壱ノ肆 猛牛、謀る

 人のいる場所では話しにくいことなのか。

 得(とく)さんは巌力(がんりき)を連れて店を出て、小川の畔まで歩いた。

 快晴の夜空に浮かぶあの月を、椿珠(ちんじゅ)や麗央那も見ているだろうか。

 巌力は遠く離れた地で戦う仲間たちへの感傷を抱いた。


「身内ごとの恥を話すようで、耳汚し申し訳ねえ限りなんだが」


 話す内容に多少の照れや気まずさがあるのか。

 得さんは鼻頭を指でこすりながら苦笑して前置きした。


「気にせず言ってくだされ。どうせ拙者はこの街に来たばかりの流れものであれば、内緒の会話をしてもしがらみなどありませぬ」


 いつもと変わらぬこだわりのない様子で、巌力は話の続きを促した。


「あんがとよ。先ごろにうちの婆さんが、転んで腰を痛めちまってなあ。腫れがしばらく引かねえもんだから、骨にひびでも入ってるんじゃねえかと思うのよ」

「心配な話でございますな」


 誰だって骨折は大怪我であり、それが年寄りとなればなおさらである。


「おうよ、そう思った俺の兄嫁、義姉(ねえ)さんが、良く効くと噂の法師どもに快癒の祈祷をさせるため、けっこうなゼニを布施しちまってなあ」

「法師、でありますか」


 巌力の大きな体に立つ、見えないアンテナが反応した。

 自分が調べていることも、翠蝶(すいちょう)におかしな呪いをかけた術師、法師に関わることである。


「しかしだ。待てど暮らせど連中は婆さんの容態を見に来ることすらしやがらねえ。怪しいと思った俺は、そいつらの構えてるお堂に乗り込んで、いつになったら呪(まじな)いだか祈祷だかをしやがるんだと、問い詰めようと思ったのさ」


 巌力は話の先を読み、言った。


「されど、そのお堂はもぬけのカラで、法師どもはどこへなりと消え失せてしまったのではありますまいか」

「まさしくその通りってなもんよ! さすが巌さん、冴えてるねえ」


 パンと景気よく自分の太腿を掌で叩き、得さんは文字通り喝采した。

 フムと巌力は少しの間、黙考する。

 街で活動する術師集団が丸ごと姿を消したというのは、決して小さい事件ではない。

 よもやその連中が翠蝶に良くない呪術を施した犯人で、足がつかないように姿を消したのではあるまいか。

 しかし、同時に巌力は懸念したことを話す。


「足取りが掴めないというのであれば、半ばお手上げではありませぬか」

「俺も最初はそう思ったさ。しかしだ、お堂を構えて加持祈祷だ葬式だと日々のゼニをかき集めてた連中だ。街の中では顔が割れてるよな?」

「もっともでござる」

「俺ぁ方々をあたって、関係してるモンがどこかに隠れていやしねえか、今まで探し回ってたのよ」


 昨日、得さんが飲み屋に来たときに言っていたことを、巌力は思い出した。

 身内のゴタゴタで少し忙しかったから、飲みにくるヒマがなかったのだと。

 怪我をしたお婆さん、この場合はおそらく母親のことであろう。

 母の世話をしつつ、消えた法師たちの手掛かりを得るために、斜羅(しゃら)の街中を言葉通りに虱潰ししていたに違いない。


「なるほど。それで、成果はございましたか」

「ああ、やつらの中でも下っ端の見習い数人が、港の外れにある空き家に寝泊まりしてるらしいって話を、ダチから運良く聞けたのよ。ただなあ……」


 調査は進展している。

 しかし、得さんは苦虫を噛んだような顔で腕を組んだ。

 巌力はその懊悩を察し、こう言った。


「門前の小僧どもが相手では、ご家族がかすめ取られた金を回収することは難しいでしょうな。集団を仕切っている幹部のような人物に話が繋がらねば」


 宗教団体の末端の構成員が、大金を持っているわけはない。

 兄嫁が騙し取られた金を取り戻すためには、おそらくは金を持ち逃げしている上層部の誰かさんと、どうしても交渉しなければならないのだ。


「そうなのよ。せっかく連中のヤサを突き止めたはいいが、そこから先、どうしたらいいのかと考えあぐねちまってな」


 フム、と巌力は一考する。

 頭に思い浮かぶ手段がないわけではないが、それをやったとして結果、得られるものは未知数であった。

 なにも得られずに空振りという可能性は、大いにある。

 しかし、確かなことが一つ。

 行動しなければ、なにも得られないということだ。


「相分かり申した。少々の手荒をお許しいただけるなら、この巌、得どのに喜んで力を貸しましょうぞ」

「手荒ってな、いったいなにをするつもりだい」


 怪訝な顔を浮かべる得さんに、巌力は笑って答えた、


「ご安心めされよ。刃傷沙汰になるようなことはありませぬ」


 足に障害を抱えている得さんにできなくても、自分にできることはある。

 自分のできること、なすべきことをしようと、巌力は虚心で思う。


「ところで、その小屋とやらは木造でありますかな」


 巌力がそう訊いた意図を、得さんはわからないまま答える。


「そうだな、普通に木の家だぜ。土台回りは漆喰かなにかで固めていたようだが、なにせ古いぼろ屋だ。巌さんが押せば崩れるかもよ」


 あくまでも冗談で、得さんはそう言った。

 そう、冗談であったのだ。

 二人は行動の日時を約束し、別れて家に戻った。


「という事情にございますれば、今日は帰りが遅くなるやもしれませぬ」


 得さんと一緒に港の小屋を訪問する約束の当日。

 巌力は自分が近侍している環(かん)玉楊(ぎょくよう)に事の次第を説明した。

 上手く行けば翠蝶を貶めた勢力の手掛かりが得られるかもしれない。

 その容疑者に繋がるかもしれないものたちと、話し合い赴くのだと報告したのだが。


「それはいいのですけど……」


 心配そうに眉根をひそめて、玉楊は溜息を吐いた。


「どうかなされましたかな」

「バカなことをしないようにと、私、言いましたよね?」


 あえて隠して言わなかったことを、玉楊に見透かされている。

 巌力は目の前にいる盲目の主人の洞察力に、改めて舌を巻いた。

 玉楊は心の目でものを見る。

 だからこそ人の心の深い部分までをも視通すのだ。


「危険は……とりあえず、ないものと思われますれば、そのう」


 叱られた子どもが言い訳するような、力のない声で巌力は釈明した。

 その雰囲気を正確に読み取った玉楊は、やれやれといった顔で嘆ずる。


「椿珠がいないから、大丈夫だと思っていたのに」


 玉楊へ気苦労をかけてしまっていることに罪悪感を覚えながら、巌力は待ち合わせの場所へと逃げるように出発した。


「巌さんが一緒にいてくれれば、連中も怖気づいていろいろ喋ってくれるかもしれねえ。交渉ごとは俺に任せておくんな」

「そうであれば良いですな」


 道中、作戦を打ち合わせながら得さんと巌力は歩く。

 得さんの引きずる歩幅に合わせてゆっくりと進みながら、巌力は港の景色を観察する。

 巌力が生まれ育ち青春時代を過ごした、岩山と黄土ばかりの毛州(もうしゅう)の北部。

 そことは全く異なる、色彩も地形も激しく変化する風土と街並みを、ここ角州(かくしゅう)斜羅の街は持っている。

 青空を埋める真っ白な海鳥の群れ。

 天候、季節によって面持ちを全く変えてしまう海。

 波に削られ浸食される崖の肌、そこから覗く赤かったり黒かったりする土の層。

 台地をびっしり覆うヨモギの原、ちりばめられたように咲くカタクリの花。

 そんな環境で、日雇い労働者から貴族まで、さまざまな階層の人々が、同じ都城の中で、実に近い距離で暮らしを接しているのだ。


「これだけ賑やかな街であるから、司午の貴妃はあれだけ溌剌なお人に育ったのでありましょうかな」


 ついうっかり。

 まったく無意識に、巌力は口に出してしまった。

 それだけ斜羅という街と司午(しご)翠蝶(すいちょう)という女性が、自然に、強く結びついていると感じられたからだ。


「お、巌さんは貴妃さまのお噂も聞いているんかい? ひょっとして、河旭(かきょく)の方から来たのかね」

「あ、いえ、あくまでも巷(ちまた)の風説でござる」


 しまった。

 そう思い、巌力は適当にはぐらかした。

 得さんは怪しむこともなく、むしろ地元から輩出された殿上人の翠蝶を誇らしげに語る。


「あのお転婆姫が宮中に昇られるって話を聞いたときは、そりゃあもう街中がお祭り騒ぎで楽しかったぜ。軽い罪人にはみんな恩赦が出てな。俺の親父みたいな木っ端役人にまで金一封が回ったんだ。市場は昼も夜もなく人がごった返して、浜辺では大人もガキも酔っ払って踊り明かしてよ……」


 しみじみと語る得さんの思い描く情景が、寸分の差異もなく巌力に伝わるのを感じた。

 ああ、それはとても。

 誰もが幸せな日だったに違いない。

 一方で玉楊が後宮に入ったときは、どうだっただろうか。

 自分や椿珠がどれだけ怒りと絶望と悲しみに泣き濡れただろうか。

 つい比較してしまったが、巌力はその暗い思い出をすぐに払拭した。

 過去はどうあれ今、玉楊は静かな、そして自由な日々を送っている。

 これからは玉楊も、自分たちも。

 なんでもできるし、なににだってなれるのだ。


「着いたぜ。あそこだ」


 得さんが指差す。

 港の荷揚げ場からずいぶん離れた場所に、その小屋はぽつんと建っていた。

 おそらくは漁師の作業小屋だったものだろう。

 使うものがいなくなったのか、いつからか空き家になっていた。

 そこに最近になって出入りする若者の姿が見えるようになった。

 得さんの知人が様子を探ったところ、法師集団の見習い青年たちが、世間から隠れるようにそこで寝泊まりしているということだ。


「ふむ、人の気配がありますな」


 近付いて確認すると、壁板を通してなにかしらの音や振動があるのがわかる。

 

「とりあえず巌さんは、俺の後ろに控えといてくんな。連中と話すのは俺が……」


 そう言いながら得さんが入口の扉を敲こうとした、そのとき。


「ふんぬっ」


 巌力が猛牛のような突進を、建物正面にぶちかました。

 ゴワァァン!

 大きな鈍い音と振動が、粗末な木造の平屋を襲う。


「な、なんだなんだ!?」

「地揺れだ! 大波が来るぞ!!」


 建物の中で二人の人物が混乱する声が聞こえる。


「どりゃあっ」


 ダメ押しで、巌力はもう一発、哀れなボロ小屋に渾身のタックルを仕掛ける。

 メゴギャァという嫌な音とともに、柱が折れて家屋の土台が持ち上がる。

 屋根を葺いていた薄い板がバラバラと地面に落ち、壁も柱も軋みを上げて隙間を覗かせる。


「でえいっ」


 どしぃーん。

 トドメとばかりに巌力は正面左側の壁と柱に肩をブチ当てる。

 戸板が真っ二つに割れて横にはじけ飛び、屋内を覗けるほどの亀裂、穴が空いた。


「あ、あ、あわわわ……」

「お、お許しを、龍の神さま、ご慈悲をぉ……」


 中には痩せた青年が二人、抱き合ってへたり込んでいた。

 この世の終わりを見たような恐怖の顔色を浮かべ、涙と小便を漏らしている。


「お、おいおい、巌さんよ……」


 交渉もへったくれもないうちに、相手が隠れ棲む家屋を物理的に巌力は半壊させた。

 呆気にとられている得さんの横で、巌力はいつも通りの固く真面目な顔で、言ってのけた。


「初手を躊躇い、出会いがしらで手加減するなら、それはもう負けたのと同じでござる」


 伴に死線を潜り抜けた、麗(れい)央那(おうな)という小さな女の子。

 そんな彼女が命を懸けて打倒した、北方の怪童、覇聖鳳(はせお)という宿敵。

 その二人から巌力は多くのことを学び、今回はその一つを自ら応用し得たのである。


「ここまですれば、彼らは得どのの質問に、なにひとつ虚偽を混ぜずに答えることでありましょうや」


 死人怪我人を出さず、その上で自分の目的は果たす。

 麗央那がこの先、河旭の皇城で望み、願い、祈りながら目指すこととなる境地。

 その場所に巌力は一歩、先んじていたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る