今日も――トリ――あえず
高久高久
とりあえず、やるべき事
「本当、トリみたい。トリっていうか、鶏?」
元々物忘れが多いというか、うっかりしていた俺をそう言って彼女はよく笑っていた。からかうような物言いだが、不思議と不愉快に感じた事は無い。
だが言われっぱなしなのもそれはそれ。少しやり返す意味で膨れて見せると「ゴメンゴメン、怒らせるつもりはないんだって」と手を合わせて謝ってくる。
そんな彼女がくれた手帳を、俺は今車の中で眺めている。「何かにつけてメモを取る習慣をつければ忘れっぽいのも解消されるんじゃない?」と、プレゼントでくれた物。いくつか破ったと思われるページの後に、びっしりと書き込まれたページが出てくる。
そこに書かれているのは、ある男の事に関して。白いページが文字やら記号やらで真っ黒に思わせる程書き込まれている。
そのページの最後、書かれているのは『今日も会えず』の一文。機会に恵まれなかった事を書いた物。
今日は会えるのだろうか――あの寝取り野郎に。
手帳を閉じ、溜息を吐きつつ俺は座席に寄りかかった。
――彼女は、あの男に奪われた。
何時も通りの生活を送っていた筈の俺と彼女。だが、ある頃からその生活はおかしくなりつつあった。
普段と変わらない筈なのに、何処か様子のおかしい彼女。その原因に気付いた頃には、全てが手遅れだった。
ある日、裸で交わる寝取り野郎と彼女を目撃したのは覚えている。それからは――よく思い出せない。俺が何をしていたか、どう過ごしていたか。彼女もどうなったのか、わからない。
ある時、この贈り物の手帳が目に入った。捨ててしまおうと思ったが、何気なくページをめくる。
――そこに、あの男の事が書かれていた。
恋人のいる相手を狙う性質の悪い男で、彼女も隙を突かれた事が書かれていた。
彼女が書いたと、俺は確信し、怒り狂った。
大切な彼女を奪ったこの男に。
助けを求める悲鳴に気付けなかった自分自身に。
そして俺は誓った。この男を殺す、と。
※ ※ ※
コンビニのコーヒーを啜り、目の前のラブホテルに目を向ける。ページに書かれた男がよく利用するという事で調べはついている。
ページに書かれた男の特徴をよく読み、出入りする者達が居たら目を向ける。
成果は無く、時間ばかりが過ぎていく。
コーヒーもすっかり空になり、今日もあえないかと溜息を吐いた時だった。
――男が、女を伴って現れた。
その顔を見て、確信した。ページに書かれた男だと。
間違いない。だが早まるな。今じゃない。
今にも飛び出しそうな自分自身を抑え、ホテルに入る男達を見送る。
――今頃、中でしている事を想像すると気が狂いそうになった。
そうやって、俺の知らない所で彼女を奪ったというのか――
……どれ程時間が経ったのか。何日も待った様な気がする。
……ホテルから、男達が出てきた。男達は徒歩で、何処かへと向かっていく。
俺は車を降り、そっと後を着ける。何処へ向かっているか解らないが、誰もいない道を歩いていく。俺にとって都合が良かった。
女の肩に男が手を回し、歩いている。俺は徐々に距離を縮め、周囲に誰もいない事を確認すると、駆け寄った。
身体ごとぶつかり、持っていたナイフを深々と男に突き立てた。男は倒れ、血に汚れたナイフを引きぬくと、再度振り下ろした。
悲鳴のような物が聞こえる。男の物か、女の物か、それとも俺の物か。だがそんなことはどうでもいい。この男を殺さないと。
何度もナイフを突き立てた。何度も何度も。何処でもいいからナイフを刺した。その度嫌な感触が、飛び散る妙に生暖かい血の温度が、手に伝わる。何度やっても、この感触には慣れない。
やがて、男は動かなくなった。そこで大きく息を吐き、ふと振り返る。
そこに、怯えた表情をした女が、腰を抜かしていた。薄暗いが、臭いからして漏らしていたのかもしれない。
ああ、そんなに怯えないでくれ。もう大丈夫。大丈夫だから。
俺は笑みを浮かべた――つもりだ。正直上手く顔を作れたかは、自信が無い。
※ ※ ※
――帰宅した俺は、シャワーを浴び身体についた汚れを落とした。
水気をタオルで拭いていると、テーブルの上に置いてある汚れたナイフと愛用の手帳が目に入る。
――目的は果たした。しっかり、殺した。
だが達成感よりも喪失感――全てを失ったような、虚しさの方が勝っている。
俺は……これからどうすればいいんだろうか。
喪失感は正しい。俺は全てを失った。彼女も、生きる意味も。
――とりあえず、これからの事はこれから考えよう。そう思って、俺はベッドに横たわり、そのまま意識を失った。
※ ※ ※
――ベッドで寝ていた身体が、むっくりと起き上がる。
寝起きの気だるさを感じながら、周囲を見回すと手帳とナイフが目に入った。
「あーあ、もうやっちゃったのか」
呟いてからテレビをつけると、丁度ニュースが流れていた。
男女2人の刺殺体が見つかったというニュースだった。どちらも滅多刺しで、怨恨の線から捜査しているとキャスターが淡々と告げている。
手帳をペラペラと捲っていると、最後のページに辿りつく。そこに書かれている男と、ニュースの被害者が一致しているようであった。
それが解るとページを破り、台所まで行くとコンロで火を点けてから流しに捨てる。元々真っ黒なページがあっという間に燃え、灰となる。
「本当、忘れっぽいねぇ。トリ、ってかニワトリ? 強ち間違いじゃないんじゃない? 前世はそうだったのかもねぇ」
灰に水をかけ流しながら、呟く。
本当にこの男は忘れっぽい。生きがいが既にこの世に居ない事も忘れてしまっている。まぁ、忘れてしまいたくなる気持ちも分からなくはないが。
だが思い出してしまってもらっても困る。
あの時の事。
自分がした事。
それらを思い出した時、何をするか。簡単に想像できる。
あんなクソ寝取り野郎と、クソ浮気女のせいで命を絶たれてしまっては困るのだ。
「さて、今回は早かったな。次はどうするか」
手帳を開き、真っ白なページを見てペンを持ち考える。
今回の寝取り野郎は特徴がありきたり過ぎた。次はもうちょっと、居ないような奴を書かないと。
居そうで居ない、そんな相手を頭に思い浮かべながら書き込んでいく。あまり居ない奴を書いて全てを諦めてしまっても困る。塩梅が難しい。
「よし、こんな感じでいいかな」
頭を悩ませながら書き込み、ページが真っ黒に埋まった。
「あ、最後にこれを入れとかないと。入れとくとやる気が違うんだよね……本物とはもう会う事も出来ないっていうのに。滑稽だよねぇ」
ペンを握り、今日の日付と共に一文を書きこんだ。
――今日も、寝取り野郎とは会えず。
今日も――トリ――あえず 高久高久 @takaku13
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