〇三一 指針だよ
「べつにボクは自分が皇帝になるのがイヤでこんなことしているわけじゃない」
まず、そこだけは訂正しておかないと。トカクははっきりユウヅツに告げる。
「でも、ウハクが寝ている隙に勝手に話を進めるのは誠実ではない」
トカクは小道を抜けながら喋った。
「知っているかしらんが、ウハクは幼い頃から皇帝になるための研鑽を重ねていた。なりたくないと思っていたにせよ、なろうとはしていたんだよ」
「…………」
「それを……やりたくないと言っていたからやらせないなんて、優しさではない。放棄だ。相手に期待していないからだ」
だからトカクは、ウハクが毒に倒れたのをこれ幸いとばかりにトカクに皇太子の座を押し付けようとしてきた人間達に、憤りを感じている。
この世界に、そんな選択肢があるのなら、ウハクが起きているうちに提示してほしかった。
「……ウハクが眠りに落ちたことで、ボクが皇帝なんて話が出たのは、たしかに不幸中の幸いかもしれないな。選択肢のなかったあの子に、はじめて選択肢が生まれたんだから」
「…………」
「ウハクはいつか目覚める。ボクが助けるから。だから、目が覚めたらボクが勝手に皇帝になっていたなんてあってはならない。なるならウハクと話してからだ」
トカクとユウヅツは噴水のある場所まで出てきた。凍結しないよう、今の季節は水を止められている。
「目覚めたウハクが望むなら、ウハクの手から戴冠してもらおうと思っているよ」
「……出過ぎたことを言いました。申し訳ございません」
ユウヅツは頭を下げた。
「……ゲームで内心を知っているからって、本人に聞かずに勝手に話を進めるのは、たしかに良くないですよね。考えが足りませんでした」
「…………。かまわない」
意図が通じたのを察し、トカクは溜飲を下げる。
「……それに、ボクは皇帝になるのがイヤというワケではないが、ウハクに皇帝になってほしいとは思っている」
「……努力が報われてほしい、ということですか?」
「いいや、ウハクは皇帝にふさわしいから」
「…………?」
ユウヅツは分かりやすく首をかしげた。それを見て、トカクは。
「不敬な男だな!! 皇太女が皇帝にふさわしいのは当然のことだろうが、何を首かしげてんだ!!」
「すみません!!」
激昂した。
やらかしに気付いたユウヅツは勢いよくこうべを垂れる。
「気が抜けていました! 申し訳ございません!」
「おまえ、ウハクが皇帝にふさわしくないとでも?」
「……少なくとも、卒業パーティーでの一件は、正しい振る舞いではありませんでした……」
「…………」
「……不躾ながら、皇太女殿下には、破滅願望がおありのようでした。それは、自信の無さからきていたものと存じますが……。腕を取られた時、俺は生きた心地がしませんでした。皇帝らしからぬ、と言われて仕方ないかと……」
おどおどしながらもしっかりと反論された。トカクは腰に手を当てて返す言葉を考える。
「…………」
「…………」
「……あれは、ボクがちゃんとうまいこと庇ったんだから。モノの数に数えなくていいだろ」
「…………」
ユウヅツは胡散な目をしたが、「優れた方でも間違いはあるということですね」とまとめた。
「そう。そうだよ。間違いがあれば周囲が正せばいい。皇帝の仕事ってのは、そういうことじゃない」
「……では皇帝の仕事、とは、どういうものなのでしょう?」
「指針だよ」とトカクは返した。
「……ししん?」
「道しるべのことさ」
時計塔がよく見える場所に出た。なんとなく秒針の動きを眺めながら、トカクは語る。
「……ボクは傲慢な差別主義者だし冷酷だ。おまえのことも見下している」
「……我ながら見下されて仕方ない愚か者だと思うので、気にしません」
「違うよ。おまえが男爵家の三男で、ほとんど平民だからだ。ボクは生まれた身分で他人を侮っている」
と言われると、ユウヅツは動揺した。
のどかな田舎の領主の家に生まれ、帝都に出てくるより先に現代日本の価値観を植えつけられたユウヅツに、身分制度の実感は薄い。上司部下、先輩後輩くらいの印象はあれど。
……男爵家だから三男だから、平民だからで差別されているなんて思ったことがなかった。まして、それをハッキリ公言されるとは。
「……人間に貴賎や上下はない、と言われて長い。ボクのような旧態依然の人間は、特に同年代だと少ないと思う。おまえのような者にとってはボクの思想は軽蔑と反発の対象だろう」
「……そんなこと、…………、…………」
「考え方を矯正せねばとは思っているが、どうしてもボク達とおまえ達が『同じ』とは思えない。……言い訳になるが、皇族は、そのように考える人間に囲まれて、そのように教育されて育つ」
「……理解しております」
トカクがこのような広大な城に住み、ユウヅツの薬代をポンと出せるほどの自由な私財を持つのは「平民より高貴な、尊き御身だから」だ。
皇室とは神より統治権を授かった特別な血統で、だから特別扱いされている。だからトカクは特別。そういうことになっている。
それを根本からくつがえす『平等』など、受け入れようがない。
そう考えると、トカクの思想はむしろ自然だ。
「でも、妹は違う。本気で人と人は平等と思っていて、自分と他人が何も変わらないと思ってる」
「…………」
「そんなウハクが為政者になって倫理の道しるべを作れば、この国はもっと良くなる。…………」
時計の針がちょうど真上を指した。同時に、定刻を告げる鐘が鳴る。
その鐘の音に負けないほど堂々と、トカクは宣言した。
「――――ウハク・ムツラボシこそ皇帝にふさわしい」
「…………」
「……だから、あの子にできないことはボクが補う。それだけを考えて生きてきたんだ」
ユウヅツは息を呑んだ。あまりにうつくしい未来図だったからだ。手放しに、それが叶ってくれたらいいと思えるような。
だから、ひどく悲しくなった。
「それを……、直接、皇太女殿下に伝えて差し上げていれば……」
こんなことになる前に、ウハクに聞かせてやるべきだった。トカクの思いを最初から知っていれば、ゲームのウハクの絶望は、もっと浅いものだったかもしれない。
そう思いながらもユウヅツは口に出せなかったが、トカクは先に続く言葉を察したらしい。
「……おまえ、なんにも知らねーんだな」
トカクは気を悪くした風でもなく、乾いた笑いを漏らした。
「いつも言っていた。いつでも伝えてきたよ」
「……では、どうして」
「兄に褒められる程度のこと、多感な少女には価値がないってことじゃないか」
「…………」
「恋人の言葉なら届いたかもな?」
その軽口に、ユウヅツは痛いくらいの責任を感じた。
ユウヅツが『主人公』の役割を放棄した結果こんなことになっている。主人公がメインヒロインであるウハクと恋仲になり、彼女の心の傷を癒して共に成長する物語のはずだった。はずだったのに。
「……冗談だって」
「申し訳ありません……」
「泣くなよ、みっともない」
ユウヅツは己の懐からハンカチを取り出すと顔をぬぐった。
「……連盟学院で、かならず、あなたのお役に立ちます」
「期待してるよ。……さて」
ここから部屋に戻る道のりで、話は終わるだろう。
だが、泣いている男を引き回すのは体裁が悪い。確実にトカクがいびって泣かせたと思われるし。
仕方がないのでトカクはそのへんの壁にもたれた。
話を再開する。
「おまえ、ボクのことを皇子殿下と呼んでいるが、向こうでウッカリそう呼ばれるとマズイ。今後は『殿下』だけで統一するように」
「かしこまりました」
「あと大陸共通語の勉強と、その他、教養の習得は出航まで続けなさい。側近の品格も見られるものだ」
「はい」
「それから……」
トカクはいよいよ本題に入る。
「あの薬屋。リゥリゥという娘……。あいつは使える。欲しい」
「……え?」
「もしも連盟学院で『万能解毒薬』が手に入らなかった時の第二の策として、あいつにツムギイバラの解毒剤を作らせる」
トカクは髪をかきあげる。
「あの娘を宮廷薬剤師として迎え入れ、大陸へ連れていく。おまえのゲームの知識をよこせ、ユウヅツ」
思ってもみなかった展開に、ユウヅツは目を見張った。
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