第5話
とにもかくにも情報を集めた成果で、以前は解らなかった、知らなかった裏の事情が見えてきた。
もちろん当初の目的である、さらに深い知識を得るための手段──図書室へ至る道筋も、なんとなくではあるけど目途がついたのであるが。
これもメイドらのお喋りで、週に一度、乳母がロザリアを連れて外出する、ということが解ったおかげだ。
ただ、乳母の外出の詳細については、その目的も、行く先の情報も得られなかった。けれど、その日は2人とも夜遅くまで戻らない、という貴重な情報は得られた。
それが本当であるなら僕を監視する目は、その日一日中、執事のセバスだけとなるはずだ。しかも幸いなことに、乳母やロザリアと違って、セバスは滅多なことでは僕の部屋まで来ない。
つまり3度の食事時間に気を付けてさえいれば、誰にも気付かれず図書室へ行けるという訳だ。
そこで有用な本を何冊か物色し、部屋へ持ち帰ってから隠れて読めばいい。
そうやって少しずつ、少しずつ知識を蓄え、現状を打破する糸口を見つけようと思った。
もう一度、生き直すために。
「……おなか、すいた…」
そこまで考えた辺りで、お腹の虫がくうと鳴いた。
うん、さすがに水だけでは持たないよね。
けど、大丈夫。
「いただきます…」
僕はベッドの下に隠しておいたパンを取りだすと、一口ずつ小さくちぎって食べ始めた。
実は、屋敷の中を散策しまくった僕は、ついでに台所から人が居なくなる時間や、そのタイミングも把握できるようになっていたのだ。今更にして思うけど、小さな体って便利だ。物陰に隠れやすいし、人目に付きにくいから、コッソリ食べ物を手に入れることも出来るからね。
とはいえ満腹になるほどの食べ物は、さすがにバレるから無理だった。でも、パンひとつとか、果物ひとつくらいなら、無くなっても誰も気付かなかったので、こうして時々、キッチンから失敬して隠しておくことにしたのである。
僕って、案外、逞しいのかも??
「おいしかった…」
なんて自分の新たな面にちょっと驚きつつ、小さなパンを半分だけ食べてまた隠した。
使用人らが食べるため用意された物でも、僕に出されるパンとは違って柔らかくて美味しかった。なにしろ兄上と一緒の時以外は、いつも固くなったパンとか、カビが生えかけたパンしか与えられなかったからね。
腹を少しだけ満たした僕は、ベッドの中に潜り込んで横になった。
明日への──逆行前とは違う、未来への希望を胸に。
本を読むって、楽しいことなんだな。
監視の目をくぐって図書室通いを始めて2週間ほどが過ぎていた。
最初の内は蔵書の数が多すぎて、どんな本を読めば良いのか解らなかった。
おまけに今の僕の身長は低すぎて、手が届くのが高い棚の下の段だけだったし。
それでも、本という教師は、僕に色んな知識を与えてくれた。
僕は隠れて本を読む楽しみに夢中になったけど、夢中になり過ぎて乳母らに気付かれないよう、常に細心の注意を払うよう心掛けた。でないと、何されるか解ったものではないからだ。
「………そろそろいいかな」
今日も乳母エルロアとメイドのロザリアが、余所行きの服を身に着け連れ立って屋敷を出て行く。僕はその姿を窓からこっそり覗き見し、念のためしばらく様子を見てから図書室へ行った。もちろん、執事や他の使用人らの目を避けて。
今までと同じように、充分以上、気を付けたつもりでいた。
数冊だけ部屋へ持ち帰った本も、すぐに読むこようなことはせず、使用人らが寝静まる夜を待ってから読むつもりで隠していたのに。
それなのに──
「最近、こそこそと何かしておられるかと思ったら…まさか泥棒までなさるとは」
「ち……ちが……」
僕が戻るのを待ち構えていたみたいに、乳母とロザリアとセバス執事が部屋の中へ押し込んできて。問答無用とばかりに3人がかりで部屋中あら探しされた。そのあげく、隠していたものをすべて暴かれ、薄汚い泥棒扱いまでされてしまったのだ。
「本は…借りただけで……」
「なら、これはなんなんです!?まったく!!鼠のように薄汚い真似を!!」
手にしたパンを指して、乳母が鬼の如く顔を歪める。そう、もちろん本だけではなく、隠しておいた食料も見つかってしまったのだ。
「そ……それ、は」
確かにこれに関しては『泥棒』と言われても、仕方がないのかもしれないけれど。
でも、それだってちゃんとやむにやまれぬ理由があるし、そもそも僕がそんな真似をしなくちゃならなくなった要因は、乳母たちが僕にろくな食事をくれなかったことにあるというのに。
「お……おなかか…空いて…」
「まあ!!普段、お出してるお食事は召し上がらないくせに、なんという嫌なおっしゃりよう!!」
『それではまるで、自分たちが食事を与えていないかのようではないか』と、乳母は大袈裟に喚き散らして泣き真似をするが、件の『普段出される食事』とやらは、5歳の子供である僕に…いや、まともな人間が食えるような代物ではないじゃないか!!と心では反論するも口には出せなかった。
「……………」
頭では反論したいのに。正当性を主張したいのに。
乳母の怒声が怖くて、反射的に体が委縮して、どうしても声が出せなかった。
ああ、僕はやっぱりまだ『前のまま』なんだ。
「…………ッッ」
逆行以前と変わった様に思えていたけれど、まるで変われてない自分自身に嫌気がさす。
「都合が悪くなるとだんまりですか。ああ、情けない!!本当に坊ちゃまはシュワルツ家の恥ですわね!!この乳母、呆れ果てて言葉もございません!」
黙り込んだ僕を乳母は、ギロリと睨みつけて言った。
言葉も出ないと言う割に、乳母の悪口雑言は尽きそうにない。
これまでも散々、僕に投げかけてきた『言葉』という名のナイフ。
今は15歳の心と記憶を持っているとはいえ、悪意に満ちた冷たい言葉に慣れるはずもない。
しかもこれに加わって、ロザリアやセバス執事からも、心無い言葉が降り注げられるのだ。
お前という人間は無能で、役立たずで、クズで、人の心も持たない悪魔だ、と。
こんなことを何度も、何度も聞かされていたら、どんなに心が強い人間でも、自分でも自分が『そういう人間なのか』と思い込まされるに違いない。
何故なら、以前の僕がそうだったからだ。
僕は僕が駄目な人間だと思っていた
シュワルツ家のお荷物だと。
厄介者の嫌われ者だと。
だって、誰も僕を肯定してくれないから。
否定の言葉をだけ投げつけてくるから。
「そんなことですから、ご主人様やお兄上様も、フィーリウ坊ちゃまを役立たずの無駄飯食いとおっしゃっているのですよ!」
「…………ッッ!!」
トドメとばかりに、乳母はいつもの決め台詞を吐き出した。
そして、それこそが僕の一番嫌いな言葉。
染みついた条件反射みたいに、そう言われた途端、我慢していた涙が溢れそうになる。
すると乳母がそんな僕を見て、満足そうにニヤリと微笑んだ。
『まだまだだ』とでも言いたげに、皺の入った口元が再び開きかける。
だが、次の瞬間
「へえ……俺がいつ、そのようなことを言ったのだ?」
開かれたままだった部屋のドアから、冷え切った少年の声が響いてきたのである。
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