壱ノ漆 大小の男、食い込む

 得(とく)さんは杖を突きながらも、力強く、迷いのない足取りで巌力(がんりき)を目的地まで導いた。

 正面から乗り込んだとして、果たして話が通じる相手であろうかと巌力は心配したが。


「ここが司祝門(ししゅくもん)の親玉の公邸だ。確か西の塀に使ってねえ通用口があるはずだったな」


 得さんには中に入るための、別の策があるらしい。

 どれだけこの街の細部にまで詳しいのか。

 巌力は舌を巻く思いで、先を行く得さんに付き従う。

 2メートル半ほどの高さがある石塀、西の一辺。

 確かに長らく使われていないような、土埃をかぶった小さな通用口があった。

 巌力が通るならば、かなり身を小さく縮こまらせる必要がありそうだ。


「拙者が塀を乗り越えて、向こうから開けまするか」


 巌力はそう提案したが、さすがに動きが大きすぎて怪しまれるので、良い手ではない。

 にやりと笑った得さんは、巌力にこう注文した。


「俺を塀の向こうに投げてくんな」


 確かに巌力の腕力をもってすれば、小柄な中年男性一人を塀の向こう側に放り投げることなど容易い。

 しかし、と目を剥いて巌力は案ずる。


「危のうござる。得どのはその、脚が」

「心配すんねい、萎えてんのは片足だけよ。跳んで転がるのはガキの時分から得意だ」


 否定しても聞かないので、諦めて巌力は得さんの腰帯に手を掛けた。

 そのとき、ふと一瞬。

 小さな体にありったけの命を懸けて、内と外を隔てる塀を登り、叫ぶに叫んで暴れるに暴れた少女のことを、巌力は思い出す。

 あの秋の朱蜂宮(しゅほうきゅう)、凶暴な戌族(じゅつぞく)との戦いの一日。

 貴妃に化けた少女の、最も近くにいたのは自分だった。

 必死で戦う小さきものの傍らに、自分が侍るのは天命なのだろうか。


「くれぐれも、お気を付け下され」

「おうよっ」


 あの日と同じ思いを抱き、少し泣きそうになりながら、巌力は得さんの体を宙に高く放り投げた。

 得さんは塀の上部に器用に手をついて衝撃を逃がし、巌力から見えない、塀で隔たれた向こう側にストンと軽い音を立てて着地したようだ。

 すぐさま通用口の閂(かんぬき)が外される音がする。

 扉が開き、得さんがドヤ顔で手招きした。


「どうだい、慣れたもんだろう。さ、早く入りな」

「いや、まこと感服いたした」


 大きな体で人目を盗み、巌力もそそくさと中へ入り進んだ。

 幸いに誰にも見られていなかったようで、二人は庭石や倉庫、離れの建物に身を隠しつつ、長官がいるであろう本宅へ忍び寄る。

 他の大都市と比較した傾向として、角州(かくしゅう)の都である斜羅(しゃら)の街は平和である。

 そおために金持ちの屋敷であっても、屈強なボディガードや番犬が四六時中、侵入者を警戒しているということがないのだ。

 もっともそれが原因で、巌力が滞在している司午(しご)屋敷も、少し前に間者の侵入を許したことがあったのだが。


「忍び入る手を使ったと言うことは、屋敷のものに知られぬように情報を探るということで、よろしいか」


 巌力は確認のために改めて尋ねる。


「おう、ひとまずはそれで行こうや。ばれちまったら仕方ねえ、そんときゃあ必死で逃げるしかねえわな」


 得さんの作戦は常に、ライブ感が満載のようである。

 楽しい舞台の裏方のような気持ちで、巌力も笑って返した。


「お任せあれ。得どの一人くらい、なんとしてでも拙者が逃がせましょうぞ」


 コソコソ話をしながら、二人は本宅、母屋の北の背にある植え込みに隠れ、張り付いた。

 北方向を奥、家屋の上座とする昂国(こうこく)の習慣から、家主である長官のプライベートルームがこの辺りに設計されている可能性が高いと踏んだのだ。

 都合の良いことに陽が傾いて周囲に影を作っており、よほど注意しなければ男二人が植え込みの背後に隠れているのを見破れないだろう。


「さて、これからどういたす」


 侵入作戦は万全に進んだが、さりとて重要な情報にリーチするのは難しい。

 巌力の問いに、得さんはぽりぽりと頭をかいて答えた。


「ちょうど都合よく、怪しいお仲間がここに来て、俺たちがして欲しい話をべらべらと喋ってくれりゃあ、言うことなしなんだがな」

「まずは様子を窺うしかなさそうですな……」


 勢いで突っ込んでみたものの、その後の上手い策はなかったらしい。

 巌力は今回の侵入が徒労に終わるとしても、引き続き長官の周辺を調べれば良いかと前向きな方針を立て、自分を励ました。

 声と気配を殺して、どれだけ待っただろうか。


「もう、蟲(むし)の飛ぶ季節でござるか」


 巌力がぺちりと自分の頬を叩き、蚊を潰した。

 破裂した蚊は巌力の顔に、赤い血の点を描いた。

 建物の中に灯りが点けられるほど周囲が暗くなった、その頃である。


「いやあ、首尾よく進んでなによりですわ。ほんまに、ご苦労をかけてえろうすんまへんな」


 長官の部屋に、西南部のきつい訛りがある男が入って話すのが、聞こえた。

 西側の方言、特徴的なアクセントのその言葉は。


「尾州(びしゅう)あたりのモンか……?」


 得さんの呟きに、巌力が小さく頷く。

 十年前に大規模な反乱を起こし、同郷出身の除葛(じょかつ)姜(きょう)軍師に凄惨に鎮圧された、その尾州である。

 後宮の中にも尾州出身者は多く、巌力も耳に馴染みのある言葉だった。

 尾州の男に続き、おそらくは司祝門の長官の声も聞こえた。


「いやいやこれしきのこと、こちらも西方の沸の門徒にはいたるところでご協力をいただいておりますからな。彼らとつながりの深い尾州の殿(との)さまの願いとあれば、聞かぬわけにもいきますまい」

「お互い、付き合いっちゅうもんは大事やな。こういうときに活きて来るもんや。うちの殿も喜んでくれとるわ」


 巌力は、眉間に深い皺を作った。

 尾州?

 その地の有力者が、消えたイカサマ術師や、司午家の令嬢貴妃、翠蝶(すいちょう)に、そして麗央那に関与している?

 いや、しかし、と混乱しながら頭を振り、考える。

 麗央那に後宮に行けと、そこで調べ物をして欲しいと言い出したのは、他でもない尾州の宰相、除葛姜なのだぞ、と。

 事態を上手く解釈しきれないのは、隣の得さんも同じだったようで。


「意味が分からねえ。なんだってこんな遠く角州のお転婆の話に、尾州のお偉方が絡んで来ンだあ」


 もちろんこの時点で二人は、翠蝶の出産が遅れれば遅れるだけ、除葛氏から輩出された漣(れん)美人が世継ぎを宿す確率が高くなると、姜が目論んでいることを知らない。

 しかしその不明の中でも、巌力は些細な違和感に気付いた。

 あれだけ一心同体だった麗央那と翠蝶を、言葉と文書だけで引き離しおおせたのは誰でもない、除葛姜なのだと。


「……得どの。無茶を申しても、よろしいか」

「なんだい、巌さん」


 絞るような重い声とともに、巌力は決意した。

 脳内で心配する玉楊(ぎょくよう)の声は無視した。

 自分の直感、思うところに従うべきは今なのだと、霊魂が囁く声を感じたのだ。


「部屋にいる尾州のものの身柄を、この場で何としてでも、押さえとうござる」


 力づくの話である、ということだ。

 ここであの男を逃がしてはいけないと、巌力は前後の事情をなりふり構わず、硬い気持ちで判断したのだ。

 一瞬だけ、得さんは考える顔を見せて。


「おう、やっちまいなあ」


 にかっと笑って、そう答えた。

 途端、巌力は植込みの中から身を跳び出させて。


「ぬりゃあっ」


 木の格子で固められ、簾(すだれ)のかかっていた大窓を、体当たりで物理的に、ブチ開けた。

 ごわっしゃあという形容しがたい音とともに、外の冷気と巨体の怪人が、部屋の中に同時に闖入した。


「は?」


 なにが起きたのかわからずに、長官は大口を開けた。

 対照的に、尾州に縁のある謎の男は巌力を見て一瞬でなにかを判断し。


「ちいっ、忍んどったんかいな!!」


 一目散に、その場を逃げ出そうとした。

 しかし、派手に動いた巌力を陽動として、部屋の中に別方向から入り込んだ得さんが尾州の男の前に立ちはだかる。


「悪ぃが、こっから先は行き止まりだ。西に帰る前に、話を聞かせて貰おうじゃあねえかい」


 杖を肩にトントンと当てて、涼しい顔で立つ得さん。

 片足に若干の不自由を抱えていることを尾州の男は瞬時に読み取り、大声を出す。


「曲者やで! みんなこっちに来たってえな!! 屋敷を荒らす匪賊(ひぞく)が出たんや!! であえ! であえーい!」


 それに呼応して、屋敷中に控えていた使用人たちがざわめき立つ。


「なにっ」

「まさかっ!」

「ご主人は無事かっ!?」


 どたどたどた、とけたたましい足音を板廊下に鳴らせて、男たちが集まり寄って来る。


「身の程知らずの狼藉もんを、ぎったんぎったんにしたってや!」


 長官が腰を抜かしているのを良いことに、尾州の男は自分が屋敷の主人であるかのように振る舞い、巌力と得さんを制圧にかかる。


「巌さんよ! こうなったらやるしかねえな!!」


 迫り来る男たちを前にして、杖を構えた得さんが叫ぶ。

 いや、その手に携えている長い棒は、厳密には杖ではなかった。

 ジャキンという音とともに杖の外側の木が放たれ、中から鈍色の刀身が顔を出す。


「まさか、仕込み杖でござったとは」


 巌力が面白そうに言った通り。

 杖と見せかけて得さんが持ち歩いていたのは、細身の刀だったのだ。


「安心しな、刃は引いてある。だが、当たると痛ぇことには変わりねえぞ!」


 得さんの声に反応するように、尾州の男も負けじと声を張る。


「かかれえ! やってもうたれや! 相手はたった二人、たかがでくの坊と、足萎えのおっさんや!!」

「おおおーうっ!!」


 太陽が丁度、その姿を隠した、この国では逢魔と呼ばれる時刻。

 果たして魔に逢うは巌力か、得さんか、それとも屋敷の男たちなのか。

 答えは、さほどのときを経ずともわかるであろう。

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