弐ノ伍 まだまだ探す気ですか

 怪魔を無事にやっつけた一行。


「メッ! メェッ!!」


 目障りな大トカゲの死体を、ヤギが憎たらしそうに鳴きながら押して、崖の下、川の中に落とした。

 ドボンと川の水に飲みこまれた遺骸は、浮かぶこともなく渦を巻いた濁流の底へと静かに沈んで行った。


「こりゃあ、落ちたら泳いでも助からないな」

「泳ぎに自信はありますが、僕も無理だと思います……」


 椿珠(ちんじゅ)の懸念に想雲(そううん)も同意した。

 角州(かくしゅう)の港育ち、斜羅(しゃら)っ子である想雲にとっても、水量が多すぎてあちこち渦を巻いている急流など、完全にお手上げである。

 大前提として、川の水は真水だから海水よりも浮かびにくいのだ。


「落ちなきゃいいんだよ、落ちなきゃ。さっさと行こうぜ」


 変にリーダーシップを発揮して、軽螢(けいけい)が先を行く。

 滅多に使うことのない古びた青銅剣を振り回し、地面の石を弾いたり、崖の法面から跳び出している植物の蔓や枝を打ち払う。

 どうして人は、山歩きをしているとナガモノを振り回したくなるのか。

 椿珠も道に転がっていた「良い感じの棒」を拾い、杖代わりにしてゆるい斜面を歩いて行った。

 ずんずんと人気のない山肌を歩き続け、正午も近いと言った頃合い。


「あれか……」


 馬車くらいは楽に通れそうな、巨大な横穴、洞窟を三人は発見した。

 視線の先は真っ暗であり、奥がどれだけ深く続いているのか、外からはわからない。

 まずは入口周りを調べるために、軽螢が水晶片手に近付く。


「二人に良い報せと悪い報せがあるけど、どっちから聞きたい?」


 なにか気付いたことがあるのか、そう他の面子に訊いた。


「悪い方からだな」


 椿珠が即答した。

 メンタルを良い方向に保つためのメソッドであり、特にそれ以上の深い意味はない。

 

「普通の怪魔とは違う、得体の知れねえやつが奥にいるっぽい」

「ぽいってなんだよ、ぽいって」


 軽螢の説明に、げんなりと椿珠が返す。

 なにかしら怪しいものはいるだろうと、すでに腹をくくり終えている想雲が続きを聞いた。


「では良い報せというのは、なんでしょう?」

「あなぐらの奥に、なんかすげえお宝がある、気がする……」


 どちらの情報も、実に曖昧な話であった。

 水晶は、禍福どちらもあることを暗示しているのだ。


「そのつもりで来ているのですし、なければそもそも来ないでしょう」


 情報量の少なさに呆れた想雲は、実も蓋もないことを言ってしまった。 

 案外と空気が読めない少年なのかもしれない。

 父の玄霧(げんむ)も若干と天然で不器用な面があるので、成長した想雲はきっと父に似るだろうと椿珠は思った。


「悪い予感の方をもう少し詰めるか。細かいことはわからないのか?」


 事態を少しでも前進させるために、椿珠が若者たちをさりげなく導く。

 なにがどう良くないのか、その情報の解像度が少しでも上がれば、対処方法も見つかるかもしれないからだ。

 うーんと洞穴の入り口を慎重に睨んだ軽螢は、あっと思いついたように言った。


「墓とか、墓地にさ、夜中に行ったときみたいな、不気味な怖さを感じるよ」

「墓地……死霊とか、人怪(じんかい)とかだろうかな」


 フムと椿珠は顎に指を添えて考えた。

 怪魔がどのように発生するのかのメカニズムは、今のところ不明である。

 しかし無惨に死んでしまった人の魂は、丁重に弔わないと「悪鬼悪霊」の類へと変化し、人や世の中に害を為す。

 ――と、あくまで昂国(こうこく)では、一般に信じられている。

 実体を持たないものは死霊と呼ばれ、実体を持つ人型ゾンビの怪魔は人怪と呼ばれるのだ。

 葬儀や埋葬が正しく行われた後の霊廟や陵墓でも、不気味さを感じるものは多い。

 その理由は、一歩間違えば、礼に則った弔いができていなければ、死者の魂や遺骸が一気に死霊人怪へと変じてしまうという恐れが、人々の中に強く存在するからである。

 事実がどうであるかという話ではなく、人々はそう信じているということだ。


「お守り、護符をもう少し重ねましょうか?」


 想雲が提案したが、椿珠は首を振る。


「枚数が多ければいいってもんじゃないからな。それよりは怪魔が嫌がる草でも服に仕込んだ方が効果があるだろ」


 椿珠は荷物袋からヨモギと麻の若葉を取り出し、軽螢、想雲、そしてヤギに身に着けさせた。

 これらの植物は魔を除ける効果があるとされ、貴人たちは頻繁に燃やしてその煙を浴びたりもする。

 護符が霊的防御であるとすれば、これらは物理的防御装置である。

 もっとも、実体のない死霊と戦った経験が椿珠にはないので、念のための気休めには違いがなかった。


「よっし、これだけお膳立てしてりゃあなにも怖くねえな」

「メエッ!」


 勇ましいことを言って、軽螢とヤギが先導し、壙(あな)の中へと入って行く。


「ギャーーーーーーッ!! 出た~~~~~~~~~ッ!!」

「メエエエエエエエン!!」


 わずかに進んだだけで、散乱していた骸骨に怯え、軽螢とヤギは一目散に入口まで戻って来た。

 その辺のサルの骨を、人骨のしゃれこうべだと錯覚したようだ。

 やれやれと首を振って、椿珠は全員の分の松明(たいまつ)を用意する。

 十分に光源のある状態で、本格的な探索を再開するのだった。


「なんか悪い霊はいるみたいだけど、壁際で大人しくしてくれてるな」

「火の光や護符が、怖いのでしょうか」


 穴の奥へ奥へと進む、三人と一匹。

 不気味な気配に包まれていることを軽螢は認めながらも、想雲が言うように、なぜかこちらに悪さを仕掛けて来ない。

 このまま行けるところまで行くしかないと思い、椿珠は入念に周囲を窺いながら歩き続けた。

 しかし、一行の歩みの前に立ちふさがったのは。


「行き止まりか……」


 奥室と呼んでいいくらいの空間があるだけで、来た道以外は硬く冷たい岩に塞がれていた。

 何度確認しても、途中に横道のようなものはない。

 スンスンとヤギが細かく周辺の匂いを嗅いで、異変のあるなしを探ってくれる。


「土……いや、灰でしょうか。なにかを燃やした残滓があります」


 石室の片隅にこんもりと積まれた小山を発見し、想雲が報告した。

 風化が進んでいるものの、木かなにかを燃やしたゴミらしいと椿珠は判断する。


「あたりに漂ってる死霊の、本当の身体かもな」

「お墓か共同墓地である可能性もあるという話でしたね。なら最低限の鎮魂、葬礼が必要でしょうか……」


 お化けはあまり怖くないのか、慣れて感覚がマヒしたのか。

 想雲は洞穴に入る前よりむしろ冷静になってそう言った。

 なにものが眠っているのかはわからなくとも、最低限の礼を以て一同は弔いのために跪いた。

 

「……せめて天上の楽土では、震えずにお過ごしくださいますよう」


 少々の食べものと魂鎮めの言葉を燃えカスの山に捧げて、想雲が死者の霊魂を安んじた。

 そのとき、軽螢の手にある水晶玉が、柔らかい光を大きく強く放った。

 周囲を充満していた不穏な冷気が、急激に収まって行くのを全員が感じた。


「寂しかったんかな、こんな暗い穴の中で」


 誰も、好き好んで、なりたくて死霊悪霊になるわけはない。

 邑に帰ったらこまめに墓の手入れをし、日々起きたことを霊前に報告しようと心に誓う軽螢であった。


「ところで、これ以上調べてもなにもなさそうだが、どうする?」


 気落ちしている感情を隠し、椿珠は努めて明るい声で言った。

 ここで自分がブーを垂れてしまっては、残る二人のメンタルにも良くない。

 奇書を探す候補地は他にもいくつかある。

 今回が外れだったとしても、他の二人にやる気があるなら、また次を探そうと思った。

 この場での水晶の導きは、洞窟の中になにかの理由があって哀れに捨てられた死者たちの灰を、自分たちが癒すためのものだったのか。

 最低限、そう思えば自分たちは役割を果たしたと言えるだろう。


「……メェ?」


 そのとき、石壁に鼻を寄せていたヤギが、またなにかを用心するような声を漏らした。

 落石が起こるような地形ではないが、なにせ石山の内部である。

 三人の間に緊張が走り。


「じ、地鳴りだ!」


 叫んだ軽螢が、ヤギの腹の下に潜り込んだ。

 わずかにゴゴゴと地中が軋み、揺れる音が響く。


「伏せろ!」

「あうっ」


 椿珠は想雲の体を引きずり倒すように地面に寝かせ、自分の体を覆い被せた。

 強い地震が来て、洞穴の中が崩落でもしたのなら、全員ここでおしまいである。

 しかし少しでも生き残る人間を出すために、椿珠はノータイムで自分を犠牲にし、想雲を庇ったのだ。

 ググググ、ミシミシと無機物がこすれる嫌な音が鳴り。

 全員が息を殺している間に、振動は止んだ。


「もう大丈夫、か?」


 どうやらここで死ぬ役回りではなかったらしい。

 冷や汗べっしょりの複雑な気分で、椿珠は仲間たちに目を配る。


「は、早く帰ろうぜ、椿珠兄ちゃん」


 ヤギの身体を防空頭巾のようにしっかりと被ってうずくまったまま、軽螢が泣きそうな声で言った。

 天災にはどう頑張っても敵いっこないのだと骨身に沁みている軽螢は、この手のトラブルに滅法弱い。


「メゥッ、モゥッ」


 軽螢にしがみつかれたままのヤギが、唇をなにやらモゴモゴさせていた。

 立ち直った椿珠は軽螢の手を引いて起こしてやるため、近寄って確認すると。


「なに食ってるんだコイツ。こんな岩穴の中に草なんか……」


 モゴモゴと前歯のないその口で、ヤギが食べているものを松明の灯りで照らした。

 ヤギは、岩の隙間からのぞく、草ではないなにかを一生懸命に咀嚼しており。


「それ、古文書ーーーーーーーーっ!!」

「ブメッ!?」


 想雲がヤギにタックルして、岩壁の脇から引き離した。

 かなり慎重に観察しなければわからなかった。

 岩の中にさらに小さな穴が隠されており、その入り口が石版で蓋をされていたのだ。

 地震でその一部が崩れて外れ、中から漏れて顔を覗かせた文書、紙の束が。


「うわあ、何枚か、食われちまったな……」

「メ、メエ……ゲプッ」


 こうして、石室の中で厳重に保管され、風化浸食を免れた謎の奇書が、椿珠たちの前にやっと姿を現したのだった。

 内容の一部はヤギの四つある胃の中に収まってしまい、反芻を繰り返している。

 そこになにが書かれていたのかは、誰も知らない。

 永遠に、知るすべは失われたのだった。

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