乙の巻 失われた奇書を求めて

弐ノ壱 探し物はなんですか

 環(かん)椿珠(ちんじゅ)。

 当年とって、二十二歳。

 金と色気は十分に持っている彼が、イマイチ上手くこなせないことがある。


「さて、あいつに土産でも買うとして、なにが良いかねえ」


 皇帝のいます河旭(かきょく)の城都、その市場で椿珠は迷っていた。

 この街で自分がすべきことは終わったので、ひとまず角州(かくしゅう)の司午屋敷に向かうことになるのだが。


「べっぴんの妹さんに買って行くんかい」


 右隣を歩くまだ十代の少年、軽螢(けいけい)が聞いた。


「あいつに買うものは決まってる。刺繍の入った絹織物だ」


 椿珠の異母妹である玉楊(ぎょくよう)は、視力に障害を持っている。

 しかし刺繍の凹凸がある繊維織物ならその趣も分かり楽しめるので、都で流行りの品物を買って行こうと以前から決めていた。

 加えて、点火すると芳香が漂う蝋燭や、ぜんまいを回すと音楽の鳴る仕掛け玩具なども良いだろう。

 新しいものやお洒落なものに敏感な妹への土産は、たくさん思いつくので困ることはない。


「ああ、央那(おうな)さんに買う品ですか」


 左隣を歩く、さらに若い想雲(そううん)という少年が、他意もなく指摘した。

 特に隠しているわけでもないが、面と向かって子どもに言われると、複雑な椿珠である。

 彼らの共通の知人にして仲間の一人である、麗央那(れおな)という女の子に、改めてなにか、贈り物を用意するとなると。


「なにがいいかねえ……」


 他の女が相手なら、簡単に決められることのはずなのに。

 椿珠は、失敗したくない、少しでも喜ばれるものをと考え、思考の堂々巡りに陥ってしまうのだった。

 要するに椿珠は。

 自分が麗央那を、喜ばせて楽しませる自信が、ないのである。

 なにせ、出会いがしらに毒の針まで突きつけられて、振られた相手であるのだ。


「メメェ」


 当てもなくぶらぶらと市場を歩き、漫然とウィンドウショッピングにふける男、三人。

 その後ろから、縄もないのに勝手について来る大きな体のヤギが、あるところで立ち止まって鳴いた。


「デカい本屋だな。新しくできたのか?」


 巨ヤギは彼らの同行者であるが、特に束縛はせずに自由に行動させている。

 放っておいても勝手に戻って来るから、いてもいなくてもだれも心配しないのだ。

 椿珠はヤギが興味を持って立ち止まった書店を、店の外から観察した。

 前にこの街に来たときはなかったので、新しく開店したのだろう。


「麗央那は本が好きだからなあ。珍しいモン買って行けば喜ぶかもな」

「少し見て行きましょうか」


 軽螢と想雲は、実に気楽な感じで店内に入る。

 

「あいつら、金なんて持ってるのか……?」


 嘆息しながら椿珠も後に続いた。

 きちんと製本して売られているものは、どうしたって値が張るのだ。

 しかも麗央那は複雑難解な専門書や、高等な文芸書、事典が好きな女の子であり、そんなものは子どもの小遣いで買える範囲を軽く超えるのである。

 昂国(こうこく)の知性において、第一等の空間である中書堂(ちゅうしょどう)に入り浸っていた麗央那。

 彼女を満足させる書籍など、軽螢や想雲の予算で入手できるとは思えない。


「げえっ、本ってこんなに高いのかよ」

「さすがにこれは、父に相談しないと……」


 案の定、店に入った二人の若者は、その法外な価格に目を回していた。

 軽螢は普段、本など自分で買わないであろうし、想雲は軍幹部である父が買い与える本を読んでいただけだろう。

 物の価値と金銭的な対比、都市部における文化的な経済感覚というものが、身に付いていないのだ。

 商人の息子として生まれ育った椿珠と、彼らの間に隔たる大きな違いである。


「買って買えないことはないんだがな……」


 正直、金持ちの椿珠であるならば、多少くらい値の張る本でも一冊や二冊、麗央那に買い与えることは難しくない。

 一番の問題は、金に任せて適当に買った本を、麗央那が喜ぶかどうか、夢中になって読んでくれるかどうかにある。

 費用対効果、いわゆるコスパを考えてしまうあたり、どうしたって椿珠は商人気質が染み付いており、自分の世界観から抜け出せないのであった。


「メエ、メエ」


 店の本を食べてしまっては適わないので、このときばかりはヤギを外に縛って待機させている。

 そのヤギが、なにかを気にするように、しきりに椿珠たちに向けて鳴き続ける。


「なんだ、腹でも減ったのか」


 書棚と睨めっこして唸っている若者二人を置いて、椿珠はヤギの様子を見るために表に出た。

 ヤギの隣、店の軒先に年老いた男性が座り込んでいる。


「爺さん、どうしたんだい。腹か腰でも痛いのか」


 椿珠が声をかけると、老人は特に体調不良を見せるでもなく、やれやれと言った口調で説明した。


「いやあのう、散歩でちょっくら歩いておったら、沓(くつ)の底が破れてしもうたんじゃわい。中に布でも挟んで間に合わせようと思ったんじゃが、上手いこといかんくてな」


 言われて椿珠が様子を確かめると、なるほど老爺の靴底がぱっかりと裂けている。

 穴が大きいので詰め物をしても飛び出してしまうだろう。

 修理するか、買い替えた方が早いと思われた。


「わかったよ。ちょっくら沓屋まで行って来てやる。まだ開いてるといいが」

「そうは言うても、ワシは持ち合わせがないからのう」

「いいよ別に、そんなのは。ここで大人しく待ってな」

「お、おい、なにをするんじゃ」


 沓を奪って店に行こうとする椿珠だったが、老人が抵抗して沓を渡そうとしない。

 壊れた現物がなければ、店に行っても買い替えるサイズが分からない。

 椿珠と老人が押し問答していると、店の中から軽螢が顔を出し、状況を見て理解し、言った。


「直せるよ、それくらい。ヤギの持ってる袋に裁縫道具あるし」

「バアァ~」


 言葉の通り、軽螢は太めの糸と針をヤギの首に提げている道具袋から取り出し、ぎゅっぎゅっと適当な厚布をあてがって、沓の破損を閉じて埋めた。


「おお、さすが軽螢さんです」

「へへっ、どんなもんだい」


 大したことでもないのだが、想雲に感心されてご満悦の軽螢であった。

 椿珠は複雑な気分であったが、とりあえず目の前の問題が片付いたのでヨシとした。

 沓が快適に修繕されて、老人は気を良くしたのか。


「いやあ、今どき見上げた若もんたちじゃ。世間の人情はまだ捨てたもんではないのう」


 そう言って、彼らの善行の意識を讃えた。


「爺ちゃんも、長生きしろよ」

「別に今いまどうなるほど、調子悪くもないわい」


 にこやかに世間話をする軽螢と老人を脇に、椿珠は想雲に尋ねた。


「で、なんか目ぼしい本はあったのか」

「え、ええと、素乾氏(そかんし)お抱えの学者が編纂を進めている大百科があったのですが」


 素乾氏は昂国八州の中にあって、皇族に準ずる名家である。

 文武の両方面に多彩な人材を輩出しており、学の高い知識人も数多く抱えていた。

 彼らが森羅万象、あらゆるものに関して叡智の粋を結集し、編集作業を進めているその大百科を、椿珠も知っている。


「素乾(そかん)通鑑(つがん)か。実家(いえ)に何冊かだけあったな。今は何巻まで出てるんだ?」

「神帝(じんてい)の巻が終わり、古王(こおう)の三巻めが新しく店に並んでいるようです。あとは角州(かくしゅう)方面の地理別書が」


 全体の巻数を思い浮かべ、椿珠は頭痛を覚えた。

 運ぶのにも一苦労であり、気ままな帰り道のお土産にできるような物量ではない。


「集めてられないぞ、そんなもん。第一どこに置くんだ」

「ですよね」


 諦めて消沈の息を吐いた椿珠と想雲。

 その話を横耳で聞いていたのか、老人が口を挟んできた。


「おぬしら、その若いのに天地四海の学問にも意を向けおるか。まこと、後生(こうせい)侮るべからずとはよく言うたものよ」


 向学心が強いのは自分たちではなく麗央那なのだが、三人は曖昧に笑って特に否定もしなかった。

 その様子に感じ入るところがあったのか、老人は改めて、奇妙なことを言い出した。


「明日の朝、市場の北入り口にある池に来い。おぬしらの求めるものを授けよう」


 脈絡のない話に、椿珠は眉をひそめて聞き返す。


「朝? 求めるもの?」

「そうじゃ。古きを学び、新しきを想う、そのために必要な、秘伝の書じゃ。くっふっふ……」


 思わせぶりな言葉だけ残し、老人は去って行った。

 よく分からないまま、書店の前に取り残された三人。


「無視してもいいんじゃね、なんか怪しいし」

「メエ」


 軽螢とヤギはそう言うが、想雲は違った。


「店に並んでないような珍しい本が手に入るのであれば、きっと央那さんは喜んでくれると思います。悪意のある方にも見えませんでした」

「ふーむ……」


 椿珠もわずかにそう思う点がある。

 どちらにしても、麗央那は河旭(かきょく)を出発して別の仕事を終えてから角州の司午屋敷に戻る手はずである。

 椿珠たちにも急ぐほどの事情はなく、老人の口車に乗ってみるのも一興だ。


「俺は、ひとまず爺さんの言う通りにしてみようと思う。お前らは好きにしていいぞ」


 椿珠は軽螢と想雲にそう言った。


「じゃあ俺も行くよ。椿珠兄ちゃんがいないと小遣いも足りんし」


 道草の路銀まですっかり椿珠にたかるのが習慣になっている軽螢と。


「僕も秘伝の書というのに興味があります」


 あまり深く考えてなさそうな、純粋な想雲。


「メェァ~~~~」


 なにを考えているのかまったく分からない、白い大ヤギ。

 三人と一頭は翌朝、市場が開いてから老人の指定した、北の池に赴いたのだが。


「遅い! こんな爺をどれだけ待たせれば気が済むんじゃ! また明日に出直して来んか!!」


 太陽が出て間もないという肌寒い中、そんなダメ出しを叫び、老人はぷりぷり怒って帰って行った。


「なんだこりゃ」


 意味不明な展開に呆れる、軽螢。


「お年寄りの朝は早いと言います。寒い中待たせてしまって、機嫌を損ねられたのでしょうか」

「そうかもしれないが、そうじゃねえだろ」


 どこかとぼけた想雲のコメントに、ついつい椿珠は突っ込んだ。

 そして、遠く離れて小さく見える老人の背中に目を向けて、軽螢と想雲に言った。


「追うぞ。あのジジイの家を突き止めてやる」


 毛州(もうしゅう)の豪商、環家の妾腹(めかけばら)三男坊、椿珠。

 決して、気のいいお兄さんではないのだった。

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