トリあえず友達から

おはなしねこ

第1話

アオイは、手にしたVRゴーグルがフル充電されていることを確認し、電源を入れた。今晩も、仮想空間の世界で、日ごろのストレスを発散するのだ。英語を少々たしなむアオイがそのコミュニケーション能力を十分に発揮できるのは、現実世界というよりは、むしろこちらの世界なのだ。アオイは背の低いミケネコのアバターを愛用している。アニメ顔のアバターが多い中、リアルな風貌の猫のアバターがアオイのお気に入りだった。


今日も、いつも通りに桜の木をメインモチーフにした世界にインしてみた。現実世界ではまだ開花前だが、こちら側ではもう桜が既に満開だ。というより、いつ来ても満開だ。


アオイがこの世界にたびたび足を踏み入れるのには理由があった。鮮やかなこの桃色の世界に、アオイの気になる人、というかアバターがいるのだ。そのアバターは大きなパンダの姿をしていて、でっぷりとしたお尻を地面につけて、いつも同じ桜の木の下に座っている。そのパンダはアオイが近づいても話しかけてこない。でも、アオイが近づいても逃げていかない。もしかして停止状態なのかしら、とも思ったが、アオイが隣に座るといつも猫の小さな肩にモフモフの手をまわしてくる。お留守ではないらしい。そしていつの間にか、一日の終わりに、そのパンダの隣に座って桜の木を眺めるのが、アオイの日課となっていた。


アオイは今日こそは話がしたいと思い、パンダに向かって日本語と英語で交互に話しかけてみた。パンダは黙っている。もしかして、別の言語の国の人なのかな。アオイは何日通っても隣に座るだけで会話ができないことが、急に腹立たしくなった。もうココに来るのはやめよう。だって、この仮想空間には数多のワールドがあって、私は行きたければどこにだって行けるのだから。


ミケネコはくるりと向きを変え、パンダに背中を向けて立ち去ろうとした。その時、「こんばんは」と背後から声が聞こえた。その低くて優しい声は、アオイの大好きな韓国人俳優の声にそっくりだった。ミケネコはパンダの方に向き直り「アニョハセヨ」と言ってみた。パンダはネイティブの発音で「アニョハセヨ」と返してよこした。韓国人だったのか! アオイはVRゴーグルの下で微笑んだ。


満開の桜の大木をシンボルにした仮想ワールドで、雪のようにヒラヒラと舞い散る花びらを眺めながら、小さなミケネコと大きなパンダは、恥ずかしそうに手と手を取り合う。そして、微笑みのマークをやり取りする。「じゃあ私たち、」「じゃあ僕たち、」「トリあえず友達から」

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