妹―泉月①

 あまり長い時間生徒会室にいるわけにもいかないので紅茶を飲み終えた俺はそこを離れた。

 三井寺みいでらの視線はずっと鋭かったが、俺が退室するとなると少しは和らいだ――はずだ。

 小さいがきゃんきゃん吠える番犬がいるのなら安心だ。

 そして俺は下の階の部室の扉をいくつか眺め、やはり俺には部活は無理だと改めて認識した。

 そもそも団体行動がとれない。それに今の俺はおとなしいモブキャラに擬態している。同じく擬態している楓胡ふうこがそれでも新聞部にいるのは俺よりも演技の才能が抜群に秀でていたからだろう。

 俺は部活棟を出た。

 ん? 何だか天気が怪しいな。

 このところ気温差が激しく、日中は初夏を思わせるくらいの陽気だった。にわか雨に注意――とかが言っていたっけ。

 雨に降られる前に帰るとしよう。俺は駅へと急いだ。

 ところが駅まで十分じっぷんの道なかばにしてザーザーと降りだした。少し離れた空に稲光いなびかりも見えた。

 俺はシャッターが下りた小売店の軒下のきしたに身を寄せた。

 すでに濡れてしまっているからそのまま走っても良かったのだが、そこにひとりで雨宿りをしている小学生女子がいて、気になってしまったのだ。

 四、五年生くらいではなかろうか。傘を持たず走って帰る途中に雨がひどくなったためにこの軒下に入ったのだろう。

 俺たち二人は黙ってシャッターを背にして道路に顔を向け、ときおり雨空を眺めたりした。

 仰ぎ見る先はあっという間に黒い雲に覆われていた。

「夕立だし、じきにやむだろう」俺は独り言のように言った。

 少女の不安そうな目が俺を捉えた。

 俺はニカッと笑ったつもりだったがかえって警戒させてしまった。

 仕方があるまい。俺の濡れた前髪は眼鏡半分にこびりついていて、制服を着た高校生とはいえ無気味な印象を与えただろう。少女はできるだけ早くこの場を離れたかったと思う。

 何となく居たたまれない気持ちになった。

 五分もしないうちに傘を差した御堂藤学園の女子が一人通りかかった。泉月いつきだった。

 雨の中現れた泉月は神々しい天女のようだった。額出しの白い顔が暗い世界に浮き上がって見えた。

「傘を持っていなかったの?」泉月はあり得ないという顔をした。

 しかしその一言に反応したのは少女の方だった。「――なくなっていた……」

「え?」泉月が初めて少女の存在を認識したかのように顔を向けた。

「傘立てにおいたのになかったの」

 少女は友だちと遊んだ帰りにひとりでコンビニに寄ったらしい。しかしコンビニを出てみると傘がなくなっていたという。大人だったら安いビニール傘を買ったりするかもしれないが少女は仕方なくそのまま走ってきて俺と同じくこの場で雨宿りを始めたというわけだ。

「駅へ向かうの?」泉月が訊いた。

 しかし少女の家は駅とは違う方向だった。

「――私が傘を貸してあげる」

「でも……」

「このお兄さんとお喋りしながら雨宿りしているから大丈夫よ」

 暗い雨空の下ずっとひとりにさせるのは良くないと判断したのだろう。泉月は自分がさしていた傘を少女に貸した。

「あの……お名前は?」少女が泉月を見上げた。

御堂藤みどうふじ学園生徒会の東矢泉月とうや いつきよ」

「ありがとう」

 少女は固い笑みを返して頭を下げると泉月の傘を差して走っていった。

「転ぶなよ~」俺がかけた言葉はそれだけだ。

 俺と泉月は軒下に並んで立った。

「こうして雨宿りするのは久しぶりだわ」

「お前どこへ行くにも黒塗りの送迎車を使っていたんじゃないのか?」

「小学生の頃よ。よく傘がなくなった。年に十回はなくなったわね」お前、それいじめじゃないのか?

「いちいち迎えに来てなんて言うとおじさまにどう思われるかわからない。だから走って帰った。おばさまにはよく叱られたわ。何本傘をなくすのよ、ショーガイ?」ひでえな。

 てか――和紗かずさおばさん、本当は気づいていたのではないか? だと気づいていて叔父には言わなかった。

 あの叔父なら傘を隠した児童を徹底的に探しだし、追及しただろうからな。大事おおごとにしたくないよな。

「さて、少し小降りになったことだし、走って帰ろうかしら」

「良いのか?」

「昔なら当たり前にしたことだから」

「転ぶなよ」

 俺たちは駅までの徒歩五分の距離を駆けた。

 三分くらいだったが俺たちは濡れた。

 幸いなことに同じようにびしょ濡れの若い男女は多く、俺たちが電車内で余計な注目を集めることはなかった――と信じたい。

 濡れた髪が張りついた泉月の白い顔はなんとも形容しがたい美しさを放っていた。

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