1. グワタティネリャについて

 天地がトゥトゥムグレ=テパと、ムフゲイルクによって創造されて以来、渇きというものを知らぬ常雨の森を何日も歩きます。


 密林には、ラデンヘビやフォーダイトヤドクガエル、スモークジャガー、ノウハミネペンテス、さらに首狩り小人などの危険が数多く潜んでおります。これらの試練を死に物狂いでかい潜りながら、地面に埋められた太古の石畳を頼りに道なき道を辿ってゆくと、やがて鬱蒼と生い茂った密林は姿を消し、グワタティネリャの石造りの街が顔を出すでしょう。


 長い長い一本の石橋の脇には、それぞれの神々を祀ったピラミッドの神殿がございます。ピラミッドの中央には四つん這いにならければ、それはもう恐怖で上がれぬほど急な階段が設けられており、最後まで階段を上がりきるとそこには神を象った精巧な石像が納められております。


 橋を最後まで渡りきった先には、ひときわ大きなピラミッドがございます。かつては神同然に崇め奉られた王の御殿でしたが、王なき今それは議事堂として使われております。


 さて、この街は常雨の森同様、晴天であったことは一度たりともありません。太古にムクリェ人がその卓越した石工術により街や神殿を建造し、突如として集団失踪を遂げ、再び人々が居着くまでの間、生温い雨にさらされ続けております。


 そのためグワタティネリャの民は、自らの体は濡れているのが常であり、渇くということはすなわち死を意味すると信じてやみません。現に彼らは傘はおろか外套の一枚も纏わず、土砂降りの中を平然と裸同然の服装で歩き回っているのです。


 橋を歩いていると、ときおり傘売りの少年がおりますが、無知な旅人はひとときの不快感を避けたいがために、法外な値段で粗末な傘を買い、道ゆく人々に白い目で見られる運命にあります。この地で傘を差す者は、我々の国で豪雨の中、傘を手に持っているのにもかかわらず、何故かそれを差そうとしない者と同じくらい不審な輩と見て差し支えないでしょう。


 私はその日、橋の下にある宿屋に泊まりました。当然、この宿屋もベッドからクローゼットにいたるまで、そこかしこがカビ臭く水浸しなわけです。何故なら、彼らは室内においても体を拭かずずぶ濡れのまま暮らし、まるで異邦人の我々が水を飲むような感覚で瓶に水を汲み、それを頭から被って“水分を補給”するのですから。その日は体に付着する衣類の不快な生暖かさと、まるで洞窟の奥底のような苦いカビの臭いで私は一睡もできませんでした。


 翌日、私は日の出――といっても太陽は分厚い雲の遠くに隠れており、そのものを拝むことはできませんでしたが――、とともに宿屋にカカオ豆を支払うと、逃げるようにこの水浸しの地を去ったわけでございます。

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