〇二九 効能と副作用

 


 ひえーっ、本当に飲んだよ。とトカクは恐れおののく。普通に勉強した方がいい絶対。


「うぐうっ、……ぐ……」

「……どう?」


 途中でやめたら二度と口を付けられなくなりそうで、ユウヅツは一息に飲み干した。


 しばらくギュッと目をつむって黙り、そして一言。


「……のどに絡みます」

「水飲むよろし」


 店主のリゥリゥから湯呑みを受け取り、ユウヅツは喉に絡んだ薬まですべて流し込んだ。水っけを得たことで味がより引き立つ。


「うっ。まず……」

「良薬口に苦しものある。ほら、大陸共通語のテキスト読むよろし。そのうち効果が出てくるある」

「……これで効かなかったら俺すごいバカみたいですね……」


 みたい、じゃなくて事実バカだから薬飲むハメになってんだろ。とトカクは思ったが黙っておいた。ユウヅツの正面に座って授業の準備をする。


「ところで、大陸共通語と入れ替えるっていう、この言語はいったい何語あるか? 我も見たことない文字ある。お客さん、どこの人ね?」

「ニホンって言うんだと。こいつの頭の中にしかない国と思っていい」

「ふーん」

「では発音の練習からやっていく。ボクの後に繰り返せ」

「はい」


 と、いつものようにテキストの音読を始めた。

 変化が分かったのは、五分ほど経ってからだった。


「……なんか、急に発音が良くなってきてる。どうした?」

「そ、そうですか? 今のところ、若様の言っている通りに復唱しているだけですが」

「ちゃんとできてるよ。……薬の効果か?」

「え? ……なんか……」


 ユウヅツは目を見開いたままボンヤリと喋った。

 ここでトカクは、ユウヅツの瞬きの回数がいちじるしく減っていることに気付いた。……バキバキにキマってきている。


「若様の声……音……テキストの文字……口の動かし方……すべてが見え、すべてが聞こえます。自分の声帯の震わせ方も……すべてが理解ってきました」

「……店主、これは薬の正しい効能か? ライン超えてない? ちゃんと戻る?」

「薬の効果たった三日で消えるね。安心するよろし」


 そっか。とトカクはうなずく。


「じゃあ薬の効果も出てきたし、おまえが特に苦手な文法からおぼえるか」

「はい」


 その後、トカクはバキバキにキマったユウヅツに大陸共通語を教えていった。

 ユウヅツは脳内でニホン語と大陸共通語を入れ替える作業をしているらしく、「これがこっちで言うこれ、あれがこっちで言うあれ……」と何やらブツブツつぶやいていた。


(コワ〜……)


 薬物でトランス状態に陥った人間が近くにいるというのは、トカクにとって大変に居心地が悪かった。

 瞳孔が開いていて、尋常じゃない汗をかいていて、そのくせ表情はうつろ。口と手ばかりせわしなく動く。ゆらゆらと身体が揺れる。有体に言って気色悪くて仕方なかった。

 姿勢悪く膝を立てて座り、ユウヅツは教科書片手にひとりごとを繰り返す。


「――お客さん。十二時間経ったね。もうごはん食べていいある」

「……あ、ユウヅツ。クスリ飲んでから十二時間経ったらしいぞ。食事にしよう、何がいい?」

「……いや、今はいいです。集中できているんで。おなかも減っていないです。続けてください」

「いや、ボクは空腹だし食事にしたい。おまえもクスリ以外を腹に入れないと良くないぞ」

「食べる気分じゃないんで。俺はここにいるんで、若様ひとりでどうぞ」

「そっかぁ」


(クスリってダメだな……)


 質の悪い薬というのは、コレに加えて依存性まであってよろしくない。これからも国を挙げて取り締まっていかねばとトカクは志を新たにする。


 リゥリゥが、「言い忘れてたが入院中は食事サービスね」と握り飯を持ってきてくれた。一階の喫茶店のまかないらしい。「コレ以外おかずは自分でどうにかするよろし」とのことだ。ありがたく受け取る。


「そういえば、この薬屋って店主一人でやってるのか?」

「一家総出でやってるね。一階にいる女給、あれ我の姉。厨房にいる男、姉の婿。でも、カフェー休みの日、皆で薬作る。我の父や兄、いつも薬の原料の買い付け。我の母や祖母、いつも薬草畑の世話」

「もしかして、代々続いてる薬屋なのか? 建物が新しいし、てっきり最近できたのかと」

「我ら拠点よく変える。同じ場所ずっといない。ここに店かまえたの三年前」


 ちょうどユウヅツ――『主人公』が学園に入学する直前、つまりゲームが開始する頃だ。


「じゃあ、もしかしてあと数年で引っ越してしまうのか。せっかく良い店に出会えたと思っていたのに」

「お得意さんには引越し先ちゃんと教えるね。お得意さんになるよろし」

「……濫用はできない」


 薬は節度を持って使わないと身を滅ぼす。……その節度を自分で守れないのが人間だ。ユウヅツが便利な薬に依存しないよう、今後は見張っていかないと。


 トカクは自分の食事を済ませると、握り飯と茶を持ってユウヅツの元へ向かった。


「ユウヅツ。読み聞かせしてやるから、その間にメシを食べてしまえ」

「はい」


 教科書を取り上げて、代わりにお盆をユウヅツの前に置く。トカクは皇子様として行儀良く育てられたので、少なくとも人前で食べながら本を読んだり字を書いたりみたいな発想はない。


「あ、そうだ。その前に。握り飯とお盆とお茶について、大陸共通語で説明してみろ」

「はい。……『これは米を使った料理です。大瞬帝国では、主食として米をよく食べます。おにぎりは、炊いた米を三角などに成形した食べ物です。米の中に、梅干しやシャケなどのオカズを入れる場合もあります。サンドイッチに近い位置付けの食事と思います』。『トレイは、またたき語で「お盆」といいます。ここにあるトレイは木製で、大瞬帝国で人気の花、桜が描かれているのが特徴です』。『これはお茶です。またたきでは緑色のお茶をよく飲みます。なので、紅茶のことは「赤いお茶」と称しています。またたき茶の楽しみ方は、香りよりも味です。すこし苦みがあるので、好き嫌いが分かれると思います』。……どうでしょうか?」

「……ちゃんと大陸共通語だ。やるじゃないか、できてきている」


 一息にワッと喋りきったのが薬でトンだ結果で気色悪いが、大陸共通語は喋れるようになっていて、首尾は上々と言えた。


 ユウヅツは握り飯を手に取って頬張る。


 トカクは今朝の新聞を大陸共通語に訳して読み聞かせてやる。ユウヅツはこれもすぐにおぼえた。


 ……こうして、三日かけて(薬の効果でユウヅツは眠りもしなかった)ユウヅツは大陸共通語を覚えたのだった。日本語と引き換えに。




 そして、薬が切れたユウヅツは、異様な眠気と裏腹の興奮状態で気が狂いかけていた。

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