もと

へっくしょい

 リイとか、リキみたいな、名前のような寝言をたまに呻く彼は、多分もう間もなく死ぬだろう。

 何かしてやれるか? 腹からは血に濡れた肋骨が二本見えていた。とりあえず血とか内臓とかは苦手だからジャケットをかけてやった。

 やっぱり何も出来ない。優しそうに見えて欲しい、人から良く、いや、良く見られなくていい無難な害のない奴ぐらいに思われたい。やる事なす事ほとんど自分のため、そういう奴なんだよ俺なんか。

「……カヒ」

「お、大丈夫ですか?」

「……タミラ……リイ」

「……すみません、言葉が分からなくて、ソーリー、ゴメンナサイ、ええと、英語でもなさそうだしな、ははは、すみません」

「……」

「……」

 よく生き残ってたもんだ。明らかに日本人の顔立ちではないし、これは……何のコスプレだろう。こんな間近でそういう事をしている人を見るのが初めてだ。

 鮮やかな水色の長い髪が泥と血にまみれて無念だろうな、金も手間もかかっていただろうに、と。今さっき少し開いた瞼から、黒ではない、紺色のような瞳も見えた。好きなキャラクターを真似して作りこんで、なりきって遊んでいたまま死んでいくのか。無念だろうか、どうだろうか。こういう人達の中には、この死に様を心から幸せと言える人もいるかも知れない。

 仕事人間なら仕事中に、スポーツ選手なら試合中に、何かその他色々、思いつかないな、そんな想像した事もないから、みんな好きな事をしている最中に死ねたら本望とか、そういう事だったりするのだろうか。

 あ、クシャミ出そう。

「……へっくしょい」

「ガ! ……シャール……ハチュ」

「あ、痛かったですか? 動かしてすみません、でもクシャミが、ははは、せっかく生き残ったアナタを巻き込んでしまう訳には、はは」

「……」

 ああ、また我慢出来なかった、また陸地が減ってしまった。咄嗟にコスプレの彼を抱えて空中に浮いたけれど、ああそうだ次のクシャミで一緒に地面も浮かせてみようと思ってたのに忘れてた。まったくもうホント俺ってバカ、壊してしまうならマイ陸地として一つ二つ確保してみようかと思ってたのに。

 ため息は大丈夫、何も起こらない。俺にとっては深呼吸みたいなもんだから、いっぱいしておく。コスプレの彼を抱え直さなきゃ落ちる、そうだお姫様抱っこでいい……良いのか? どこから流れてるのかもう分からない量の血が脚を伝っていく。ひとすじ、ふたすじ、革靴に溜まってあたたかい。さっきまで地面だった所は俺のクシャミで吹き飛び、足下は海、ただ荒れ狂う海。

 最初は怖いと思った。クシャミをする度に地球が消し飛ぶなんて怖いだろう誰だって。けれど冷静になってみれば風呂とかプールで遊んだ事と一緒だ。玩具を勢いよく沈めれば大なり小なりうずが巻く。それを海で、玩具ではなく陸でやってしまうだけ。

「……移動しますよ、動かしますよ。すみません、こんなアレで本当に。アナタどこの国の方なんでしょうね? 分かれば連れて行けるんですけどね、ほら空を飛ぶのだけはクシャミとかしなくても何かこう気合いみたいな感じで、飛ぶぞって思うと飛べて平和なんですよ。ははは、平和ってなんですかね、お前が言うなって怒られちゃいますよね、怒ってくれる人ももうアナタ以外にいるかどうかですけど。あ、さっきの、ああもう、さっきまでいた場所で地図を探そうと思ってたのに。もうホント俺って不器用いやもうバカですよただのバカ。でも地図というか地球儀の方が分かりやすいかもですねえ、ここまでくると。今のとこ、日本と中国とインド辺りは無くしちゃったんです。初めてのアレは心構えも何もなくて、ちょっと高い所まで、ちょっと宇宙まで飛んじゃって、へへへ、結構必死で戻ってきたんですよ息止めながら宇宙に空気は無いって必死でもう、暑いとか寒いとか熱いとかも知識として知っちゃってると怖くて、まあよく帰ってこれたなあって思いますけどね。で、その時に上から見たんです、日本無くなったなあって、それだけは間違いないです。で、中国に、韓国寄りだったかな、降りたんですけど沈んだ日本からの津波で結構無くなってて、ああそうだアレですよ、時間が経てば経つほど自分のクシャミで吹き飛んだ土埃とか、海水もかなり細かい飛沫しぶきになっちゃうんですよね、ムズムズしちゃって、俺が行くとこ行くとこ全部吹き飛ばしちゃって、ははは。それで、ああ地球儀欲しいなって。分かりやすいですよきっと、無い所は削っちゃえば残ってる陸が可視化されて、ははは、え? あ、はい、なんです? 大丈夫ですか?」

「……リイ……キ」

「ああ、その、えっと、家族の方とか恋人とか、そういう方ですかね? 会いたいでしょうね、うんうん」

「……リ……」

「え?」

 また彼の目が薄く開いた。ここはそら、地上より少し太陽に近くて、さっきは紺に見えた瞳が透き通るような青で、割れてしまいそうな青で、こんな俺でも綺麗だと素直に思える。その目がさしている方向、彼は何かを訴えかけている、そっちか、振り向けば巨大な虹が架かっていた。

 ああ虹か、虹だな、デカい。

「……凄いですね。こんな……飛行機とかよく乗る人なら見慣れてたりするんですかね。あ、アナタもアレじゃないですかねコスプレのイベントとか、あとほら観光とかで乗ったりした時にこんな虹を飛行機から見たりとか、どうですかねえ?」

「……リイ」

「あ……えっと? ああ?! もしかして虹?! あれ、虹?! 虹、リイ?! 虹の事をアナタの言葉で『リイ』と呼ぶとかですか?!」

「……」

 返事は無かった、それでも彼の口角が少し上がった気がした、そうかずっと俺に『大きな虹が見えるよ』と教えてくれていたのか、返事が無かった、そんな体でそんな綺麗な目で虹を見ていたのか、返事が無い、揺さぶってみても耳元で大声を出しても血が抜けきってしまったのか軽くてもう、もう、まばたきすら無い。返事は無い。

 死んでしまった。やっと見つけた生きている人を、俺は死なせてしまった。陸はどこだ? 土はどこだ? せめて弔ってあげたい。彼に信仰や習慣はあったのだろうか? 土に埋める事が彼への最善の弔いになるのか分からない。でも、そうしなきゃいけない。そう思う、本当に思っている心から、虹を見せてくれた御礼に。

 彼を見付けたのはヨーロッパ辺りの雪をかぶった山の上だった。登山か、高い山だったみたいだから津波も浴びずに済ん……こんな薄着で? 普通のシャツに、破けてほとんど無くなってるけどジャケットを着て、登山? なんだ? この彼が生きていたのに他の人は? 装備とかキチンとした人は一人も見かけなかった、そもそも地面が吹き飛んだ振動で山も相当崩れてたから『普通の人』は振り落とされたんじゃないか? たまたま誰も登っていない山だったのか? なんだ? 彼は『普通の人』じゃない? なんだ? 誰だ?

 クシャミで世界が吹き飛んでいく事と同じぐらい怖い。俺は誰を殺してしまったんだ? コスプレじゃない、引っ張ってもウィッグは脱げない地毛だ、瞼をこじ開けて眼球をグリグリしてみたらコンタクトでもない、死んでも光ってるような白い肌はメイクじゃない、こすっても取れないこすっても取れない取れないじゃないか、それより体を起こしてやってる腕に感じる彼の背中に俺は知らない骨が突起がそんなの折れた翼があったみたいな痕みたいな折れた翼だと?

 嫌な予感に振り向けば、虹は巨大な円になっていた。少しずつ、誰かが握り潰しながら凝縮してるような、少しずつ近く、近付いて、円は球に、球は、球は……この世には無い色に、感じた事も無い色に変わって近付いてくる。

 ――俺は、何もしてない。クシャミをしたら勝手に地面が吹き飛んだだけだ――




 タイトル

 『新米天使の受難は一族総出で救出したので事なきを得ました ~ついでにヘンな人間を拾ったので剣と魔法の世界へ放り込んでおきます。どちら様も元気で頑張って下さい~』

 おわり。

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