勇者・国王・導師(仮)

葉野ろん

急ごしらえの国家中枢

 勇者が死んだ。国王が死んだ。導師も死んだ。

 よって、仮の措置として、とりあえず新任の勇者と新任の国王と新任の導師が置かれた。とりあえずの三人トリオに、国の命運が託された。


 ここイノグン王国は、勇者が守護し、国王が統治し、導師が差配する国である。

勇者は国王の許しがなければ戦うこと能わず、

国王は賢者の助言がなければ治めること能わず、

導師は勇者の監視がなければ行動すること能わず。

 剣と魔術の飛び交う時代にあって、秩序立った三竦みトリレンマの王権によって統率される稀有な国家であった。しかしながら、その中枢にあった三人が一度に死んでしまうとは、未曾有の危機というほかない。

 その由縁はなにかといえば、大猪おおいのししの襲来であった。「三十年に一度現れては国を荒らし、そのつど国王の指揮により勇者の剣と導師の魔術で撃退される」という大猪が、此度はどうしたことか三人を返り討ちにしてしまった。イノグン王国において、王城は最も堅固な建物である。しかし主人がいなければ、その王城も意味をなさない。大猪の脅威も去らないなか、早急に次の三役を決める必要があった。


 新たに勇者となったのは、山あいの村で育った青年ラッカーゼであった。彼の母は王都を離れて幽棲していた女性であり、ラッカーゼは貴族の落胤だとの噂もあった。彼の強さと人望を妬む領主が、手柄稼ぎと厄介払いとを兼ねて推薦したらしい。もとより勇者など貧乏くじでしかない。前線で命を危機に晒し、報酬はそこそこ止まり。行動は大きく制限され、日常生活にも監視役がついてまわる。確かに名誉は与えられるが、ラッカーゼは(仮)の烙印から逃れることはできない。

 それでもラッカーゼは仕事に真摯である。慣れない宮中の仕事は、宰相たちがひととおり世話してくれた。彼の役目はまた大きなものだった。機密事項だが、勇者が導師の監視をするには理由がある。「導師」には。猪の力を散らし、もといた山脈で眠りにつかせるのが導師の職務。それを違えぬよう、失敗せず私利に走らず遂行するよう監視するのが勇者の職務。そのため、魔術による攻防に長けたものが勇者として選ばれる。大猪の膂力をいなし、導師を守りながらその行程を監督するため、ラッカーゼは連日駆け回っていた。大猪は昼じゅう街中を突進し破砕して廻り、日が暮れれば眠りにつく。彼らの仕事は、日中の大猪と戦い、誘導することだった。しかしこの日、夜も深まった時刻になって国王が彼を呼び出した。


 新たに選ばれた国王カーデンは、数多いる前王の子息のひとりである。王城からほど近い国教会主流派の修道院に身を置かれ、王宮での立身出世はもはや望めないはずだった彼が、いまこうして玉座に就くことになるとは、思いもよらないことだっただろう。しかしながら当然、彼は中継ぎ、仮、とりあえずの王でしかない。カーデンの退位後には、その叔父が王位に就くことがもう決まっている。

 王位に就いた途端、情報が手元に雪崩れ込んだ。曰く、。三十年に一度の到来は、表向きには討伐だが、実のところ大きな意味を持っていた。洪水によって土が富むように、猪の徘徊によって国に魔力が撒かれる。この過程を監督することが、国王の義務である。納得したつもりだった。私人としての自分は捨てたつもりだった。しかしこの日、やんぬるかな、大猪はかの修道院の目前で眠りについてしまう。明日の朝日が昇れば、大猪はまた突進を始める。つまり、彼が育ち学んだ修道院が、まさに明日、大猪の足に踏みしだかれて崩れることは確実なのだ。

 そうだ、今の自分の力なら、守ることだってできるのではないか。国王である自分には、この国で最も力に優れた者、つまり勇者の指揮権が与えられている。勇者の力をもってすれば、このような困難などあってないようなものだ。そんな子供じみた、私情に依った思惑——純正の国王には許されない私心から、彼は勇者ラッカーゼを呼び出した。


 新任の導師カミナは、国教会改革派の先鋒であった。なぜ導師に選ばれたのか、彼女にはなんとなく察しがついていた。近隣諸国で教会改革が進むなか、イノグン王国の国教会主流派は神経過敏になっていた。改革派の援助者であったカミナの母は、間諜スパイの疑惑をかけられ、財産没収のうえ終身刑を課された。いまカミナが任ぜられた導師というのも、国教会の宗主といえば聞こえはいいが、勇者の監視なしでは大聖堂の外にも出られない、事実上の軟禁である。

 それでもカミナは、役目を果たすことには疑いはなかった。導師の職務は、大猪の魔力を街に適切に分配し、国王の執政に活かすこと。。先に国王たちが全滅したのも、この魔力の配分を見誤ったから、とのことだった。その結果、市街地には甚大な被害が出ている。これ以上無為に人が死なぬよう、という宰相たちの言葉に、彼女は深く頷いた。

 しかしそうはいっても、ひとところに留まれないのも彼女の性分であった。導師が勇者の監視なしに大聖堂の外へ出るのは、国法に定められた禁忌である。正しく選ばれた導師であれば、このような行動に出たはずはなかった。正義感と遵法意識は必ずしも一致しない。法を破って外に出かけた彼女は、偶然にも国王と勇者の姿を目にする。俄然、興味が湧いた。自分の違反を棚に上げてでも、彼らの専行を咎めてやろうという正義感が、彼女にはやはりあった。


 こうして三人は大猪の前に集まった。夜明けまでは遠くない。カーデンが討てと言えばカミナが討つなと言い、よほど真っ当な勇者とも思われない姿で、ラッカーゼは右往左往するほかない。三者は三様に互いの責務不履行を責め、言葉の端をあげつらい、その場凌ぎの論戦を繰り返す。——義務を果たせ。違反を糺せ。待った、この修道院は。いや、そもそも国教会の横暴は。現在の立場は。先ほどの物言いは。——整合性もなく、理路もなく、ただとりあえずの言葉で鼎談が展開する。


 僅かに息をつくその時、ラッカーゼが視界の隅に見覚えのあるものを認めた。あれは、手紙のやり取りに使う鳩だったか。確かに王宮の伝書鳩だ。カミナが魔術で引き寄せる。手紙を受け取ったカーデンの表情が険しくなるのを、カミナは見逃さなかった。手早く視覚共有アイジャックの魔術を繋ぎ、文面を盗み見る。誰が書いて、誰に送ったのか。自分たちの身の回りを独楽のように動き回っている、宰相たちの手紙であろうか。

 決議:大猪討伐は二日伸ばす。

    避難勧告はしない。

    再建は商工会ギルドと国教会が主導。

    当該区域に改革派を誘導。一掃する好機。

    可能なら三役もすぐに処分。

 三人はそれぞれに文面を解釈し、同じ答えに行き着く。つまるところ、。商機として、暴力として、機構として、利用し尽くされるものだった。とりあえず置かれた自分たちではない、街の奥に巣食う者たちによって。

ラッカーゼにとって、職務を放棄するにはそれで充分であった。

カーデンにとって、過去を突き放すにはそれで充分であった。

カミナにとって、王宮を見捨てるにはそれで充分であった。

 夜明けとともに、カーデンは王城を開いた。枢を回し閂を上げ、堀には橋を下ろす。そこへ、カミナが大猪を駆り、修道院を更地にし、城門を突き倒し、ラッカーゼの先導のもと突撃する。イノグン王国において、王城は最も堅固な建物である。一度中に入ってしまえば、いかに大猪といえど簡単には出られない。壁を破り玉座を砕き、止まることなく動き続けた。逃げ惑う宰相たちを、爽快な心持ちで眺めた。どうせ自分たちは仮の役だ。自分たちのこれまでも、この国のこれからも、もうどうでもよくなった。どうせ、もう何世代かすれば、大猪の魔力も尽きてしまう。せっかくなら派手に終わらせよう。そうして、王城に満ちた大猪まる一頭分の魔力で、この国をまるごと作り替えてやろう。先のことなんか考えなくていい。壊した方がましな世界だなんて、——なんて素敵な世界だろう。


 その後この三人がどうなったかについては、はっきりしたことがわからない。市民軍に捕まって処刑されたとも、遠くの国に逃れたとも、城に住み着く妖怪になったとも聞く。ただ、歴史家たちはみな一人残らず頭を抱えることになった。彼らが王城のなかにあった記録をまるごと壊してしまったからだ。あと四十年もすれば、彼らは誰からも忘れられてしまうかもしれない。ただまあ、それはそれで、彼らにとっては幸せなことなのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

勇者・国王・導師(仮) 葉野ろん @sumagenji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ