トカクは目じりをぬぐい、ウハクの表情を作った。


「……ワタクシは皆からの、心の込もった演奏に、感動して……。本当にうれしくて……」

「まあ……! それなら、良かったですわ」

「……トカクお兄様にも、聴いてもらいたくなってしまった」


 分かった。

 ウハクに聴かせてやりたかったのだ。


 ウハクのために何かを用意してくれた彼女達の姿を、ウハクに見てほしい。どうして、ここにいるのがウハクじゃなくて自分なんだろう。

 そういう涙だった。


 トカクは、自身にこんな感情があることを初めて知覚した。


「そんなに喜んでいただけるなんて、私もうれしいですわ……!」

「練習を重ねた甲斐がありましたわね」

「だけど姫様、泣くのにはまだお早いですわよ。もう少しお付き合いくださいませ」


 『ウハク』なら泣いてしまうこともあるだろう、と思った令嬢達は、トカクの涙に過剰に反応しないことにしたらしい。話題が変わる。

 ただひとり、ここにいるのがウハクではなくトカクだと知っているユウヅツだけが、顔を青くしていた。




 その日の夜。

 報告したいことがあると言われたトカクは、船室にユウヅツを招いた。


「あの……双子なんで誕生日が同じだし、喜んでいただけるかと思っていたのですが、不快な思いをさせてしまったようで申し訳ございません」

「報告じゃなくて謝罪かよ」


 トカクは足を組む。


「……無様をさらした。ウハクに申し訳がない」

「あの」


 ユウヅツは神妙な顔で琵琶を抱え直した。


「けして皇子殿下へのお祝いを忘れていたわけではないのです。昼よりも人数が少なくなってしまいますが、せめて俺から一曲……」

「は? ……おまえ、ボクがお祝いしてもらえなくて泣いたと思ってないか?」

「……違うんですか?」

「幼児じゃないんだぞ!」


 あまりのことにトカクは机を叩いた。なんでそんな発想になるんだよ。


 ユウヅツは頭上に疑問符を浮かべながら。


「ト、トカクお兄様にも聴いてもらいたくなって泣いちゃったとか、言ってたじゃないですか……?」

「そんなの適当な言い訳だよタコッ。額面通りに受け取るな。ウハクのための曲なんだから、ボクじゃなくウハクが聴くべきなのに、と思ったんだ。……なんでおまえにこんな話をしなきゃいけないんだ!?」


 またもユウヅツに自分の心の繊細な部分を打ち明けるはめになってトカクは辟易した。察されるならまだいいが、自分で開示することにトカクは苦痛と恥辱がともなう。


 ユウヅツは「ああ……そういうことでしたか……それは……」と、ようやく合点がいったみたいな、気まずげな表情になった。

 どうやら、ここに来る前に「殿下がそんなことで泣くか? でも他に心当たりがないしなぁ」みたいな逡巡をしてはいたらしい。


 ダボがよ~~~~~~と罵倒したいが、いたずらにユウヅツを落ち込ませても良いことがないのでトカクは黙った。


 ユウヅツは頭を下げ。


「……失礼いたしました。早計でした」

「ああ、もういいよ。用事はそれだけか?」

「……必要ないかも知れませんが、一応さっき練習したので、皇子殿下のお誕生日を祝し、一曲だけ弾いてもよろしいでしょうか?」

「…………」


 変なところで図太いよなぁとトカクはあきれる。

 理由なく拒絶するのも子どもじみているので許諾した。


「昼間の合奏は、ハナ様達が、皇太女殿下のお好きそうな——ゆったりした、おだやかでキラキラした曲にせねばとおっしゃっていたので、前世の知識からそういう曲を選んで提供しました。なので、あれは皇子殿下のお好みではないかもしれないとは懸念していたのです」

「おまえにボクの好みが分かるのかよ」

「……卒業パーティーで披露されたダンスに使っていらしたような、拍節の速い、軽快な曲調のものがお好きなのではないかと予想しました」


 外れていない。トカクは少し感心した。


「では、皇子殿下の息災を祈って」


 という前口上のち、ユウヅツは琵琶を鳴らした。


 その曲は「トカクが好きだろう」とユウヅツが考えて用意しただけあって、たしかに、これまで聴いた中でもっともトカクの脳裏に焼きつく歌だった。


「…………」


 そういえば、トカクは皇太女と誕生日がかぶっている都合から、個別に誕生日を祝われる機会があまりなかった。

 だから、こうして祝ってもらうのは確かにうれしかったかもしれない。


 トカクの誕生日はそうして終わった。

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