鳥、逢えず
牧瀬実那
もし鳥であったのなら叶った話
彼女はかつて美しい鳥を見たと言う。
何よりもその羽毛の青さったら、紺碧の海のようでもあり、また明ける直前の夜空のようでもあり、或いはそのどちらでもない天上世界の光景かもしれなかった。
鳥は彼女を一瞥し、何か言いたげに瞬きをした後、飛び去っていった。いくらか羽根を落としていったので、全て拾い集め、大事に仕舞ったと、彼女はうっとりとした声音で言う。
直後に
生きる気力も無く、いっときは死ぬことすら考えたが、唯一失わなかった鳥の羽根が彼女を思い留まらせた。
目で見ることは叶わないが、それでももう一度その鳥に逢いたかった。逢えば何か救われるような、心残りが無くなるような気がするのだ。或いはこの世のものとは思えぬ美しさの鳥だ。もしかしたら本当に天上へと連れて行ってくれるかもしれない。
そう考えると居ても立ってもいられなかった。
どうすれば今一度鳥に逢えるのか思案し、かの鳥の鳴き声を聞いていないことに思い至った。
あのように美しい鳥であれば、きっと鳴き声も美しいに違いないだろう。想像ではあるが、鳴き真似をしていればいつかやってきてくれるかもしれない。
以来、彼女は鳥の鳴き声を模索し続けている。
初めは自ら歌ってみたが、人の声はどうやっても人の声であり、ピンとこなかった。そこで彼女は通りすがりの琵琶法師にすがりついた。生者も死者も慰める琵琶であるならば、きっとかの鳥の鳴き声も表現出来るに違いないと、彼女は必死に頼み込んだ。
話を聞いて憐れと思ったのだろう。琵琶法師は快く彼女の弟子入りを引き受けてくれた。
髪を落とし、琵琶を爪弾くようになった彼女は、亡くなった人々を唄うかたわら、鳥の鳴き声を想像し琵琶で奏でた。奏でる地はかつて鳥を見た場所で、琵琶を聞いて立ち止まった者に青い鳥は来ていないかと尋ねるようになったのだ。
――以上が、今私の目の前に居る幽霊の詳細である。
自分でもうっかりしていたなぁ、と思う。
確かにサークルの先輩方から「実はこの寮、出るんだよ」と言われていたし、かつて襲われた学生もいたとも聞いていた。そうでなくとも月が中天を過ぎるような時間に外に出るなんて、危機感が無いにも程がある。
酒をしこたま飲み、夜風にうっかり外に出たのが運の尽きだった。
何か聞こえるとフラフラ近付いた結果、ぼうっと光る女の霊が琵琶を弾いているところに遭遇してしまった。ただまあ、琵琶の音色は美しかったし、聞き惚れてしまったのも事実である。
立ち止まって聞き込んでいた私に、彼女はにこりと笑って先程の話をした。このところとんと聞いてくれる人が居ないし、居たと思ったら悲鳴を上げて逃げていくので困っていたのだ、とも。
さて、と彼女は改めて姿勢を正し、鳥は居ないか、と尋ねてきた。
辺りを見回してみたが、それらしきものは居ない。
そう答えると、彼女は肩を落とし、ありがとうと言った。一体いつになったら来てくれるのだろう、と懐から羽根を取り出してくるくると弄ぶ彼女に、いつか来ると良いですね、と声をかけ、私はその場を後にした。ああ、と返事が聞こえたような気がするけれど、追ってくる様子もなかった。
自分の部屋に戻ると、思わずため息が漏れた。
あの話を聞いて、まさか言えるはずもない。
――彼女の持っていた羽根が、黒い烏の羽根だった、なんて。
以前襲われたという学生は、多分それを指摘してしまって怒りを買ったのだろう。
何故彼女が持っていたのが烏の羽根だったのか、思い当たることはなくもない。
けれど、もしそうであるなら、奇跡が起こらない限り彼女はこの先もかつての鳥に逢うことは叶わないだろう。
自分にできることは、せいぜい|彼女と同じ世界を見ることができる人間が現れる《奇跡が起こる》ことを祈るくらいだ。
やる瀬なくなり、再び酒を呷る。
その酒は、帰ってくる前と同じはずなのに、やけに苦く感じるのだった。
鳥、逢えず 牧瀬実那 @sorazono
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます