キューピッ逃避行!!「少年兵は天使を救うために軍と戦う」

ねぎま

第一話 追撃

 周囲は先ほどよりも静まり返った様に思える。

 ほんの数分前までは無尽蔵に生い茂る葉のざわめきや、吹き抜ける風の響きに鼓膜が支配されていたと言うのに。

 月明かりに照らされたコンクリートはエッジが立ち、心なしか普段よりもコントラストが強く感じられた。


 時刻は〇二〇〇。

 ここは国土の最東端、かつて首都が置かれていた、今は廃墟となった街。二人の所属する部隊は、追撃の末、遂に敵を目前に捉えた。

しかし間も無く国境を越える、チャンスはもう残されていなかった。


 それにしても荒れ果てた土地だ。

 腐った鉄筋と瓦礫の山が無数に連なる廃墟の街は、かつての栄華を想像することも難しいほど、色を失っていた。放射能の霧が地表を漂い、視界を曇らせる。


 そんな街の外れ、多少建物がいくつか残っている、その内の一棟に二人は身を潜めていた。

 視線の先には簡素なビル。灯りは無いが、微かに人気を感じる。


 張り詰めた空気の中、無線機のスピーカーが無機質なセルコールを発する。

「ブッ、ブッ、ブーッ」

三度繰り返された後、ビルに仕掛けられたプラスティック爆弾が起爆される手筈になっていた。


 二人は最初のセルコールが鼓膜に達すると同時に踏みしめていた足を解放し、早々に月下に飛び出していた。

 他の兵に動きは無い、無謀と思える行動だが、これは二人がこれまでの経験から導き出した生き残る術だった。

ビルの正面、搬入口の閉じたシャッターを目掛け、猟犬の如く一直線に通りを駆け抜ける。


 砕けたコンクリートの上を駆けているがほとんど音は無く、つま先で微かに地面を蹴って、しかし力強く前へ前へ突っ走る。風切り音の方が大きいほどだ。


 まっすぐ見据えた視線の先、シャッターへはもう後二、三歩のところまで来ている。しかし二人は何の迷いも無く走った。

なんとなく、このままでも弾丸の様に軽くシャッターを突き破って中へ飛び込んでいってしまいそうだ。


寸前。

「バグァーン!」


 爆弾が起爆されて、シャッターは瞬時にひしゃげ飛ぶ。

 二人はそのまま弾ける爆炎の中に飛び込んでいった。


 爆破の余熱が露出した産毛を焦し、皮膚を炙る。

 熱風をくぐり爆炎を抜けるとシャッターの奥、コンテナが乱雑に並ぶ荷捌き場のコンクリートに滑り込んだ。


 刹那、弾丸。寸分を掠めるそれを横眼で流し、身を捩って物陰に避ける。見張りが一名、驚きが抜けきっていない表情でこちらに銃口を向けていた。


 頭上を飛ぶ閃光に応じてこちらも銃弾をばら撒く。油断のできない銃撃戦が続く。


「カキンッ!」小さく鳴った甲高い金属音。M1ガーランド特有の弾切れの音。その隙を逃さず二人は銃口を振り上げ引き金を引く。腕にずっしり響く反動を受け止める。

 飛び交う弾道から敵の居場所の目星は着いていた。

 コンテナの隅から目をやると先程までよりどこかほっそりして五体を力無く投げ出す敵の姿があった。


 奥の階段からいくつかの足音が近づいてくる。上に何人いるのか分からない、打開するには殺るしかない。二人は息を合わせるとコンテナから飛び出した。


 降りてきた敵は二名、階段を降り切らないままこちらを認めるとすぐさま引き金を引いた。


 二人は銃弾をかわし、時に体を掠めながらも構わず敵へ向かっていく。

 おののき緩んだ弾幕の隙間に、二人は身を乗り入れた。

 とっさに向けられた銃。銃身を滑らせる様にして飛び込んだナイフは首を貫き、開いた傷口を重力そのまま胸まで切り裂く。舞い上がる血、赤くかがやいた、月明かりが届くのか。


 倒れゆく体を飛び越えて次の獲物へ飛びかかる。胸中に飛び込むとその体は力無くこちらへもたれ掛かった。


 上階では怒号が響いていた。慌てふためく足音が、恐らく四、五人だ。

 鼓膜を揺らす鼓動を感じながら二人は弾かれたように階段を上まで駆け上がった。


 登り切ったところ左から浴びせられる弾幕、咄嗟に放たれたその弾丸は文字どうりに的を得なかった。


 ハルは右手の壁に足を据え、飛び掛かろうと足を伸縮させる。軽いステップで身を捻り体制を立て直し敵と目を合わせるとそのままの勢いで跳んだ。

 やはり五名だった敵。

 ただ視界の端に映った、もう一人の敵。潜んでいた。

ハルの飛翔する体の下をストールが放った弾丸が潜り抜けその敵を正確に射抜いた。


 敵を一人、また一人と殺していく。

 弾丸を躱わしながら、またその敵を盾にしながら。

 二人の連携は完璧に場を制していた。


 ふと、奥に伸びる通路から放物線を成して何かが飛び込んで来る。手榴弾だ。


 軽やかな金属音を鳴らしてハル側に転がり込んだ。ハルは敵に馬乗りで斬りかかって背を向けている、ストールも距離があり投げ返すには時間が足りない。

 

ピンが抜かれておそらくもう三秒はたった。一秒後には炸裂するだろう。


「ハル、伏せろ!」咄嗟の一言。


 曇った爆発音、積もった砂埃が一斉に巻き上がり充満する。


 甲高い耳鳴りの中、ストールはすぐに立ち上がりハルの元へ駆け寄ろうとする。足を踏み出すと靴底に柔らかい感触を感じる。


 見ると赤黒い血を含んだ肉の塊だった。


 咄嗟に足を避け、部屋中に広がる咽返す様な酢と錆の混ざったような匂いに最悪の事態を想定した。

 まだ晴れない煙の中から幾つかの咽せる咳音が聞こえる。

 しかしストールは声を出せずにいた。


 今確認して、すぐハルの返事が返ってこればそれでいい。しかし返ってこなければ、あの時から共に生き残った最後の仲間を失った、その現実を知る可能性を考えるとやはり声は出なかった。

 充満した煙が徐々に降りて、天井が見えてきた。


 天井は赤く染まっていた。大筆に赤い墨汁をたっぷり染み込ませ、一点に振り下ろしたような、飛沫を纏った、天井なのに血溜まりのように厚みのある紅点が現れた。

 ストールは呆然とそれを仰ぎ見て、即座に体は動かなかったが、頭の中は言い表せない何かが強烈に渦巻いていた。


「無事かっ!」煙の奥から一声、ハルの声だった。

「あぁ」と必要最低限の返事だがその声はため息の延長のような声色だった。


 煙が徐々に晴れ、なんと無く奥まで見通せるくらいに落ち着くと、炸裂を直視したのであろう、眉間に皺を寄せたハルと目があった。

 一旦生存を確認すると、安堵を一瞬で飛び越えて怒りが沸々と湧き上がってきた。


 先ほどの通路から二人に銃弾が浴びせられる。

 通路の正面にある倒れたデスクに身を隠す。


 敵は簡易的なバリケードを組んで進行を阻もうとしていた。ひとしきり敵に銃弾を消費させるとこちらも催涙グレネードを投げ込む。


 うすだいだいの煙が瞬時に広がる。


 敵は目を覆ってむせ込みながらも必死に銃を振り回して撃ちまくっていた。が、狙いのない弾に当たるほど二人は愚かでは無かった。

 ストールが通路へ飛び込む。ナイフを振り下ろす。バリケードの奥で断末魔が上がる。


 少し経つとやっと葉音が耳に入ってきた。



 ビルの制圧は五分もかからずに終わった。

 静かになったのを察すると、遅れて部隊の連中がやってきた。

 二階を見渡すと、二人には目もくれず死体の額に印をつけ、上官に戦果を報告した。


 外では随伴の中央の連中が安全を確認して、ビルの前まで車を進めて来ていた。


 二人は戦果ににありつけない。戦わせるだけ戦わせて、最後は外で待機していた大人達に手柄を横取りされるのだ。


 二人は仕分け中は静かに待っているしか無かった。

 二人が瓦礫に腰を下ろすとすぐ横にストールが撃ち殺した男の死体が転がっていた。デコには憎たらしいグスタム兵長のサインが記されていた。

「ケッ」と、砂の混じった唾を吐きつける。

 イライラして視線を避けるとストールは何かを思い出したか、ふっと振り返った。


 ストールは先程の戦闘を思い返す。バリケードを挟んだ銃撃戦、もっと上の階に逃げるとか外に逃げるだとか、情報を持ち帰るだけならばいくらでも他に方法はあったのになぜ籠城を選んだのか、何かあるのではと思えてならなかった。


 そっぽを向いてタバコを吹かすハルに声をかける「なあハル、ちょっと気になる事があるんだけど」といいバリケードの奥の通路を指し「なんかあるんじゃないかな」

    

 行ってみようぜと誘うとハルは、暇つぶしがてら二本目のタバコを火で炙りながらテーブルを降りてついて来る。


 バリケードを乗り越え、死体を大股で避けてその奥に進む。

 窓のない暗い通路が続き、扉が三つ連なっていた。一番奥の部屋には窓があるようでその辺りだけは漏れた光でぼんやり明るかった。


 ストールは手前の扉を開いた。中には食料や弾薬のブリキ缶、いくつかの麻袋と救急キッドなど簡易的なキャンプを設営していた事が伺えた。

 二つ目の扉には寝袋が積まれており、雑誌の散らばった様子などから見るにここで寝泊まりしていたのだろう。


 最後に窓のある部屋の扉を開く。見渡すと窓は無かった。その淡い光は部屋の奥に置かれた羽毛の山から発されていた。二人は一歩踏み入れるが、あまりの出来事に思わずそこで歩が止まる。


 二人はこの部屋の、先の二つの部屋との決定的な違いに即座に気が付いた、いや先の部屋どころではなく、これまで二人の人生の中で感じたことのないような感覚を味わう。

 

 中はこれまで一度も吸ったことのないような澄んだ空気に満たされていた。


 しかしカラスが集ったゴミ集積場のように荒れ果てていた。


 無意識に鼻の穴をかっ開き美味しい空気を大吸いすると、散らばったゴミを避けながらを光を発する羽毛の山に近づく。


 少し近づくと、それがまとまって連なる鳥の羽の様な造形なのがわかった。


 この時点でストールは何となく嫌な予感を感じた。銃の先で突くと柔らかいがしっかりと密度のある塊であることが感じ取れた。


 何度か突き動かないことを確認すると、恐る恐る羽毛を掴むと引き上げる。


 それは案外軽く持ち上がった。その下には垂れ下がる人間の手足。

 心臓が煮え立つような動揺。


 羽を引きひっくり返すと、そこには傷ついた、一糸纏わぬ少女の身体が露わになった。


 ハルがストールの肩に手を乗せる。無意識に答えを求めての動作だ。

 そのくらい動揺していた。


 ストールが口をまごつかせやっと発音した「これ、天使だよな」

 見ればわかる、当然そう。見れば誰しも百発百中で天使というだろうが、ハルも半ば信じられず「ああ、そうだよな」その声には畏怖も含まれているように思えた。


 一旦事実は事実と認識して整理しよう。ゆっくりと天使に手を伸ばした。


 白いモモに触れると微かに発光が強まり小さな粒子が蛍のように舞う。

「本物だ」

 つぶやくように言った。二人はしばらくその姿を見つめていた。


 顔は自分たちと同い年くらいの少女に見えるが、その容姿はこの荒廃した世界に相応しくないほどの美しさを有していた。

 白い肌にいくつもの生傷が刻まれ痛々しい。肌が白い分余計に目立っていた。

 しかし一方、柔らかな曲線で構成された裸体、各パーツは触れただけでもそのバランスを崩しかねない、この世のものと思えない繊細さも有していた。

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