終焉の竜姫-死神が守るドラゴン娘は世界を滅ぼすか?-

三紋昨夏

【1章】死神と竜娘の出会い

第1話 厄介な依頼

 この世に神はいるのか?

 俺には分からない。興味もなかった。

 もし実在するのなら、俺を嫌っているのは間違いないだろう。


 都合がいい。

 俺も運命を押し付けてくる神という存在が大嫌いだった。


 殺せるものなら殺してやりたい。




 ◆ ◆ ◆




 ――流離さすらい人のカインバルト。


 辺境で暮らす者達から彼はそう呼ばれていた。


 頑丈な身体と腕っ節が取り柄のカインバルトは、商人の用心棒や荷運びで日銭を稼いでいる。国が定めた律法の境界を反復横跳びするような仕事ばかりだった。鼠色グレーの商売は儲かるらしい。しかしながら、そういう商人は長生きもできないのだろう。

 風の噂で「商売に失敗して破産した」だとか「どこぞの断崖から身を投げた」と不穏な話を耳にした。

 常客なんてものはいなかった。カインバルトもそのほうが気楽だった。


「バイシュビッシュ渓谷を越える⋯⋯? 魔法使いの爺さん。アンタは正気か?」


 この日の依頼人はいつもと違った。見かけない顔だ。酒場の主人に呼ばれて、引き合わされたのは、魔法使いの老人だった。白い杖を握る老人は上等なローブを羽織っている。一目で実力が分かった。


(凄まじい魔力マナだ⋯⋯。隠蔽しているが、大気に溢れ出た粒子の濃度が濃すぎる。とても一介の魔法使いとは思えない。相当な実力差だ。どういうことだ⋯⋯。なんでこんな辺境の片田舎にいる⋯⋯?)


 この老人は強い。熟達の魔法使いだ。


(というよりも誰なんだ。この爺さん? 有名な⋯⋯魔法使いだよな⋯⋯? 帝都の魔法使いか?)


 カインバルトの経験則に基づけば、眼前の老人は五指に入る大魔法使いだ。単純な魔力量が群を抜いている。相手は驚天動地の業を為せる超人。杖を振るえば野盗など蹴散らせてしまうだろう。それだけに、用心棒を雇おうとする意図が解せなかった。


「報酬は惜しまぬ。バイシュビッシュ渓谷を抜けて、東方街道の十字路まで行きたい。道案内と護衛を依頼する」

「道案内と護衛⋯⋯ね。道案内はともかくとして⋯⋯」


 懐事情で困っている様子は見られない。だからこそ、厄介事の匂いが強く香ってくる。大金を支払ってでも逃げる理由がある。だが、この老魔法使いが本当に護衛を必要としているとは思えなかった。自分の身は自分で守れる実力者のはずだ。


「その娘を連れてか?」


 老魔法使いの隣に、灰色のフードで頭部を覆った少女が座っている。

 親子ではないだろう。老人と少女は歳が離れすぎていた。祖父と孫、あるいは曾孫だろうか。かなりの年齢差があるように思えた。


「――私がいると何か問題でもあるのですか?」


 お荷物扱いされるのが嫌だったらしい。少女のほうが口を挟んできた。カインバルトの親切心は裏目に出てしまった。


「バイシュビッシュ渓谷は危険地帯だ。好き好んで行く連中はいない。あの場所を使うのは関所が通れないような⋯⋯。つまり、後ろめたい事情がある奴らだけだ」

「分かっておる。だから、こうしてお前さんに依頼を持ち込んだ」

「⋯⋯悪いが、今回は断りたい」

「金は払うと言っておろう。いくらじゃ?」

「報酬の話はしちゃいない。そもそもだ。金に困ってないなら、安全な街道を使えばいい」


 訳ありの人間でなければ、安全な街道を使う。関所で荷物に課けられる税を惜しむ強欲な商人でさえ、バイシュビッシュ渓谷は選択肢に入れない。リスクがあまりにも大きいせいだ。

 徴税以上の金を費やして、優秀な護衛と道案内を雇わねば通過できぬ難所。万全を尽くしても無事にバウシュビッシュ渓谷を抜けられるかは分からない。全ては運次第だった。


「酒場の主人から聞いたぞ。流離さすらい人のカインバルト。お前さんを雇えばバイシュビッシュ渓谷を安全に越えられるとな。クライド王国に抜ける道を知っているのだろう?」

「たしか⋯⋯シャツァルさんと言ったか⋯⋯。バイシュビッシュ渓谷は遊歩道が整備された観光地じゃない。とんだデマを掴まされたな。あそこに道はなんてないぞ」

「商人はお前さんを雇ってクライド王国に辿り着いている。⋯⋯何度も言わせるな。報酬は支払う。いくら欲しい?」

「金が欲しいと言ってるように聞こえたか? 値上げ交渉なら素直にそう言う。これは金額の問題じゃない。バイシュビッシュ渓谷を通りたい理由は何だ? 密輸品や禁止物を抱えているようにも見えない」

「⋯⋯⋯⋯」

「困った爺さんだ。話せないときたか⋯⋯。秘密にしたきゃそれでもいいが⋯⋯」


 カインバルトの視線は自然と若い娘のほうに向く。若い男女なら駆け落ちを想像する。だが、使の組み合わせは、明らかにそうではない。


(祖父と孫娘⋯⋯? いや、おそらく違うな。身内のようだが血縁はなさそうだ)


 背後にどのような事情が隠されているか、カインバルトにはさっぱり分からなかった。だが、過酷な未来が待ち受けている予感は強く抱いた。


「もし俺が依頼を断ったら、死んでしまうほど切迫してるか?」

「⋯⋯⋯⋯」

「どうなんだ。こっちも命懸けの仕事になる。金額以外の誠意を示すのは道理じゃないか?」


 カインバルトは両眼を細めた。


「最悪な未来を回避するために、大博打おおばくちをするだけの価値はあるかもしれない。だが、生半可な覚悟で依頼してるのなら断る。質問はこれで最後だ。⋯⋯答えてくれ」

「追われておる。儂らは帝国領の関所を通れぬ。頼む。助けてほしい。この通りじゃ」


 シャツァルは頭を下げて頼み込んだ。やや遅れて娘のほうも頭を垂れた。関所を通れない事情がある。たった一言だけの説明には重みがあった。シャツァルの誠意を受け取ったカインバルトは、諦めの境地で左目を押さえる。断れば見捨てることになる。もはや依頼を受けるほかなかった。


「分かった⋯⋯。つまりは亡命だな。アンタ達は帝国の生まれだろ。祖国を捨てるのは、生半可な覚悟じゃできない決断だ。分かったよ。俺も全力を尽くそう」


 そして、重たい溜息混じりに返答した。


「依頼は受ける。だが、安全は保障できない。明日の早朝、街を出る。食料品や装備は俺のほうで用意しておく。支度金として帝国銀貨五枚をもらうぞ」

「ありがとう。頼りにしておるぞ。用心棒。成功報酬は後払いでよいな?」

「成功報酬は⋯⋯。全員が無事に生き延びたらもらう」

「うむ。東方街道の十字路に到着したら成功報酬を払おう。約束通り、帝国金貨三十枚じゃ」

「異存はない。契約成立だ。支度金をこちらに」


 シャツァルはテーブルに帝国銀貨五枚を置いた。娘のほうは目付きが厳しい。カインバルトが持ち逃げするのではないかと疑っているようだ。


「そんな顔をするなよ。請け負った仕事はやりきるさ。前金を持ち逃げすると思ってるだろ。銀貨五枚程度で信用を投げ捨てる阿呆はいない。依頼をまっとうできるように、俺も全身全霊を尽くすと誓った」

「⋯⋯⋯⋯」

「くっくくく。信じられないか? 疑り深い性格だな。だが、世間知らずが露呈するから、あからさまないぶかしみはやめておけ。身元が割れると不味いんだろ? 愛想は振りまいておけ」


 どこからどう見ても少女は振る舞いがお嬢様だ。都落ちした大貴族といったところだろうか。

 親が大それたことをして、連座の処罰を免れるため、国外に逃げる最中。そんな物語をカインバルトは妄想する。


(何をやらかしたのやら⋯⋯)


 シャツァルが帝国貴族お抱えの魔法使いだとすれば、老齢の身でとんでもない厄介事を押し付けられたものだ。


「嬢ちゃんの名前は?」

「シグフリアです。短い間ではありますが、よろしくお願いします」


 シグフリアと名乗った少女は頭を下げる。金色の前髪で隠れた碧眼は、不信感たっぷりの目付き。だが、不快な気持ちにはならなかった。


「案外、長くなるかもしれないぞ。道のりは果てしなく長い」


 垣間見える本心は不安と焦燥。特権階級にありがちな、嘲りや蔑みの感情は込められていない。

 フードで容姿を隠しているが、垣間見えた輪郭だけでも容姿端麗な外見だと分かる。だが、見てくれだけでなく、おそらく内面も美しいに違いない。支配者然とした優美な雰囲気。こんな麗人が場末の酒場にいるのは不釣り合いだ。




 ◆ ◆ ◆




 バイシュビッシュ渓谷にはさまざまな危険が潜んでいる。魔物の湧く危険地帯であり、未開の秘境でもある。

 カインバルトに先導されて、道なき道を進み始めたシャツァルとシグフリア。手荷物は最小限で、ほとんどの荷物は大柄なカインバルトが運んでいる。

 出発時、魔法の使用は必要なときだけに限ると取り決めた。魔法を使えば旅路は楽になる。だが、必要なときに魔力切れとなるような事態は避けたい。

 最初の野営地は、バウシュビッシュ渓谷に入ってから半日ほど進んだところに設置した。シグフリアは「体力に余裕があるので、まだ進めます」と言ってきた。だが、カインバルトは少女の体調に配慮して、野営地を決めたわけではなかった。


「危険は二つに分類できる。一つは人間の力で対応できるもの。もう一つは対処が不可能なものだ」


 用心棒をするうえで、依頼人に説明すべきは危険への対処法。


「魔物や盗賊は対応できる。こちらの戦力にもよるが撃退や回避、相手が人間なら金品を渡して見逃してもらう。必要なのは警戒だ。よって、これからは俺とシャツァルさんで不寝番を立てる。寝込みが一番襲われやすい」

「不寝番であれば私も⋯⋯。少しなら攻撃魔法が扱えます」

「申し出はありがたいが、人間を殺せる奴にしか任せられない。魔法の心得があるのなら、他のところで役立ってくれればいい。切札は温存すべきだ。それとも人殺しに飢えているのか? そういう趣味があるなら任せてもいい」

「私はそういうのは⋯⋯。あの⋯⋯人を⋯⋯殺さねばならないのですか?」

「バウシュビッシュ渓谷は帝国の領土だが、律法の支配領域ではないぞ。街道の警備兵、あるいは街の警吏が巡回してくれると思うか? そんなわけはない。法の目が行き届かなければ、規律は失われ、無法者がのさばる。だが、安心しろ。基本的に汚れ仕事は俺がやる」

「⋯⋯⋯⋯」

「一つだけ良いこともあるぞ。バウシュビッシュ渓谷を根城にしている盗賊団はいない。人間が拠点を築ける安全地帯じゃないからだ。魔物が跋扈する土地の数少ない利点さ。魔物は善人だろうが悪人だろうが、平等に襲ってくれる」

「そうだとしても人死には忌むべきです。気分は良くなる話ではありませんね」

「ともかく、色々と御託を並べたが、前もって目を付けられてなければ、盗賊関係は大丈夫だ」


 シグフリアの年齢は聞いていないが、大人びた印象と違って幼いのかもしれない。街を出発して半日足らずだが、カインバルトはそう思い始めた。

 若い娘は子供扱いされるのを嫌う。逆に成長した女性は子供扱いされて喜ぶこともある。不思議な習性だとカインバルトはいつも首を傾げる。


「ふむ。そうなると、対処不可能な危険は何なのかのう?」

「まっさきに挙げられるのが悪天候だな。こればかりはどうにもならない。ここに野営地を築いたのは、バウシュビッシュ渓谷の天気を観察するためだ。荒れているようなら何日か停滞する。急いでいるだろうが、我慢してくれ」

「自然の猛威は恐ろしいからのう」

「ところで、シャツァルさんは天候を操れるほどの魔法使いか?」

「買いかぶりじゃよ。儂はちと長生きしただけの老人。大それた力は持っておらん」


 はたしてどうなのだろうか。カインバルトは神妙な面持ちで思案する。天候を操るには莫大な魔力が必要だ。魔法の技量も求められる。だが、シャツァルであればできるような気がした。


(どこまで頼りにするべきか⋯⋯。向こうも完全に俺を信頼しているわけじゃない)


 カインバルトは老魔法使いの実力を把握しきれていない。


「バウシュビッシュ渓谷は快晴のようだ。予定通り、明朝に出発できるだろうさ。珍しく運に恵まれている」


 誰だって厄介事に巻き込まれるのは御免こうむる。カインバルトも老魔法使いと少女の事情に深入りはしないつもりだった。だが、見捨てる気になれなかった。そのせいで依頼を引き受けてしまった。


(会って一日やそこからの用心棒に心を開いてくれるはずもない⋯⋯。そりゃ、そうだ⋯⋯)


 焚火たきびの近くにカインバルトは腰を下ろす。シャツァルが施した無煙魔法のおかげで、煙が登っていない。匂いもしないので不可思議な気分になる。


「お前さんの腰に下げているその長剣。クライド王国のものじゃな?」


 シャツァルはカインバルトが使っている長剣を指差した。柄に黒い牛皮が巻かれた年季のはいった骨董品だ。目立つ装飾は施されていなかったが、博学な老魔法使いは何かに気付いたらしい。


「へえ。東部戦線で拾ったんだ。だが、クライド王国なのか? 徽章きしょうがないから、てっきり俺は帝国産だと思ってたよ。見分けるコツでもあるのか?」

「柄の形状じゃな。帝国で造られたものではないのう」

「ほう⋯⋯。そうなのか」


 カインバルトは剣の柄に施された特徴的な紋様を指先でなぞる。


「ふむふむ。薄れているものの、魔力痕が感じられる」

「元々の持ち主は魔法使いじゃなかったぞ」

「剣に魔法的な性質を帯びさせていたのじゃろう。しかし、消えかけておる。魔法使いの目でなければ、この小さな魔法の残滓は分からんだろう。やはり術式構造が帝国と異なっておるな」

「言っておくが売る気はないぞ。大切な商売道具だ」

「いや、そうではない。お前さんにクライド王国の知見があるのなら、聞いておこうと思ってのう。儂らはあまり異国に行った経験がないのじゃ」

「そういうのは商人に聞いてくれ。俺だって詳しいわけじゃない。人並み程度のことしか話せないぞ」

「構わんよ。国外の情勢を少しでも知っておきたいだけじゃ。もはや帝国には戻れぬからのう」


 本来であれば街の交易商などから情報を仕入れるべきだ。シャツァルがわざわざカインバルトに情報を求めたのは、街で情報収集ができていなかったせいだった。商人は情報を渡してくれるが、別の誰かに売り渡しもする。お尋ね者の身分であれば、商人との談笑を避けるはずだ。


「何が知りたい?」

「クライド王国の国民感情を知りたいのじゃ。レヴァンティール帝国の人間をどう思っておる?」

「商人は割り切ってるが、未だに帝国を憎んでる奴はいるぞ。どっちが勝ったのだと酒場で言い争う連中も多い。その辺は帝国側と同じさ」

「二年前の戦争に、お前さんも出征したようじゃのう。東部戦線は激戦地だったと聞いておるぞ」

「まあな⋯⋯。何だ。その疑うような目は? 安心してくれ。俺は単なる使い捨て雑兵だった。良い思い出がない。最悪の過去だ。国家への忠誠だの⋯⋯愛国心だの⋯⋯。なんで必死に戦っていたのやらだ。恥ずかしくなってくるよ」


 カインバルトの自虐的な語りを聞いて、シャツァルは申し訳なさそうな顔を浮かべていた。それと対照的にシグフリアは不満げな顔を顔付きだった。


「クライド王国が帝国の魔石鉱床を簒奪しようと仕掛けてきた侵略戦争です。我が国の安寧を守るため、多くの人々が血を流した。貴方は命懸けで戦われたのですから、恥じ入る必要はありません。立派な帝国の兵士です」

「ありがたいね。だが、王国側も同じような思いを抱いているぞ。まあ、今となっては⋯⋯どうでもいい話だ⋯⋯。争いの種になっていた魔石鉱床は吹き飛んで消えた。笑っちまうよ」


 レヴァンティール帝国とクライド王国の戦争は、発見された魔石鉱床を巡っての争いだった。発端となった大鉱床は失われている。山脈の一角を吹き飛ばす大爆発が起きて、何もかも吹き飛ばしてしまったのだ。

 勝っても何も得られない。そうなった瞬間、両大国はあっさりと和睦した。お互いに損害賠償を求めぬ紳士的な講和条約。しかし、勝敗を曖昧とした内容であったため、どちらが勝ったかは未だに論争が続いている。


(何のために、あれほどの人間を殺したのだろうか⋯⋯)


 戦場で人間を殺し尽くしたカインバルトは断言できた。

 あの戦争に勝者はいない。レヴァンティール帝国とクライド王国、双方が惨めに負けたのだ。

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