ヒバナ族編

Part1

第6話 二人の夜

 カーラとレイがアパートメントに着いた頃には既に日が暮れていた。カーラが建物唯一の狭い階段を上り始めると、横に並んでいたレイは静かに後ろに回り、先ほど寿司でいっぱいになったお腹を、苦しそうにさすりながら、その後を追う。あまり大人数は暮らしていないためか、土曜日の夜にもかかわらず辺りは静まり返り、二人の足音のみがホールに反響する。彼らがカーラの部屋の前に着くと、レイはドアの隣に掛けられていたネームプレートに初めて気が付いた。


「『桐谷』ってカーラの苗字?」


「そうよ」


 カーラは手に持っていたカードキーをドアノブに当て、そのまま扉を開いた。


「じゃあ、僕はこれから桐谷レイになるの?」


「いや、苗字はそのクローンにのみ共有されるの。だから子供でも親でも苗字が違う」


 そういいながら、カーラはドアを開け、室内に入り、レイもそれに続いた。


「それじゃ新しい苗字を考えないとね」


 レイは突然嬉しそうな表情を浮かべ、上目遣いでカーラを見上げる。それを見たカーラは少し申し訳なさそうな素振りを見せた。


「生憎だけど、苗字こそもっと慎重に決めないといけないわ。目立ってもダメだし、他の人とも被っちゃ駄目だから、ケネディやヴァレンタインなんてもっての外」


「ちぇーじゃあ適当に決めといて」


 あからさまに興味を失ったレイは、そのままリビングの方に駆け寄り、ゲームコントローラーを手にする。それを見たカーラが後ろから声をかける。


「先に風呂に入っちゃいなさい」


「今朝、入ったよ」


 二人が初めて会った今朝、突然の小雨で二人とも濡れていた。家に帰ると真っ先にレイを浴室に向かわせたカーラだったが、レイはシャワーもシャンプーのディスペンサーの使い方も知らなかった。施設では何十人もまとめてシャワー室に入り、天井からシャンプーやお湯などが自動で落ちてきたらしい。まるで洗濯機ね、と軽口をたたくカーラに、レイは洗濯機って何?、と返していた。


「あれから、どれくらい走り回ったと思ってるの。湯は帰りの途中で張っといたから、じっくり疲れも取りなさい」


「カーラも一緒?」


「なわけないでしょ」


 レイはとぼとぼとカーラが帰りに買ってくれた着替えを抱え、浴室に向かった。




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 風呂から上がったレイは、テカテカと輝く肌を見せつけながら、カーラに笑顔で微笑みかけた。


「湯舟ってすごくいいね。風呂は命の洗濯って言葉の意味がすごくわかるよ」


 風呂好きなカーラは、それを聞いて少し嬉しくなった。


「それはよかったね。次は私が入るから、ゲームでもして大人しく待ってて」


「ラジャー」


 レイは元気よく、敬礼のポーズをしながら答えた。




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 浴槽に浸かりながら、カーラは今日起きた出来事を振り返っていた。突然家族になったお尋ね者に、自分のクローンからの殺害予告、行く先は未知であった。


 何よりもカーラを悩ませていたのはある人物の存在だった。昼にカーラ達を尾行していた人物は二人。近い方を歩いていた人物は、ユーリの部下であるアインズだった。もう一人はユーリであると考えるのが自然であるが、カーラは逃走の際、挟み撃ちにならないようにルートを選んでいた。


 つまり、ユーリが、それも体力に特化している技能クローンを先回りすることなど不可能なハズだ。そうなると、ユーリは街頭カメラでカーラを発見し、先にアインズと別れてから先回りを行っていたため、後ろにいたのはまた別の人物である。加えて、徹底した管理体制の中でレイが工場を脱走したことも気掛かりである。


(行く先はいばらの道ね)


 カーラはその後、長時間湯につかり、浴室を後にした。命が洗われた感覚は到底しそうになかった。




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 カーラが着替えを済ませリビングに向かうと、レイは予想に反しテレビでニュース番組を見ていた。そこにはかつてのレイの顔が映されており、逃亡犯として情報提供を呼び掛けていた。しかし、そこには技能クローンの文字は無かった。


「僕見つからない?」


「血液検査と指紋認証を回避すれば大丈夫よ」


 カーラはレイをなだめるように言った。


 その時、ニュースキャスターの声が流れてきた。


『なお、逃走したクローンには、背中に特殊な液で、個体番号が刻印されており、検査キットを使わない判別方法では、これが大きな判断材料になります──』


 カーラが慌てて、レイの背中をめくると、そこには黒字で大きく、『X253型R9-03』と記されていた。カーラは思わず頭を抱えた。


「絶対にこれを他人に見せないでね」


「うん」


 まだ頭を抱えているカーラに、レイは何か閃いた顔つきで声をかけた。


「あ、そうだ! 僕のクローンを用意してそれを道端に捨てればいいんじゃない?」


 カーラは言葉を失った。


「あなたの発想は末恐ろしわ。あなたのクローンを用意なんてできないわ」


「国が管理していて、功績を残さないと作れないから?」


 レイが冗談で言っていたことが分かり、カーラは安心した。


「それもそうだけど、今のあなたをそのままコピーするのは現代の技術では不可能だからよ。クローンの作り方には二種類あって、一つ目は元からある受精卵を複製するもの、もう一つは既存の人の細胞を空っぽの卵子に入れて作るもの。前者は、今までにいない新しい人間の複製、後者は特定の人物の赤ちゃん時代の複製といった具合よ。つまり、クローンは全て赤ちゃんとして生まれてくるの」


 レイはがっかりした様子を見せることなく、テレビに向き直した。


「というか、何で僕、単なる逃亡犯なの?」


「そのまま報道するわけにはいかないのよ。世論が黙ってないもの」


 レイはカーラの方を向いた。


「皆思いやりがあるんだね。ならネットで真実を拡散しようよ」


「逆よ。どうして管理をもっと厳しくしないんだって。元々、国民は技能クローンの法案には否定的だったの。でも、戦争で負け越しになると、皆顔が青ざめていったわ。自分たちの生活が少しでもよくなるならと、絶対に自分達の社会と共存しないという条件のもと渋々賛成票を投じたの。それから数十年、最前線で戦ってこの国を守っている彼らを無視して、技能クローンの廃止を訴える人間は、この国にはいないわ。覚えておいて、思いやりというのは余裕から生まれてくるものなの。自分のクローンを増やすことにしか目が無い彼らに、他人を気遣う余裕はないの」


 レイは少し悲しそうに俯いた。残された技能クローンか、国民か、同情を向けているようにもカーラは思えた。そして、吹っ切れた様にまた笑顔をカーラに向ける。


「今日追いかけてきたのは普通の人なんだね? じゃあ、僕も今日の人達を余裕で倒せるくらい強くなれるかな?」


 シャドーボクシングをしているレイを見つめながら、カーラは困った顔をした。


「うーん、あんたは作業用だからねー。技能クローンは、軍事用、学習用、作業用に分けられて、それぞれ得意分野があるの。軍事用は肉体、学習用は頭脳、そして作業用は……」


 そこまで言うと、カーラはレイがキラキラと目を輝かせながら耳を傾けていることに気付いた。


「作業用は……特に無いわ」


 レイの顔に明らかなショックの感情がうごめいていて、口を大きく開けていた。


「けど、単純作業なら一位って……」


 カーラが困った表情を浮かべながら、レイから少し視線を逸らした。


「うーん、確かに体力と器用さはあるのだけど、別に軍事用の個体でも同じだけあるし、作業用は何か特別凄いわけじゃないの」


 レイの口が更に大きく開いた。カーラはそこから更に付け加えようとしたが、思い留まった。なぜなら、その真実は今の彼には余りにも辛く、重い現実で合ったからだった。気晴らしに別の話を始めようとしたカーラは、レイがいつの間にか興味を無くし、ゲームをしていることに気付いた。


「カーラはこのキャラでいい?」


「ええ、その子が最強だから」


 カーラは諦めて、コントローラーを手に取った。




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 一頻りゲームを終えると、時計は9時を回っていた。


「そろそろ寝ましょうか」


「早くない?」


 毎日20時間労働をしていただけのことはある。全く眠気も疲れも見せない表情がカーラを見据える。


「健全な小学生は早く寝るの」


「小学生? 僕、学校に通うの?」


「ええ、だから明日必要なものを買いに出かけましょう」


 レイは嬉しそうに、コントローラーを離した。



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 その夜、レイとカーラは同じベッドで就寝した。体力的には元気でも、精神的に疲れていたのか、レイはカーラより先にぐっすり深い眠りについた。


 時々、体を震わせる素振りを見せるレイは、


「カーラ……カーラ」


 と、呟いていた。


 彼は今日で何度も、殺されかけた。そして、今後は彼の存在がカーラを含む八人の命運を左右することになる。この国の価値観に染まった普通の十歳であれば、その八人を一人として見ることが可能であるが、残酷なことに、"個"を手に入れた彼にとっては、あくまで八人の個人が、それぞれ自分に纏わりついているように感じているに違いない。加えて、何も知らない無知な赤子のような彼を見ながら、カーラは改めて、この子を守らなくてはいけないと、強く思い、レイを自分の方へ抱き寄せた。

 



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