勇者・国王・導師(仮)
葉野ろん
急ごしらえの国家中枢
勇者が死んだ。国王が死んだ。導師も死んだ。
よって、仮の措置として、とりあえず新任の勇者と新任の国王と新任の導師が置かれた。とりあえずの
ここイノグン王国は、勇者が守護し、国王が統治し、導師が差配する国である。
勇者は国王の許しがなければ戦うこと能わず、
国王は賢者の助言がなければ治めること能わず、
導師は勇者の監視がなければ行動すること能わず。
剣と魔術の飛び交う時代にあって、秩序立った
その由縁はなにかといえば、
新たに勇者となったのは、山あいの村で育った青年ラッカーゼであった。彼の母は王都を離れて幽棲していた女性であり、ラッカーゼは貴族の落胤だとの噂もあった。彼の強さと人望を妬む領主が、手柄稼ぎと厄介払いとを兼ねて推薦したらしい。もとより勇者など貧乏くじでしかない。前線で命を危機に晒し、報酬はそこそこ止まり。行動は大きく制限され、日常生活にも監視役がついてまわる。確かに名誉は与えられるが、ラッカーゼは(仮)の烙印から逃れることはできない。
それでもラッカーゼは仕事に真摯である。慣れない宮中の仕事は、宰相たちがひととおり世話してくれた。彼の役目はまた大きなものだった。機密事項だが、勇者が導師の監視をするには理由がある。「導師」には伝説の大猪を導く力が与えられる。猪の力を散らし、もといた山脈で眠りにつかせるのが導師の職務。それを違えぬよう、失敗せず私利に走らず遂行するよう監視するのが勇者の職務。そのため、魔術による攻防に長けたものが勇者として選ばれる。大猪の膂力をいなし、導師を守りながらその行程を監督するため、ラッカーゼは連日駆け回っていた。大猪は昼じゅう街中を突進し破砕して廻り、日が暮れれば眠りにつく。彼らの仕事は、日中の大猪と戦い、誘導することだった。しかしこの日、夜も深まった時刻になって国王が彼を呼び出した。
新たに選ばれた国王カーデンは、数多いる前王の子息のひとりである。王城からほど近い国教会主流派の修道院に身を置かれ、王宮での立身出世はもはや望めないはずだった彼が、いまこうして玉座に就くことになるとは、思いもよらないことだっただろう。しかしながら当然、彼は中継ぎ、仮、とりあえずの王でしかない。カーデンの退位後には、その叔父が王位に就くことがもう決まっている。
王位に就いた途端、情報が手元に雪崩れ込んだ。曰く、この国の魔力の源は大猪そのものである。三十年に一度の到来は、表向きには討伐だが、実のところ大きな意味を持っていた。洪水によって土が富むように、猪の徘徊によって国に魔力が撒かれる。この過程を監督することが、国王の義務である。納得したつもりだった。私人としての自分は捨てたつもりだった。しかしこの日、やんぬるかな、大猪はかの修道院の目前で眠りについてしまう。明日の朝日が昇れば、大猪はまた突進を始める。つまり、彼が育ち学んだ修道院が、まさに明日、大猪の足に踏みしだかれて崩れることは確実なのだ。
そうだ、今の自分の力なら、守ることだってできるのではないか。国王である自分には、この国で最も力に優れた者、つまり勇者の指揮権が与えられている。勇者の力をもってすれば、このような困難などあってないようなものだ。そんな子供じみた、私情に依った思惑——純正の国王には許されない私心から、彼は勇者ラッカーゼを呼び出した。
新任の導師カミナは、国教会改革派の先鋒であった。なぜ導師に選ばれたのか、彼女にはなんとなく察しがついていた。近隣諸国で教会改革が進むなか、イノグン王国の国教会主流派は神経過敏になっていた。改革派の援助者であったカミナの母は、
それでもカミナは、役目を果たすことには疑いはなかった。導師の職務は、大猪の魔力を街に適切に分配し、国王の執政に活かすこと。その大猪の魔力が、いま衰えている。先に国王たちが全滅したのも、この魔力の配分を見誤ったから、とのことだった。その結果、市街地には甚大な被害が出ている。これ以上無為に人が死なぬよう、という宰相たちの言葉に、彼女は深く頷いた。
しかしそうはいっても、ひとところに留まれないのも彼女の性分であった。導師が勇者の監視なしに大聖堂の外へ出るのは、国法に定められた禁忌である。正しく選ばれた導師であれば、このような行動に出たはずはなかった。正義感と遵法意識は必ずしも一致しない。法を破って外に出かけた彼女は、偶然にも国王と勇者の姿を目にする。俄然、興味が湧いた。自分の違反を棚に上げてでも、彼らの専行を咎めてやろうという正義感が、彼女にはやはりあった。
こうして三人は大猪の前に集まった。夜明けまでは遠くない。カーデンが討てと言えばカミナが討つなと言い、よほど真っ当な勇者とも思われない姿で、ラッカーゼは右往左往するほかない。三者は三様に互いの責務不履行を責め、言葉の端をあげつらい、その場凌ぎの論戦を繰り返す。——義務を果たせ。違反を糺せ。待った、この修道院は。いや、そもそも国教会の横暴は。現在の立場は。先ほどの物言いは。——整合性もなく、理路もなく、ただとりあえずの言葉で鼎談が展開する。
僅かに息をつくその時、ラッカーゼが視界の隅に見覚えのあるものを認めた。あれは、手紙のやり取りに使う鳩だったか。確かに王宮の伝書鳩だ。カミナが魔術で引き寄せる。手紙を受け取ったカーデンの表情が険しくなるのを、カミナは見逃さなかった。手早く
決議:大猪討伐は二日伸ばす。
避難勧告はしない。
再建は
当該区域に改革派を誘導。一掃する好機。
可能なら三役もすぐに処分。
三人はそれぞれに文面を解釈し、同じ答えに行き着く。つまるところ、大猪は権益であった。商機として、暴力として、機構として、利用し尽くされるものだった。とりあえず置かれた自分たちではない、街の奥に巣食う者たちによって。
ラッカーゼにとって、職務を放棄するにはそれで充分であった。
カーデンにとって、過去を突き放すにはそれで充分であった。
カミナにとって、王宮を見捨てるにはそれで充分であった。
夜明けとともに、カーデンは王城を開いた。枢を回し閂を上げ、堀には橋を下ろす。そこへ、カミナが大猪を駆り、修道院を更地にし、城門を突き倒し、ラッカーゼの先導のもと突撃する。イノグン王国において、王城は最も堅固な建物である。一度中に入ってしまえば、いかに大猪といえど簡単には出られない。壁を破り玉座を砕き、止まることなく動き続けた。逃げ惑う宰相たちを、爽快な心持ちで眺めた。どうせ自分たちは仮の役だ。自分たちのこれまでも、この国のこれからも、もうどうでもよくなった。どうせ、もう何世代かすれば、大猪の魔力も尽きてしまう。せっかくなら派手に終わらせよう。そうして、王城に満ちた大猪まる一頭分の魔力で、この国をまるごと作り替えてやろう。先のことなんか考えなくていい。壊した方がましな世界だなんて、——なんて素敵な世界だろう。
その後この三人がどうなったかについては、はっきりしたことがわからない。市民軍に捕まって処刑されたとも、遠くの国に逃れたとも、城に住み着く妖怪になったとも聞く。ただ、歴史家たちはみな一人残らず頭を抱えることになった。彼らが王城のなかにあった記録をまるごと壊してしまったからだ。あと四十年もすれば、彼らは誰からも忘れられてしまうかもしれない。ただまあ、それはそれで、彼らにとっては幸せなことなのかもしれない。
勇者・国王・導師(仮) 葉野ろん @sumagenji
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます