一章.『〈蝶ノ道〉の下で』

8.戦場の情景―1

 天空に一筋の橋が架かっている。

 雲のような、

 虹のような、

 一面の碧空に筆で、すっと刷いたような線。

 とりどりの色で満たされた極彩色の雲だ。

〈蝶ノ道〉

 夏と冬――季節によって、その向きを真逆に変える季節風に乗り、アーカンフェイルの嶺々を越えて、北へ、南へ、高く、遙かに渡って行く蝶たちの大群がつくる空の道である。

 高峰つらなるアーカンフェイル山脈の標高は、平均七千メートルとも八千メートルとも言われている。

 そんな、天空にきつりつしている巨大な岩塊を無数の蝶たちは更なる高処――一万メートルにも達しようかという高処にまで昇って越えてゆくのだ。

 それはせいひつさのなかにもそうごんさを漂わせ、見る者の心をしんとしずめる光景だった。

 ただ風にも耐えぬかよわい蝶が、冬を越し、種を明日へとつなぐため、群となり、列をなし、帯となって無限に空を渡っていっているのである。

 本能に導かれるままの行動とはいえ、空を仰ぐものたちに敬意とおそれを抱かせるには十分だった。

 しかし、

 地をうモノたちにとっては……、


「徹甲、二時! 距離三五〇〇! 敵戦車、撃て!」

「合点! くたばれ、このクソ野郎!」

 轟音、震動、発砲煙と目や鼻腔を刺す刺激臭。

 覗視孔てんしこうから得られる狭い視界の中で、こちらが砲撃をくわえた敵の戦車がガクッとつんのめるようにしてその場に止まり、たちまちという開口部からスミレ色のほのおを噴き出し、内側から弾けるように爆発する様が目に映った。

 命中、撃破。

 しかし、たちのぼる黒煙の向こう側から、即座にくろぐろとした塊がぬぅッと現れ、居丈高いたけだかに突き出した砲身をふりかざしながら新たにこちらに迫ってくるのが見える。

 イスタリア帝国陸軍の中戦車、〈ヴォルフンガンド〉。

 現在戦われているローレンシア大陸全域を巻き込んだ巨大な争い――第二次世界大戦のきっかけとなった東方動乱、そのせんぺいともなった戦闘車両である。

 六〇口径五〇ミリというから、全長が三メートルにも達する主砲を積んだイスタリア帝国陸軍装甲部隊の中核をなす戦車だ。

 列強諸国が血で血を洗う主戦場では、そろそろ火力不足が指摘されはじめ、更に強力な後継車両にその座を譲りつつあるらしいとも聞くが、それはまた別のはなし。

 いま、この場においては、依然最強級の戦闘車両である事実は変わらない。

「千客万来だな、おい!」

「招かれざる客ですがね」

「まったくもって迷惑きわまりないな」

「とっととお引き取り願いたいもんで」

 四周を分厚い鋼鉄でよろわれた狭苦しい空間に愚痴ともぼやきともつかない男たちの声が交叉する。

 が、

 そうして口々に文句を言い合いながらも、それぞれの身体の方は機械のように精確にうごいて淀みなく新たな敵を撃破する準備をととのえていった。

「徹甲、二時! 距離三五〇〇、変わらず! 敵戦車、偏差射撃! 撃て!」

 たった今、撃破した車両――その残骸の影から姿をあらわした戦車を砲撃しろと指示がとぶ。


 肉食の獣が身じろぎするようにわずかに向きが変わったと感じられた数瞬の後、砲がふたたび火を噴いた。

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