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    拝読いたしました。

    「観念の戦争」と「現実の戦争」をテーマにされたエッセイであると捉えましたが、文中にて示されている戦争という概念への矛盾や懸念に関しては同意見です。

     こと創作において戦争を題材に挙げるとすれば、一定の普遍性を持つ価値観(作中を通底する理念上の結論)は不可欠なものと考えます。具体的にいかなるものかどうかは、創作者各々の問題意識が光を当てるオリジナリティであると考えます。

     理想と現実のギャップ。政府政策と市民生活との乖離。権力者と小市民の見えてる範囲の違い。平時にせよ戦時にせよ(そもそも内戦にせよ)、当エッセイで危惧されているその辺りの切実さの温度感や孤独の度合いはいかなるジャンルにおいても共通するものではないかと思います。

     実世界に生きる人々はやはり身近に迫る実体(生活/仕事)以外には関心を示しません。わざわざ観念(イデオロギー)の世界に興味を示す人間が実世界で孤立するのは、単に共同体が醸成するお約束(生活/仕事)から外れているゆえです。歴史には実世界のお約束を塗り替える偉人が度々現れますが、彼らが武器としたものこそが観念(イデオロギー)であったのは論を待ちません。
     しかし偉人の生き死にが語る観念の熱は人々を巻き込めば巻き込むほどに、成功へ向かうにせよ失敗するにせよ長く保たないので、事が終われば身近に迫る実体に——日常へと回帰していくのでしょう。無論そこで語られるのは一市民の生き死にです。偉人の思想ではありません。

     観念(イデオロギー)の戦争が強調されるとき、実体(個別具体)の戦争は鳴りをひそめる。実体の戦争が明らかになれば、観念の戦争は引っこむ。熱の高低。そういうバランスなのだろうと思います。

     かのような基準の疑わしいジャンルにおいても、架空の創作において主人公たちが懊悩しながらも足掻き通してみせるのであれば、テーマ対象が観念の戦争であれ実体の戦争であれ、一つの結論が出せるのならば無意味とは言えないでしょう。
     いずれにせよ、創作者に求められるのは身体頭脳双方向での戦争——広い視点と体系的な知識であると愚考する次第です。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。私自身、考えを上手くまとめることができないまま、むしろおのれの「戦争と文学」に対する理解を明確にするためにこの評論文を書き始めたところがあり、コメントを受けて、かなり大きな改稿を施しました。とはいえ、改稿後の文章でも主張に大きな変化はなく、私の思考と氏の理解とを比べてみると近い部分も多いのではないかと思います。拙い文章を読んでいただき恐縮です。