色覚

菅原 高知

 現実

 視界に飛び込んできたは見慣れた天井。

 ゆっくり起き上がって室内を見渡す。

 しっかり閉められた遮光カーテンが朝日を遮り、薄ら闇が支配する室内。

 暗闇に私独り。


 枕元に置いてあるスマホで時刻を確認すると、午前六時五十分。

 セットしているアラームの五分前。

 いつも通りだ。

 すっかり出来上がっている自分の体内時計の正確さに感心する。


 ベッドから起き上がり、パジャマから制服に着替える。

 一階に降りて、洗面所で顔を洗い、歯を磨く。ササっと髪を整えるのも忘れずに。

 誰かに見られることはないが、汎ゆるヒトの視線が無遠慮に突き刺さる現代。


 鏡の中には、この世で一番見慣れた顔が私を見つめ返していた。

 緩いカーブを描き耳が隠れるテンパのミディアムショートの黒髪に、少し垂れた意志の弱そうな瞳。


 五月晴さつき はれ――私の顔だ。


 人見知りの口下手、日向よりも日陰を好む私である。名前負けも良いところだ。

 自分の顔を見て溜息をつきながら洗面所を後にした。

 リビングに行くとパンの焼ける香ばしい香りと、コーヒーの芳醇な香りが鼻腔を擽る。


 グゥゥゥ


 口よりも雄弁なお腹が苦言なのか、歓喜なのか分からない声を上げる。

 その音でキッチンに立つお母さんが私に気付きおはようと手振りをしてきた。私も習って同様にし、食卓に着く。


 すぐに、良く焼けたトーストとコーヒー。それにハムエッグが並べられた。

 手を合わせて、頂く。

 トーストは見た目通りサクサクで、それを表面に塗ったマーガリンの油が優しく包み込んでいく。水分を欲した口腔をブラックのコーヒーで湿らせ、醬油を垂らしたハムエッグを1口。強い塩味に舌とお腹が歓喜する。


 私の目の前ではお母さんがハムエッグにケチャップをかけて美味しそうに食べていた。

 比較的に仲のいい親子だと思っているが、食の好みだけは頂けない。日本人なら目玉焼きは醤油で食べるべき――と言うのが私の持論であるが、お母さんは断固反対のようだ。その他にも味付け関係で意見の合わない我が家の冷蔵庫は、大量の調味料が場所を占領している。


 ふさっ

 

 足元を見ると、愛猫のアーサーが擦り寄って来ていた。

 首元を撫でてやると嬉しそうに目を細めた。

 急いで残りのご飯を掻き込み、アーサーのご飯を用意した。

 ガツガツという音が聞こえてきそうな良い食べっぷりである。


 暫くアーサーの様子を眺めながら鋭気を養っているとお母さんに肩を叩かれた。その指さす方――時計を見ると午前八時。

 そろそろ家を出なければ遅刻してしまう。


 行ってきますとお母さんを見てから、家を出た。

 島根県立松江まつえ中学。

 過疎化が進む田舎県の例に漏れず、松江中学も全校生三百人弱の中小校だ。


 学校までは徒歩で、二十分程。歩くには少し遠いが、自転車に乗る事に少し不安がある私は、今日も歩道の端っこを一人で歩いて行く。コンクリートの地面をものともせず花を咲かせた名前も知らない路傍の花を見やりながらゆっくり足を進める。


 バス何て便利なものもあるにはあるのだが、良い時間帯のものがないし、乗ったら逆に遠回りになってしまう。

 コレも田舎の性なのだろうか。

 高齢者が多い田舎ほど公共交通機関の充実に力を入れるべきなのではと憤った一年前だったが、今では気にならない。逆にこの時間が有難い程だ。


 学校に着くまでに心構えが出来る。


 学校に付くと、私は真っすぐ保健室に向かった。

 そして入ってすぐのところに置かれているホワイトボードに養護の先生宛のメッセージを書いて自分の教室に向かう。

 二年二組。

 一学年二クラス。それが一年から三年まで。

 二つの小学校からしか生徒が進学しないため上級生、下級生に関わらず殆どが顔見知りだ。同学年に至ってはもはや全員友達――「一年生になった友達百人出来るかな」も夢ではない環境だ。


 だが、その反面。一度除け者にされると、その後挽回するのはほぼ不可能となる。

 私は後方の扉から教室に入った。――特に挨拶をするような友達はいない。

 壁掛けの時計は八時二十五分を指していた。朝礼始まるまであと五分ほど。すでに殆どの生徒が登校していた。

 自分の机で誰かに借りた宿題を写す者、四、五人で集まり雑談する者。スマホをいじる者に、漫画を読んでいる者。皆思い思いに――楽しそうに過ごしている。


 私はどこの輪にも混ざらずに教室の一番奥。窓際の最後列の自分の席に行き、鞄を下ろし着席した。

 聞こえるのは早まり続ける鼓動の音だけ。

 この世界には私しか居らず、皆の世界に私はいない。


 鞄から教科書を机の中にしまったり、一限の準備をしていると、それまで席に着いていなかった他の生徒たちが一斉に動き出し、着席した。

 視線を前に向けると、担任が教卓のところに立っていた。

 時計の針は八時三十分を指していた。


 一限は国語。

 淡々と授業が進んで行く。

 小学校の様に雑談で授業が遮られる事もない。

 中二ともなれば尚更だ。みんな真剣に板書をノートに写している。

 先生は時折チョークを持ち変え、下線や丸を付け強調している。きっとテストに出るのだろう。

 教室の生徒が一様にペンを変え、マーカーを手にしたりしてノートに目印を書く。

 私は、自分のノートに視線を落とした。

 几帳面な文字で丁寧に書かれたノート。――しかし、白黒。赤も青も、黄色も緑も何もない。

 黒だけで書かれたノート。

 視線を上げて、黒板を見る。

 そこに在るのも、白黒の板書。

 クラスメイトが持つペンも一様に黒い。

 

 ――私の世界はモノクロだった。


 それはまるで古い映画の『チャップリン』の様に、色がなく、音もなく、只ヒトやモノが動き回るだけ。

 ただ、違うところもある。

『チャップリン』は喜劇だが、私の世界は悲劇だという、唯その一点。


 IT化が進んだ現代でヒトが視覚から受け取る情報は実に八割を超えるらしい。

 私は何も目が見えない訳じゃない。だから、端から見れば視覚が不自由な人ほど悲劇的じゃないかもしれない。医者からは精神的なモノでいつか治るだろうとも言われている。


 だから、私は今日も独り授業を受ける。

 特にいじめられている訳じゃない。

 只、授業中に当てられる事がないだけ。

 只、休み時間に話しかけてくれる友達がいないだけ。

 只、グループワークで意見が求められず、まとまった内容だけが知らされるだけ。

 只、只、只、―――――!


 鏡の前で自分の顔を見つめたまま「お前は誰だ?」と問い続けると次第に精神に異常を来すという話を聞いた事がある。それとは違うかもしれないが、淡々と流れるモノクロ映画をずっと見ているようで私は次第に吐き気を催した。


 その為、昼休みから保健室のベッドの上だ。

 学校で唯一の私の居場所。

 養護の先生は唯一嘘偽りなく話せる存在で、安らげる所。

 今日は良く保った方だ。

 何たって午前中一杯教室にいたのだから。 

 酷い時は通学の時点で気分が悪くなり保健室に直行何てこともある。

 ベッドに横になりながら、見慣れた天井を見つめる。

 ミミズが張った様なよく分からない模様を見ていると気分が少し落ち着いてくる。



 どうしてこの世界はこんなにも生きにくいのだろう……。


 私はそっと目を閉じた。


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