〇四二 宮廷薬剤師を手に入れた

 


 内心でそうではないかと思ってはいたが、そうだと肯定されるとリゥリゥはうろたえた。


「え……!? まさか、そんな……! だって、さっきウチに来たある!」


 そうだ、五百年前のことを謝罪するといって、ウハクが直々に薬屋まで来たのではないか。皇太女殿下が来るからと、護衛だの先触れだのでとんでもない数の人間が動いていた。


「あれはボクだ」

「えっ!?」

「ボクが変装した姿だった。ほら」


 トカクは前髪の分け目を変えるとリゥリゥに視線を流した。にこっ、と微笑みも付けてやれば、一瞬で姫君の顔になる。


 リゥリゥは混乱して「え? え?」と目をまわしていた。


「ま、待つある。どういうことあるか? ユウヅツと一緒に店に来てたカドはおまえで、第一皇子はおまえで、皇太女殿下もおまえで……、はあ!?」


 リゥリゥは叫んだ。


「もう全部おまえじゃないか。……えっ!? まさかユウヅツも……!?」

「ユウヅツはユウヅツだよ、落ち着け」


 トカクは前髪を元に戻す。


「そういうことだ。皇太女が倒れたが、それは秘匿しなければならない。だからボクが身代わり」

「…………」


 リゥリゥは黙りこんだ。その脳内で、いろいろな考えがよぎる。

 だからってとか、他に方法がとか、そういう否定の枕詞が次々に出てくる。しかし、……リゥリゥに提案できそうな代案はなかった。


「身代わりと言っても、ウハクが目覚めるまでだ。極論、今日にでもおまえが解毒剤を作ってくれたなら、ボクが女装する必要もない」

「……今日中は無理ある」

「わかってる。だからリゥリゥ、おまえの今後に期待しているぜ」


 ちなみに。


「おまえの店の薬に、こういう状態になった人間に良い薬ってないのか?」

「治す薬はないが、たとえば床ずれ起きたとこに塗る薬、あとは予防する軟膏ならあるね」

「考慮する。……さて」


 とトカクが言ったので、リゥリゥはここから出るのだろうと思って踵を返しかけた。

 しかし、トカクはウハクの寝台に手をついて片膝をついた。そして。


「ウハク。どうにか薬屋を宮廷薬剤師にできた。おまえのために解毒剤を作ってくれる。リゥリゥがまたこの部屋に来ることもあるだろうから、よろしくな」


 おやすみ。と言ってトカクはウハクのひたいに口づけを落とした。


 初対面からどことなく冷たい印象だったトカクの声が急に優しくなったうえ、目の前で絵画のようにうつくしい一瞬が起こり、リゥリゥはぽかんとしてしまった。


 あいさつが済んだらしいトカクは、ウハクに寝返りを打たせてやって寝台を整えてから踵を返し、部屋の外へと足を踏み出した。


「リゥリゥ。行くぞ」

「! お、おお」


 廊下を歩く。


 皇女宮の出入り口へと向かいながら、リゥリゥはトカクに「……恐れながら、皇太女殿下とは仲よろしかったあるですか?」と問いかけた。


「無理に敬語を使わずともよい。……ウハクとは仲良し兄妹のつもりだったよ」

「そう、あるか。……ビックリしていて、言うのが遅れて悪かったある。妹が、……倒れたことは、心中を察するある。解毒剤のこと、我なりに力を尽くすある」

「ありがとう」


 トカクは声色を変えない。


 リゥリゥは、兄妹がおやすみの挨拶でひたいに口付け、なんて文化を初めて見たので戸惑っていた。

 外国や皇族だと普通なのだろうか。


 よほど仲が良かったのだろうな、とリゥリゥは思う。

 しかし、「つもりだった」とトカクが言ったことは気にかかった。


「……つもりとは、何あるか?」

「ボクは、バカクお兄様とも仲良し三兄妹のつもりだったからな」

「…………?」


 どういうことある?とリゥリゥが聞く前に、皇女宮の門前までたどり着いていた。


「! おかえりなさいませ」


 門番の横で座っていたユウヅツが立ち上がる。


「殿下。事情は……」

「伝わった」


 そうですか、と一言。


 それから、リゥリゥに官服――宮仕え用の衣装を渡すことになった。




 リゥリゥは、ユウヅツの背後でひとりごとのように呟き続ける。


「女装して潜入というのはやっぱキショくて怖いあるが、国の意向というならば我が口出しすることじゃないね……これは仕方なし……仕方なし……」

「リゥリゥさん、もらってきました、衣装」


 宮廷薬剤師は、薄鼠色の作務衣のような衣装の上から、白い羽織を着ることになる。


「……こんなのよりも、リゥリゥさんの私服のパンダみたいなチャイナっぽいお洋服の方がキャラデザ優勝ですよ……」

「? ぱんだ ちゃいな? きゃらでざって何あるか」


 この世界に『パンダ』という動物も『チャイナ』という国もないのだった。


 リゥリゥは首を傾げつつ、まあ「この官服ってダサいよね、私服で働かせてくれたらいいのにねー」みたいな雑談だろうと理解する。


「我は制服けっこう好きある。コーディネート考えなくていいあるからね。……あ、これ着ていれば、この花も付けてる必要ないね?」

「そうです」


 花というのは花飾りのことだ。関係者以外が城内をうろつく際の許可証のようなものである。


 部外者が宮廷に立ち入る際は、入口などで受け取った花飾りを、目立つ位置で身につけておく必要がある。これを持たない者は、不法侵入と見做され即座に取っ捕まる。


 実はユウヅツも同じものを身に付けていた。


「俺は官服もないので、毎日のようにコサージュを付け替える必要があるんですよね」

「……付け替える?」

「ずっと同じものを使っていたら、模倣されて侵入され放題ですからね」

「へー! きらびやかな話あるね」


 リゥリゥは言いながら花飾りを取り外した。

 それでリゥリゥは、トカクがバカクについて話していた時の違和感を忘れてしまった。


 そうしてリゥリゥは外見も肩書きも完全に「宮廷薬剤師」となったのだった。

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