Mov.5 いざ入隊

 次の日、授業が終わると教室にフィンが迎えにきてくれていた。

 

「授業お疲れさま、ノエル。早くも君と一緒に歌えることが嬉しすぎて、もう今日は集中ができなかったよ!」

 

「僕は緊張しっぱなしで……フィンが羨ましい」

 

 異例の早さでの聖歌隊入隊は瞬く間に学園中の話題となり、今日は一日中いろんな人からの視線を感じた。

 

 ごはんを食べに食堂へ行けば他の学年の生徒からの視線とひそひそ話す声が聞こえ、1年生の教室に行けば質問攻めに……。

 ここまで気が休まる時間の全くない1日だった。

 

 唯一の救いが、昨日の夜に聖歌隊入隊を伝えたフィン、ジャック、リュカが授業以外は常に一緒にいてくれたことだ。

 特に上級生のフィンがいることで、話しかけにくる人数が少しマシになっていた。

 

 フィンに案内してもらって僕が入隊するヘルベール隊の練習用部屋に着くと、見たことのある人物がいた。

 

「あ!君は……」

 

「うわっ…あの時の…。優秀な1年ってお前だったのか」

 

 あからさま嫌そうな顔で僕を見ているのは、月夜に照らされて歌っていた少年だった。

 こうしてよく見ると、綺麗な黒い髪に整った顔をしているので、それが余計気に食わない。

 

「なんだ、ノエルとエスターは会ったことがあったんだね。僕以外にも知り合いがいてよかった!」

 

「うん、本当に。また会えて嬉しいよ、エスター」

 

 引き攣った顔でそう言うと、エスターも同じく嫌そうな顔を返してくる。

 

「俺も本当に嬉しいよ。なんでも聞いてくれよ、優秀なノエル」

 

 嫌味と共に差し出された手を握ると、捻り潰されそうなくらい力を込められたので、負けじと僕も力を入れる。

 バチバチと交わされる火花を他のメンバーは感じているようだが、フィンだけはそれに気づかず嬉しそうににこにことしていた。


 まだ全然歌えないけれど、すぐにエスターの実力なんて抜いてやる。こいつにだけは絶っ対に負けたくない!

 今に見てろよ…っ!

 

 僕とエスターが睨み合い続けていると、入学式で代表挨拶をしていた隊長が練習室に入ってきた。

 

「君がノエルだな、ようこそヘルベール隊へ。俺は隊長のゲオルク。よろしく」

 

 聖歌を歌うような少年のイメージとは真逆で、ゴツゴツとした男らしい手を差し出されたので握り返す。

 表情は硬いが、握った手の温もりや力加減が絶妙に優しい。さっきのエスターとは真逆すぎて、少しは見習ってもらいたいものだ。

 

「カーター先生から楽譜はもらっているな?早速入って……と言いたいところだが、当分の間はまず見学をしてもらおうか」

 

「わかりました」


 正直、昨日の今日ですぐ歌える自信が全くなかったので、当分見学なのは助かる。

 ゲオルクから隊全体に紹介をしてもらった後、僕は前に置かれた席に腰掛けて楽譜を準備した。


 各隊は20〜30人で編成されているようで、今のヘルベール隊は僕を入れて23人。パートは曲に合わせて3〜4つに分かれているらしい。


 村にいたときにこんなきちんとした形で歌ったことがないので、パートというもので何が変わるのかもよくわかってない。

 それも含めて、見学の期間で覚えないと。


 *

 

 全員がパートごとの配置に並び終わった様子を見て、ゲオルクは練習の指示を出し始めた。

 

「じゃあまずは基礎発声から」

 

 合図に合わせてピアノの先生が弾き始めたのを聞いて、発声練習が始まる。これだけでも、僕たち1年生の歌の授業とは比べものにならない綺麗な声だ。

 音程と発声方法と…うーん、覚えることがたくさんありそう。


 *

 

 必死に楽譜を追っている間に今日の練習は終わり、帰り際に他の隊員からの自己紹介でもみくちゃにされていると、フィンが僕のところに寄ってきた。

 

「はーい、みんな今日はここまで。ノエル、部屋に帰るよ」

 

「ありがとう……助かった」

 

 物足りなさそうな他の生徒の声を無視し、フィンは僕の手を引いて練習室を後にした。

 

「初日、お疲れさま。どうだった?」

 

「すごく緊張した。でも、先輩方の歌声がすごくて、僕も頑張りたいって思ったよ!」

 

「そっか!よかった」

 

 フィンから隊のメンバーの詳しい話を聞きながら寮へと足を進めている途中、僕はいつ切り出そうか悩んでいた話をする決意をし、フィンの服の裾を掴んだ。

 

「ん?どうしたの?」

 

「あの……僕、どうしても誰にも言えなかったことがあって……」

 

 自分から話し始めたのに黙ってしまった僕を、フィンは心配そうな顔で見つめている。同じ隊だし、ちゃんと話さないと。

 

「僕、楽譜が読めないんだ」

 

「うん、知ってるよ。そこは心配しなくて大丈夫」

 

 あっさりと、そしてあまりに予想外の返答に僕は眉間に皺を寄せる。

 

 選考の厳しいと言われるような学園だ。楽譜すら読めないなんてことがバレたら即退学に…なんてことを思っていたので、授業でなんとか追いついて誤魔化そうとしていた。

 それなので、カーター先生にすら打ち明けられず悶々としていたのだ。

 

「実はカーター先生は気づいていたみたいだよ。歌は歌えるけれど、楽譜はちゃんと読んだことがなさそうだってね」

 

「そう……だったんだ」


「それにさっきの練習中のノエルの顔。ずっと険しい顔してたし、見てる楽譜も間違ってた」


「ええ!てっきり見てる楽譜くらいは合ってるものかと…」


 どうやら、似た曲名の違う楽譜をずっと見ていたらしい。優秀だからと持ち上げられているのに、この有様。

 恥ずかしさで今にも顔から火が出そうだ。

 

「そもそも文字を読めない子もいるし、楽譜って読んだことある方が稀だからね。多分、1年生の他の子も今頃悩んでるんじゃないかな?だから、本当は授業で聖歌を歌いながら楽譜を読む練習もして、読めるようになってから入隊するんだよ」

 

 そのことを聞いて、心底ほっとした。

 昨日はどうやって誤魔化せばいいかを考えていてよく眠れなかったので、早めにフィンへ打ち明けていればよかった。

 

「だからカーター先生とも相談して、楽譜の読み方は今日から僕たちが教えることにしたんだ。戻ったら勉強だよ」

 

「……え?」

 

「ジャックとリュカにも協力してもらうし、そうだなぁ……1週間で一通りは読めるように頑張ろうか?」

 

 とんでもないことを言いつつ、みんなで楽しくやろうね、なんて呑気に言いながらフィンは歩き始めた。

 優しい顔をしつつ、フィンは意外とスパルタなのかもしれない。


 部屋に戻るとジャックとリュカも待ってましたと言わんばかりの表情で僕を机へと誘導し……。

 スパルタな先輩たちからの楽譜講座が僕の学園生活の中でもぶっちぎりで辛い思い出となった。

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